このレポートは、「日本の廃道」2012年8月号および2013年4月号ならびに5月号に掲載した「特濃!廃道あるき 駒止峠 明治車道」をリライトしたものです。
当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。
所在地 福島県南会津町
探索日 平成21(2009)年6月26日
2009年6月26日 7:32
小峠
広大な南会津郡の東西を結ぶ幹線道路として、明治21年に開設された駒止峠の初代の車道は、現在使われている国道289号から数えれば2代前(旧旧道)にあたる。明治40年には早くも現在の旧道世代の道に取って代わられた短命な道ではあったが、現役当時の沿道に設置された水準点だけは、今なお国の測量データとして生き続けている。
今回の探索は、この駒止峠初代車道を、郡役所があった旧田島町から旧南郷村(町村合併のため現在はいずれも南会津町に所属)へ歩いて越えようとしている。この世代の駒止峠(旧駒止峠)には、真の頂上である「大峠」に対し、その前衛というべき「小峠」と名付けられた峠(現在の地形図にも「小峠」の注記がある)が存在していた。
現在地は、小峠である。
小峠(標高1010m)は、国道289号から旧々道由来の山道を3km歩いた地点にある。この間に登った高度は約150mで、所要時間は約80分だった。ただこれは途中の九十九折りや石垣で頻繁に立ち止まって撮影を行った上での所要時間なので、普通に歩けば1時間ほどで到達出来そうだ。
ここまでの道の状況は、明治40年に旧道となって交通史の表舞台から消えた道としては思いのほか良かった。探索は、これを書いている2023年から14年も前に行ったものなので、現在がどうなっているかは分からないが、探索当時は山仕事などで歩く人がいたようである。案外しっかりとした踏み跡があり、もともと広かった道と緩やかな地形のおかげで、危険を感じずに歩ける道だった。
これが小峠の切り通しだ。車道として切り開かれたことを誇るような、幅広のゆったりとした切り通しになっていた。それほど深く掘り下げられているわけではなく、もともとの地形である鞍部を上手く利用した峠だった。
周囲は背の高い木々が鬱蒼と茂る森で、視界は良くない。峠ということで、ここまでの道のりを振り返るような眺めがあれば爽快だったろうが、森の底の静かな峠の印象だ。駒止峠の前衛という立場に相応しい控えめな峠だった。
切り通しの出口に立って、進行方向の旧駒止峠(大峠)方向を見ているが、やはり見通しは利かない。すぐ先を小さな川が流れており、峠といいつつも、こちら側は谷底に近い地形である。
地形図には、ここから旧駒止峠(大峠)頂上まで、これまで同様に徒歩道の記号が伸びており、峠までの距離は約2kmだ。途中にはやはりいくつもの九十九折りが描かれている。
小峠では3分ほど足を止めただけですぐに出発した。大峠までの5分の3を終えはしたが、探索は頂上で終わりではなく、南郷側へ下るまでの「峠越え」が目的である。その全体で考えれば、まだ3分の1弱を終えたに過ぎない。それにここまでは道の状況が思いのほか良かったので、体力の消耗もわずかだった。
切り通しを出ると、道は直ちに左へ折れた。右は森の底に小さな谷がある。緑が濃くて谷底の様子は見て取れないが、瀬音が聞こえないので小川だろう。地形的にはこの無名の沢を詰めたところが大峠の頂上であり、この先の道も沢の周囲をグネグネ蛇行しながら登っていく形である。
この先、大峠までの地形を鳥瞰図で示してみた。無名の沢の底に近いところをいくつもの九十九折りで登っていく破線の道が見えるだろう。ここまではあまり水気のない山腹の登りだったが、これからは一転して沢沿いの道となるので、風景も、道の状態も、変化がありそうだ。
おお~! 綺麗じゃん!
なんて綺麗な廃道なんだろう。沢に近づくと、道幅いっぱいに膝丈の草原が広がっていた。柔らかな草原は朝露でたっぷりの湿り気を帯びていたが、長靴を装備する私にとって問題ではない。森の空気に仄かに混じる草の匂いを感じながら快適な歩行が続いた。
7:46
小川を渡る
小峠から300mばかり進むと、大峠に通じる無名の沢を初めて渡る地点があった。やはり橋はなく、徒渉をするわけだが、そもそも橋を必要とするほどの流れではなかったようだ。幅1m足らずの水流をぴょんと跳び越え、道は左岸へ。現役当時は、小さな木橋が架かっていたか、暗渠だったか。どちらの痕跡もなかった。
沢を渡ると直ちに、通算3度目の九十九折り地帯が始まる。やはり周囲はカラマツ林が多く、路上にも容赦なく植えられていたほか、笹藪がやや深いが、視界を遮るほどではないので、不安はない。強いて不安があるとすれば、クマとの遭遇だ。クマ鈴は当然装備しているが、何をどうしても遭遇の可能性はゼロにはならないので、山奥の一人歩きからクマリスクを完全に排除はできない。
沢を渡って、それから一度切り返す。当然ながらすぐにさっきの沢が現われた。最初に渡った場所よりちょっとだけ上流の、さっきの沢だ。写真はその場面だが、どこが道なのか皆目見当が付かないと思う。写真を見返して私もそう思う。道と沢が混ざっているような状態は、九十九折りの最中みたいな進路が定まっていない場面で現われると結構困るのだ。とりあえず当てずっぽうに沢を渡って、対岸の状況を確かめることに…。
よしよし! 見つけた。 首尾良く続きの道を発見できた。ちゃんとした道幅がある。しかも、次なる切り返しのカーブがそこにあった。どうもこの道は、沢の存在をあまり意識しておらず、無造作に渡ることをくり返しながら峠を目指すようである。
3度目に同じ沢を渡った直後、野生動物と遭遇した。この写真にそれが写っているが、気付いただろうか。チョロチョロ動き回っていて、可愛らしいヤツだった。
その後も矢継ぎ早に切り返し続け、早くも5回目のカーブである。最初の九十九折り並に忙しないペースである。そして徐々に道の状況が悪くなっているのを感じる。胸を埋めるくらいの深さの笹藪が時々現われてペースを乱すようになった。気軽には入り込めない山奥に突き進んでいる感じだ。
ときおり道沿いで特別大きな樹木を見る。全くの偶然かもしれないが、敢えて伐採せず残した大木かも知れない。かつて豪雪地の峠道では、積雪期にも道の在処が分かり易いよう、目立つ巨木や樹形が変わった木を沿道に敢えて残すことが行なわれていた。時には自生していない(松などの)樹木を植林することもあったと聞く。
実際、この駒止峠では、冬期も郵便逓送路として大変な困難を圧した往来が行われていた。路傍の大木たちには、逓送員達の命を守る役目があったのかも知れない。
8:12
初めての見晴らし
谷のそばを短いスパンで何度も何度も切り返し、地形図に描かれているよりも遙かに多い9回目を曲がったところだった。旧々道を登り始めて約2時間(小峠から約40分)にして、初めて樹木の大きな切れ間から眺望を得られる場所があった。ちょうど登ってきた道のある南東方向に視界が開けていた。
間近なところに小峠のささやかな鞍部が見下ろされ、その向こうは少し広い空間を隔てて山また山。一番遠くで霞んでいるのは那須だと思う。
大峠へ詰めていく連続九十九折りは、この先ますます深化していく……。備えよ…!