東北奇譚巡り
政宗裁き異聞 ①
ある珍名の由来
四十九院と書いて「つるしいん」と読む名字がある。日本に50人ほどしかいないともいわれる、珍しい名字だ。福島県の伊達地方には、その由来についてこのような話が伝わっている。
戦国時代前期のことである。飴屋に毎晩、飴を買いにくる女がいた。店主が不審に思って後をつけると、女は隣村の墓地まで行き、地元の郷士である遠藤家の墓で姿を消した。そこには、妊娠中に亡くなった妻が葬られていた。
その墓の中から赤子の泣き声がするので、驚いた店主が墓を掘り起こすと、赤子が飴をなめていた。その日は四十九日だった。赤子はやがて成長して家督を継ぎ、主君の伊達稙宗(伊達政宗の曽祖父)はそれにちなんで遠藤家を四十九院家に改めさせた。
全国各地にみられ、かの『ゲゲゲの鬼太郎』誕生篇の原型にもなっている「飴買い幽霊」話の典型であり、地元の郷土史家の中には、これが本家本元だと言う人もいるようだ。この素朴な民話が、伊達家が仙台へ国替えした江戸時代になると、異様な変貌を迎える。
伊達騒動で有名な四代目当主、綱村の侍医を務めた虎岩道説が著した『燈前新話』には、当地の怪異譚がいくつも集められているが、その中に四十九院家の由来にまつわるものがある。
1637年に建立され、国宝に指定されていたが戦災で焼失し、
現在の建物は1979年に再建されたもの。
初代藩主政宗の時代、ある若侍に、隣家の美しい娘が熱烈に恋をした。娘は恋文をしたためるが、若侍は堅物で、相手にしない。娘は思い余って、若侍が出かけると後をつけ、山中で追いついて「あなたが好きです。どうかここで抱いてください」と迫った。若侍はきっぱりと断って立ち去ろうとしたが、娘が必死で取りすがるため、やむを得ず抜刀し、一刀のもとに斬り殺してしまった。
若侍は近くの山寺を訪ね、「人を殺めてしまったので、つぐないのためここで腹を切らせてほしい」と頼み込んだ。住職は「罪をつぐなう気持ちはもっともですが、武士の生命は主君のもの。ここは殿の裁定をあおぎましょう」と彼をなだめ、青葉城の政宗のもとへ報告した。
事の次第を聞いた政宗は、「人を殺めた罪は重いが、娘の振る舞いも不届き千万である。娘の親が許せば、咎めないことにしよう」と言った。そして、娘の父は「武士の娘でありながらかような淫奔の振る舞いにおよび、家名に恥辱を与えた娘は不義不孝この上なし。不義の娘を殺した、隣家の若侍をどうかお許しください」と申し出、彼は無罪放免となった。隣家の父は、若侍にこれまでと変わらず接したという。
さて、罪を許された若侍だが、ある夜、手にかけた娘が夢に出てきて、こう言った。「私は本当にあなたのことをお慕いしていました。死んでしまった私を憐れんでくださるなら、どうか抱いてください」若侍は、殺されてなお自分のことを想う娘のことを憐れに感じ、求められるまま彼女と情交した。今更ながら、娘のことをいとしく思った。
それから何度も、彼らは夢の中で情交した。そして一年ほど経ったある夜、娘は「あなたの子ができました。男の子です。どうか大切に育ててください」と告げた。若侍は、女の命日の夜、眠れずに彼女の墓を訪れると、赤子の声がする。墓を掘り、棺を開いてみると、そこには生まれたばかりの男の子がいた。彼はその子を自家の跡取りとして育てた。
この話は、やがて政宗の耳に入り、「その者の姓を、卒塔婆の下で生まれたゆえ『四十九院』と改めるがよい」と命じた。その曾孫が、当代の主君に仕える四十九院彌五左衛門である——。
プロフィール
鷲羽 大介
わしゅう・だいすけ。岩手県釜石市出身、宮城県在住。171センチ84キロ。組み手は右。得意技は大外刈り、背負い投げ、三角絞め。「せんだい文学塾」代表。著書に『暗獄怪談』シリーズ、『不条理奇談』などがある。

