東北奇譚巡り
祟り狐を祀る街、ひがしね ②
怪しい狐の正体は……
義宣が白狐に出会ったとされる慶長9年は、徳川家康が幕府を開いた翌年にあたる。関ヶ原の戦いから4年しか経っておらず、我々が江戸と聞いて想像する太平の世とは程遠い時代なのである。
おまけに義宣は関ヶ原の戦いで徳川方の東軍に参加しなかった、いわば叛逆の徒であった。それにより佐竹家は秋田の湊城へ転封させられるのだが、手狭を理由に久保田城を建設。その本丸が竣工したのが、まさに慶長9年なのだ。
自軍に参加しなかった武将が新たな城を建造している──幕府が「謀反のおそれあり」と警戒するのも無理はない。いっぽう義宣もその機会を窺っていたのではないか。だからこそ常人ならぬ速さで往復する飛脚を江戸に遣わしたのだろう。
与次郎のイラストが描かれているのも楽しい。
と、ここで私は閃いた。もしかして与次郎は隠密の一種、現在でいうところの忍者に近い存在だったのではないか。そう考えれば江戸〜秋田間を6日で駆けぬけた俊足ぶりにも納得がいく。
佐竹の密命を受け出羽路を駆けた与次郎は(徳川の謀略かアクシデントかはさておき)東根の宿場で暴漢に襲われたのだろう。けれどもそこは忍びの者であるから「みすみす殺されてなるものか」と応戦のすえに相討ちとなったのかもしれない。
「八幡神社」の額が懸けられている。
訃報を聞いて佐竹家はたいそう困ったはずだ。与次郎が密偵であると知られてしまえば幕府からのお咎めは免れない。良くてお家断絶、下手をすれば「関ヶ原の恨み」とばかり戦になってしまう。
そこで佐竹家は「与次郎は狐だった」との噂を流し、さらに「殺された村人たちは祟りで命を落としたのだ」と喧伝して事態の収束に努めたのではあるまいか。もちろん幕府とて真相には薄々勘づいていたものの、狐だと言われてしまえば手の出しようがない。
かくして与次郎は化け狐となり、死してなお恩義ある佐竹義宣を護ったのであった──もちろん、これは私の妄想じみた仮説に過ぎないが、このような歴史のミステリに推理を巡らせるのもまた一興、東北という土地の持つ醍醐味ではないだろうか。
現在、与次郎稲荷神社は「スポーツの神」「縁結びの神」として多くの参詣者を集めており、過去にはオリンピックで活躍した有名マラソン選手も訪れたと聞いている。神社周辺には道の駅・天童や道の駅・寒河江など憩いの場も多い。
ぜひ山形を訪れたあかつきには与次郎稲荷を訪ね、身体堅固を飛脚狐へ祈願しつつ出羽の名産品や観光地を存分に楽しんでいただきたい。
狐の人形が数多く奉納されていた。
いかに地元で愛されているかを窺わせる。
プロフィール
黒木 あるじ(怪談作家・小説家)
1976年、青森県生まれ。東北芸術工科大学卒。 2009年に第7回ビーケーワン怪談大賞で佳作、第1回『幽』怪談実話コンテストで「ブンまわし賞」を受賞。2010年『怪談実話 震(ふるえ)』(竹書房)でデビュー。現在まで単著共著あわせて70冊以上を刊行。 著作に『山形怪談』(竹書房会談文庫)、『無惨百物語』シリーズ(KADOKAWA)、『掃除屋(クリーナー)プロレス始末伝』(集英社)など。『春のたましい 神祓いの記』(光文社)で細谷正允賞を受賞。