サイトアイコン 【東北「道の駅」公式マガジン】おでかけ・みちこWeb

男鹿森林鉄道 消えた隧道 【本編第1回】

このレポートは、「日本の廃道」2008年12月号に掲載した「特濃!廃道あるき vol.18」をリライトしたものです。
当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。

所在地 秋田県男鹿市
探索日 平成20(2008)年12月3日

9:43 開集落から軌道跡へと接近

 男鹿半島初の廃隧道発見に燃える私は、地形図への「気づき」からわずか3日後である平成20年12月3日、盟友ミリンダ細田氏を誘って、さっそく現地へ向かった。この探索が友の心に傷を残すことなど、このときは知る由もなかった。

 山中にある隧道擬定地点へのアプローチルートはいくつか考えたが、もっとも正攻法と思われるものを選ぶことにした。すなわち、麓の入口から、隧道の利用者であった「男鹿森林鉄道仙養坊支線」の軌道跡を辿っていくことにした。
 具体的なルートとしては、掲載した地形図に「開」という地名が記されている集落(住所表示としては「男鹿市男鹿中滝川字三ツ森上台」という)をスタートして、ここから点線で示された農道を500mほど辿って、滝川の谷沿いにあった男鹿森林鉄道の軌道跡を目指す。

 開集落から眺望する、朝雲に煙る男鹿三山。足元に広がる明るい耕地が滝川の谷だ。半島という地形の制約から耕地が乏しい男鹿地域だが、生計を漁労に頼ることが難しい山間部の人々が苦労して切り拓いてきた美田である。全山がスギの一色に染まった山も、昔ながらの曲線的な田んぼの畦も、人と自然ががっぷり組み合って暮らしてきた証しのようだった。

 男鹿森林鉄道の遺構は、この風景の中にあって早くも探索者を喜ばせる存在感を醸し出していた。皆様も、お気づきになられただろうか?

 これは景色の一部をズームで拡大した眺めだ。ここに、はっきりとくっきりと、明らかに鉄道をイメージさせる築堤が、田と林の縁に沿って長々と連なっているのが見える。これが、昭和34年に廃止された男鹿森林鉄道の遺構だった。廃止から経過した時間を考えれば、驚くべき鮮明さである!

 よく見ると、築堤には大小の切れ込みがある。一番大きな切れ込みは、滝川の本流を渡る橋の跡で、その左の小さな切れ込みは、廃止後に道路が築堤を横断しようとして削ったものだ。まずはそこを目指す。

 実は以前にもここまでは来たことがある。だからアプローチはお手の物だ。地形図では点線で描かれているこの道だが、農耕車両が通る農道なので、一応クルマで通行できる。

 鮮明すぎる築堤が、目の前に近づいてきた。

9:59 軌道分岐地点

 これまで様々な林鉄跡の築堤を見てきたが、これほど明瞭に残っているものは、見たことがない。壊されていないというのは大前提だが、それだけでなく、今でも念入りに刈り払いを受けていることが、外観の印象を現役さながらにしている。
 わざわざ刈り払いをしている目的は、隣接する水田の害虫対策だろう。林鉄としては“たなぼた”の成果だが、農家の方々の弛まぬ努力のおかげで、男鹿林鉄最大の築堤遺構は驚くべき良好な保存状態にあった。

 細田氏が運転するクルマを築堤そばの空き地に停めて、隧道探しの軌道探索へ出発する!辿るべき道は、このうえもなく明解だ。奥の築堤の先へ行けば良い。地形図読みでは、隧道擬定点までの距離は約1kmである。

 これは最初に着いた築堤の上から、進行方向とは逆の起点・羽立駅方面を見た風景だ。
 こうして見ると、ここが男鹿林鉄の本線と、仙養坊支線の分岐地点であったことがよく分かる。右に逸れていくのが本線の跡で、私が立っている築堤は仙養坊支線だ。隧道があったのは、支線である。

 高い築堤から始まる仙養坊支線だが、最初に滝川を渡る必要がある。先ほど遠望した「大きな切れ込み」の横断だ。
 残念ながら軌道時代の橋は現存していないものの、代わりに架けられた低い手作り木橋が、好ましい風情を演出していた。もちろん我々もこれを利用した。

 ところで、翌日に行った現地近くでの聞き取り調査によって、ここに架かっていた林鉄の橋が木橋であったことや、廃止後もしばらくは放置されていたが、10年ほど前(すなわち平成10(1998)年頃)に危険防止のために取り壊された事を知った。もっと早く来て見たかったなぁ…。

 一般的な鉄道の築堤よりも急な感じがする「のり」をよじ登り、再び築堤上へ。路盤が敷かれていた天端も当然のことながら一般の鉄道の半分くらいの幅しかない。だからとてもシャープな印象だ。完璧な刈り払いだが、人が歩いた痕はなく、道として使われてはいないことが窺えた。

 進むべきは正面の緑だ。

 刈り払われた築堤上には、バラストも残っていた。だから砂利道同様の踏み心地があった。多くの林鉄は、現地採取でコストが低い川砂利を使っていたが、ここのバラストは角がはっきりしており、購入した砕石と思われる。男鹿には川らしい川がないせいかもしれない。代わりに海の砂利を使うと、塩分ですぐにレールが駄目になってしまうのだ。
 この築堤、最高の保存状態であり、枕木とレールを敷けば、今すぐに運行を再開できそうだった。

次回、緑の中へ……。

モバイルバージョンを終了