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宇津峠 幻の初代車道【本編第4回】

このレポートは、「日本の廃道」2010年2月号および4月号に掲載した「特濃!廃道あるき vol.26」をリライトしたものです。
当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。

所在地 山形県飯豊町〜小国町
探索日 平成21(2009)年5月10日

16:55
清明集落跡

これは現地を描いた大正時代の地形図だ。この図の中央左寄りに「清明」と注記された地点が存在している。「宇津峠」を越える「県道」を意味する太い二重線の途中から分岐する、点線で描かれた「小径」が、稜線を切り通しで越えて、清明で終わっている。清明にはゴマ粒のように小さな家屋の記号が二つばかり見えるが、もはや「集落」と呼べる規模の村落ではなかったように見える。

これが、現地の5万分の1図としては最古の図に描かれた清明の姿である。今回の現地探索が成り行き上で急に始まったために、こういう資料を持ち合わせず、現地では「ここが清明集落跡だ」という確信を持つのに苦労したが、この地図さえあれば一目瞭然だった。

確かにこの地は「清明」と呼ばれていたし、家屋があった。そして、宇津峠の道から分岐し、いわゆる「清明口」の切り通しを越えてそこに至る行き止りの小径があった。それこそが、今回探索している道の正体だった。

道は、清明で行き止りになる。

もし先にこの地形図を見ていたら、そういう探索の結論を予期できたはずだった。

さて、少し時間を遡って、現地で格闘する私へ戻る。清明集落跡の段々を左に見下ろしつつ、道なりに回り込むと、道の幅が狭くなり、斜面と同化しつつあるような不鮮明な感じになった。

直後にいやな場面が現れた。山側の法面に生えた樹木が、道を塞ぐように育っていた。それが何本も連続していた。これは豪雪地の廃道ではよく見られる現象で、幹の太さは通行が途絶えてから経過した時間を物語る。切り通しから集落の入口までよりも、明らかに廃道化の程度が進んでいた。

ここを自転車ごと進むのは面倒なので、置いていこうかと悩んだが、こんな山奥に乗り捨てて、あとで戻ってくることを約束させられるのも嫌だったから、もう少しだけ我慢して連れていくことにした。

17:05
道、なくなる

地面付近だけ視界が通る、冬枯れた灌木密生地。私をここまで誘ったたった1本の道は、ここで行き場を失った。写真中央に明瞭な道が見えると思うかも知れないが、それはフェイクだ。私も最初は道だと思って進んだが、これは単に凹んだ地形がそう見せているだけだった。

行き止りだ。

周囲の山林を巡回し、そう結論づけるのに15分かかった。行き先があらかじめ分かっていない廃道を探索するとき、その終点を確認するのは、想像以上に骨の折れる作業になることがあるのだ。この場所から来た道のほかに出て行く道はなかった。行き止りである。

17:20
終点到達と判断し、撤収を開始。

完全日没まであと1時間くらいだが、ぎりぎりの滑り込みセーフでこの未知の廃道探索を終えることが出来そうである。正直、この結末には、安堵と落胆の両方が同じくらいあった。

「清明口」とは、三島新道から近隣の清明集落へ分岐する支線であったのだろう。確かに三島の新道ではあったかもしれないが、極めて局地的なものだったようだ。麓へ届く道でなかった以上、宇津峠の一世代として数えられるものではなかったといえよう。

本当にそれが正解か?

「解説板」にあった「明治27年」という文字までが、単純に「17年」の誤記だったのか。何もかも私の都合の良いように、これで探索が完了したと安堵したいがために、曲げていやしないだろうか。

見落としはないか?

確かに気持ちの悪さは残っている。

だが、道が清明集落から先へ続いていなかったことについては、自信を持っているつもりだ。15分もかけて調べたのだ。しかしそもそも、集落より先の道は、それまでより規格が少し落ちるような感じがあった。集落より先は、三島新道ではなくて、生活と関わる山仕事道でしかなかったのかも…。

気持ちの悪さは残ったが、いまここで出来る追求は、ここまでだろう。

17:30
再び清明集落跡

玉虫色だが終わりは見えた。心に幾分余裕が出来た私は、帰り道に清明集落跡をもう少しだけ踏査してみることにした。廃屋の一棟でも見つけて、いつ頃まで生活があったのかを知る手掛かりを得ようと思ったのだ。

集落跡を見下ろす位置に何気なくチャリを置き、食べ頃を過ぎて太り始めたイタドリの茂みを掻き分けながら道の下の田畑の跡へ下った。

うひゃぁあ。

これは、もの凄いアブの大群!フラッシュを焚いて撮影したらこの通り。写真内の白い点は全て飛翔するアブだ。五月蠅いだけで血を吸ってくる種類ではないようだが、早くも廃屋探しをしようという気持ちは萎えてしまった。

適当にこの辺りを見て回ったら、もう帰ろう。

アブに絡まれながら道のある高みを振り返って撮影。足元は田んぼか畑か分からないが、この辺りがアブ発生の中心になっている。ここに住むという事は、彼らとの共生が前提だったろう。電気も電話も来ていない。清明は近代文明の恵沢に浴さなかったと見て良い。

ここを離れる最後に、写真中に赤く示した場所へ行った。何故かと聞かれても、明確な根拠は無かったと思う。強いて言えば、万分の一の低確率でも、この集落内で折り返して下って行く道がもしあるなら、あの辺に入っていくと思ったからだった。

何でこうなるのか。

正直、不思議に感じた。

だってドンピシャだよ……。

大した根拠もなく入った藪の中に道があった。それも、峠から集落跡まで私を導いたのと同じようなしっかりした幅の道が。

いくら何でも出来すぎている。

人智を越えている。

三島通庸は私をどうしたいのか、それを問いたい気分だった。

でも、いま見つけなければ、この先はなかった。ずっと、封じられたままだったはずだ。

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