本記事では、東北各地で今もなお活躍し、或いは役目を終えて静かに眠る、そんな歴史深い隧道(=トンネル)たちを道路愛好家の目線で紹介する。土木技術が今日より遙かに貧弱だった時代から、交通という文明の根本を文字通り日陰に立って支え続けた偉大な功労者の活躍を伝えたい。

季刊誌「michi-co」2018年3月25日号掲載

 

理想とは遠い現実。東北有数の「遠い」トンネル

秋田県のほぼ中央部にあり広大な山域を有する太平山地。この山地の主稜線に、昭和53年初めて文字通りの風穴が穿たれて「田沢スーパー林道」は開通した。だが、盛大な開通式典から40年を経た現在、林道の頂点にある黒崎森隧道は、東北有数の"辿り着くことの難しいトンネル"になってしまっている。東西どちらから向かっても集落から16キロほどの長い道のりがあり、しかもその道が——「スーパー」だったはずの林道が——あまりにも悪いのだ。

これが、東北有数の辿り着くのが大変なトンネル、黒崎森隧道の姿(西口)だ。多くの車が行き交うことを念頭に、
このトンネルだけ初めから二車線幅で整備された。道があってこそのトンネルだと思い知る

 

私はここが大好きで、過去3度訪れている。最新は平成19年のことだ。秋田市河辺の鵜うやしない養からマウンテンバイクで出発し、乗り・押し・担ぎの約3時間後、やっと着いたコンクリート造りのトンネルは、年月以上に古びて見えた。275メートル先にある出口が洞内唯一の光。将来の交通量増大を念頭に前後の道より広い2車線幅で整備されたというが、現在の通行人はおそらく年に数名、腕に覚えのオフロードバイカーや廃オブローダー道探索者くらいだ。四輪車はもう2度と辿り着けまい。坑門に掲げられた御影石の立派な扁額も、覆い被さる緑に隠されつつあった。ここにはもはや、国や県や町村が描いた理想はない。トンネルを潜り、秋田市側に輪をかけて酷い廃道とさらに3時間格闘し、仙北市上桧木内の堀内に越えた。

田沢スーパー林道として整備された秋田市道の現状。黒崎森隧道の1キロほど手前の
景色だが、路上に沢水が流れ込み川と化していた。仙北市側はさらに荒れ果てている

 

昭和30年代の高度経済成長は、国内の木材需要を急増させた。そのため国は昭和40年に、全国の未開発森林地帯を急速かつ大規模に開発することを最大の目的として、山村の過疎化対策や地域開発などさまざまな用途にも活用できる、大規模かつ公共的な林道の開設を計画し、対象の林道(スーパー林道)に高率の国庫補助 を与える「特定森林地域開発林道事業」をスタートさせた。全国の都道府県が名乗りを上げ、選抜された23路線(約1200キロ)が平成5年までに整備されて既に事業は終了している。

田沢林道は東北地方に整備された4路線の1本で、県都に近い旧河辺町(現秋田市)から、旧西木村を経て旧田沢湖町(いずれも現仙北市)へと至る、総延長57キロの長大な路線だった。内陸部の南北の幹線である3本の国道 (国道13号、105号、341号)を横に結ぶ路線で、秋田市から玉川温泉や田沢湖などへの最短ルートになると大いに期待された。だが現実は、豪雪 地の未舗装林道では観光道路たり得なかったし、林道としても国内林業の衰退のため十分に活用されなかった。県は開通後に大規模な改良工事を行なうなどして理想の実現を模索したが、結局は直接の管理者の地元町村が毎年の 巨大な維持費負担に力尽き、今に至る。