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宇津峠 幻の初代車道【本編第3回】

このレポートは、「日本の廃道」2010年2月号および4月号に掲載した「特濃!廃道あるき vol.26」をリライトしたものです。
当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。

所在地 山形県飯豊町〜小国町
探索日 平成21(2009)年5月10日

16:45
「三島新道切割(清明口)」の先

掘り割りの小国側の入口から、飯豊町との境である中央部分まではしっかり刈り払われていたのだが、飯豊側の出口には既に灌木が生い茂っていた。それでも道形が鮮明なのは、訪問した時期が消雪の直後だったおかげだろう。

この掘り割りの存在を明らかにしてくれた例の案内板も、抜けた先がどこへ通じているかは、全く教えてくれなかった。ただ、「三島新道切割(清明口)」という表示の「清明口」の部分が、重大なヒントであろうと思う。おそらく、「清明」なる場所に繋がっている掘り割りだから、「清明口」なのだ。ただし現在の地形図に「清明」なる地名は存在しない。

どこへ行くつもりなんだこの道は。

すぐに答えを知りたいなら、この足で確かめるしかないと思うが、どう考えてもこんな時間から立ち入るべきではないのだろう。2時間後には完全に真っ暗だろうからな。

だから正直、進むことには気が進まなかったのだ。でも、未知の“三島道”に出会える事は私にとってかけがえのない機会であることもまた事実。皆様は明日改めてくれば良いと思うかもしれないが、明日は明日で計画していた探索があって、どちらかを選ばねばならないのは悩ましかった。

そんな悩んでいる時間も惜しいと思った私は、結局、目の前の道を進むことにした。あと1時間くらいで決着が付けば、ベストである。

砂利だ。

路面に砂利が敷かれていた。最近の砂利道に使われる角張った砕石の砂利ではなく、丸っこい川砂利だった。それなりに古い時代のものではないかと思う。明治以来のものかは、さすがに判断できないが。

ああ、これは三島の道じゃないな。

――そんな風にアッケラカンと断定してしまえる風景の出現を、心のどこかで求めていた、不純な私。それが良くなかったのか。明治の厳父、あの三島が、そんな惰弱を許す訳もなかった。峠を離れて廃道を進めば進むほど、ますますしっかりとした三島らしい道が現われるのだった…。

しかも相変わらず進路は南へ向いていて、麓へ近づいていく気配がない…。おそらくこの道が続いている清明なる土地はどこにあるんだ…?事前準備をしていないせいで、確かめる術がない。

堀割を出て約5分。道は稜線の西面をほぼ水平に南下してきたが、ここで行く手に思いがけず広い西向きの緩斜面が現われた。

干し草を敷いたような冬枯れの草原に、明らかに人工的な角を持った畦の段差と、スギの木立が、点在する形で配置されていて、ここが古い耕地の跡、あるいは集落の跡であることを物語っていた。なお、道は矢印の位置にあって、この先で猛烈な笹藪へ突っ込んでいる。

よもやここに「清明」なる集落が存在したのではないか。

自転車を腰の高さに持ち上げながら、猛烈な笹藪へ突入した。キツイ。もう太陽は西の稜線に隠れているが、風がなく蒸し暑い。しかも耕地跡で水捌けが悪いせいか、周囲には羽虫やアブが大量に飛び交っていて鬱陶しいことこのうえなかった。

16:53
清明集落跡(推定)

やはりここは集落跡に違いない! こんな峠の近くでどうやって水を得ていたのか不思議だが、西向きの緩斜面の広い範囲に、棚田か段々畑の痕跡があった。そして所々にスギ林が点在していることも、多くの廃村跡で住居跡にスギを植えて離村している現象に一致していた。

なんか奥に白いものも見えるが、ビニールハウスの跡?! だとしたら、案外最近まで利用されていたということに。

違った。ビニールハウスの残骸かと思った白いものは日陰に残された巨大な残雪の塊だった。麓からはとっくに消えた雪がこんなに残って…。さぞ厳しい冬がくり返されたであろうに、なぜわざわざこんな不便な所に集落があったんだろう……。

ここで生活のための水を得ていたのだろうか?道の山側に小さな水場を見つけた。塩ビのパイプが使われているので、いわゆる「現代」に入ってからもこの水場は使われていたらしい。とはいえ水道管も電信柱もここには見当たらない。生活があったとしたら、ランプ生活だ。

重ねて書くが、ここは自然と人が居着くような土地とは思えない。峠の直下に孤立した、極めて不便な集落立地である。だからこそ、三島新道の影響を感じる。

かの万世大路には、大平という周辺から孤立した沿道集落があり、会津三方道路の大峠にも沼の原という集落があった。いずれも三島がこれらの新道を整備した際、旅人の安全のために人々を移住させて作った集落である。米沢盆地を囲む栗子峠(東)と大峠(南)にあった設備が、西の宇津峠にも設けられていても不思議はない。

よし!ここが清明集落跡だとしたら、道の終点は近いかも!

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