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【6日目】久慈へ

東北太平洋沿岸に走る全長1,025kmの長距離自然歩道、みちのく潮風トレイル。町を歩いて峠を越え、谷を下って海に出る。バックパックひとつとたくさんの人に支えられて歩いた去年の秋の二ヶ月を、残した写真と、一緒に歩いた地図をお供に連れて、一歩一歩思い出しながら書いていく。

出会い

 集落に出て、舗装路をしばらく歩いていると少し広い公園に着く。時刻もそろそろ11時になるところで、お昼休憩にしようとベンチに腰かけた。ふと横を見ると、Nさんがタバコを吸おうとしている。あれ、出発前に禁煙するって言ってませんでした?と聞くと、なんというかまあ、色々あって挫折してしまったようだ。そういえば、と話題を変える。Nさんがこのあたりを歩いた日、きのこ屋で長居しすぎてしまったせいですっかり暗くなった中歩かないといけなかったという話を聞いていたのだけど、見た感じこの公園はテントを張るのにちょうどよさそうだ。なんでここで泊まらなかったのか聞いてみると、午後4時くらいにここに到着したものの、その時のNさんは「もっと歩ける」と思ったそうだ。歩き方も人それぞれだなあ。
 お昼を食べていると、Nさんがキウイいる?と言って、バックパックから出してきたゴールデンキウイをくれた。生の果物なんて重いものなんで持っているんだと思ったけれど、そういえばNさんは荷物から色んなものを(中にはそれは必要だろう、と思うものもあった)削っていて、もともとの荷物がとても軽いんだったと思い出した。その分食料に重さを割けるのだろう。なんでキウイなのかというと、Nさん曰く、果物の中でもビタミン含有量が多いのがキウイなのだそうだ。特にゴールデンキウイ。そんな貴重なものを、と一度は断ったのだけれど、荷物を軽くするのを手伝うつもりでと言われたので、ありがたくいただくことにした。

 ルートからは少し外れるのだけど、この公園はそばに大きな赤い鳥居があって、そこから弁天鼻という岬の先の神社まで参道が続いている。時間的にも余裕があったし、折角だからと私たちは鳥居をくぐった。鳥居の下におじいさんがいて、少し立ち話をした。Nさんのサンダルを見て、アンタ、風邪をひくぞと言ってくれたのを覚えている。おじいさんに別れを告げた後、鳥居をくぐり、神社に向かって進む。重い荷物を持った身には少しキツい下り坂があった。岬の神社の名前は、厳島神社。有名な広島の神社と同じ名前だが、調べてみるとやはりそこを総本社とする系譜の神社らしい。到着すると先客がいて、そういえばさっき公園にいた時、神社に向かう2人連れが見えたなと思い出す。鳥居のおじいさんと、ずいぶん長く立ち話をしていた。あいさつをして、少し立ち話をしてみると、なんとトレイルのデイハイク中だそうだ。クマ鈴をつけたリュックサックを背負っていたからもしかしてとは思ってはいたけれど、自分たち以外にこのトレイルを知って、歩いている人がいることが嬉しかった。
 お参りをして、ぐるっと社を見て回ってみる。柱の各所に刻み込まれた彫り物が立派で写真を撮りたいなあと思ったのだけど、どうにも気が咎めてやめておいた。彫刻の美しさだけを理由に、神の社に不躾にカメラを向けることが憚られたのだ。だからここだけではなく、私のカメラロールに神社の写真は残っていない。Nさんにそのことを話すと、Nさんも一度はその彫刻に魅せられて写真に収めたものの、なんとなく怖くなって消してしまったそうだ。
 そんな話をしているうちに、今度は顔を半分布で隠した男の人が到着した。派手な観光名所でもないところで一度にこんなに人が集まるのは変な感じがするな、と思っていたら、どこかで見覚えのある人だと気が付いた。私は情報収集のためにFacebookのハイカーズコミュニティに入っていたのだけれど、そうだ、この人はそこで見かけた人だった。私より遅く出発していたはずなのだけど、もう追いつかれてしまったようだ。この方もスルーハイク予定で歩いているそう。決して多くはないスルーハイク予定者に一種の共感と嬉しさを感じながら、今までの道のりや、なぜ歩いているのかを話したりする。Nさんはコミュニティで発言していたからあちらにも認知されていて、高家川の情報ありがとうございました、とNさんにお礼を言っていた。この方は渡渉を早々に諦めて迂回路のほうを歩いたそうなのだけれど、私たちが車で通ったときに感じた通り、大きなダンプカーが車道を所狭しと走っていて、生きた心地がしなかったと言っていた。あそこを歩いたのかと想像するだけでも背筋が冷えた。そこそこで話を終え、私たちは神社の先に続く道へ進むことにした。
 神社から岬の先端に続く道を進めば、牛島という島に行くことができるそう。Nさんもさすがに日が落ちる中足元に注意の必要な細い道の先に行こうとは思わなかったらしく、じゃあ折角だし行ってみようということになったのだ。結構急な、ギザギザと曲がった下り坂をおそるおそる降りていく。だんだん道なのかも怪しくなってきて、弁天鼻の先まで行ったら進む道もなくなってしまった。がんばれば下りられる感じだったけれど、戻りが大変そうだ。岩肌にハマギクが咲いている。向こうに見えた小さい島が牛島なのだろう、何かありそうな感じだったけれど、あれは何が立っていたのだろうか…。

 神社に戻ると既に人影はなく、皆さんもう出発したようだった。鳥居に続く道の先にさっきお話ししたハイカーさんの背中が小さくなっていくのが見えて、これから先のみちのりでこの人に会うことはもうないのだろうとぼんやり思う。鳥居に戻ると、もうおじいさんもいなかった。旅というのは、一期一会だ。

久慈市街へ

 舗装路から一旦ちょっとした自然歩道に入り、階段を下りると開けた海沿いの場所に出る。ちょっとした、と言っても日が落ちた状態で通りたいと思えるような道ではない。ここを夜一人で歩いたんだというNさんの話を聞きながら、私は気を付けようと心に誓った。階段を下りると左側に小さな売店があって、ソフトクリームとコーヒーを売っていたのだけど、私はどちらも得意ではなかったので何も買えなかった。こういう時、ソフトクリームが食べられる人生だったらなあと少しだけ思う。もう少し左手にはもぐらんぴあという水族館がある。震災で全壊し、場所を移して営業した後、今はまた元の場所で営業をしているそうだ。地図上ではもぐらんぴあの上に震災伝承館のマークが記されている。今回は時間の都合上行くことはできなかったのだけれど、いつか行ってみたいなと思った。

 ここから久慈市街まで歩くのは、本当に海のそばの道だ。今歩いているここも津波が洗ったところなのだと思いながら、歩く。
 右手には地層の見える崖が切り立っていて、盤石で確固たるもののように見えている大地が、こんな高さにまで押し上げられているのはなんとも変な感じだ。途方もない時間を前に、ドンと突き放されたような気分になる。積もったその時は気が付かないくらいの微々たる変化の繰り返しが、こんなに高い地層になるのだ。積み重ねられたコピー用紙のようだ、と思った。一枚の紙がどの時点で紙の束になるか、境目はとても曖昧で、私たちの感覚は結局、人間の寿命や体の大きさに依存した基準に過ぎないのだろうなどと、ちょっと飛躍して考えたりする。だから想像できる範囲を超えたものは途端にリアルな感覚から外れてしまって、ともすると逆にすごく平面的なものに見えてしまう。理論でいくら理解していても、体験したことがないからどうにもリアルになってくれないのだ。これは文脈を変えると結構いろんなことに当てはまることだと思うのだけど、そういうギャップを補うのが、想像力と知識、あとは実際の体験だったりするのかな。

露頭

 防潮堤の上の道を、Nさんとおしゃべりしながら歩いた。歩くのは、誰かと話すのにちょうどいい。視界に映る建物が大きくなってきて、だんだん久慈市街に近づいていくのがわかる。地図をめくって久慈市街のページになると、一気に画面がにぎやかになって灰色の面積が増えるからわかりやすいものだ。本ルートに設定してある橋が通れなかったので、久慈川に沿って駅のほうに進んだ。ここまで結構長い間休憩を挟まず歩いてきてしまっていたので、一旦休憩をしようと腰を下ろせる場所を探すもなかなか見つからない。山の中ならどこで座っても大丈夫だけれど、町の中で道端に座り込むのは憚られる。意外と町中のほうが休憩できる場所が少ないのだと、私はこの時初めて知った。

 なんとか見つけたコンビニのベンチで休憩を取る。飲み物を買って少し回復してから、あと少しと重い足を引きずってなんとか久慈駅に到着した。駅のまわりのシャッターにはあまちゃんのイラストが描かれていて、懐かしさを感じながら久慈ステーションホテルへ向かう。今夜、そして初のゼロデイを過ごす宿だ。入ってすぐクラシックな感じの綺麗なエントランスが広がっていて、きょろきょろしながらチェックインをして、部屋に向かう。Nさんは予約していなかったものの、空き部屋があったためそこに泊まることになった。夕飯はどこか外で食べることにして、それまで各自部屋で休憩。キチンとした綺麗なお部屋で、右手にユニットバス、左手にクローゼットと小さいテーブル、奥にベッドがある。右下にはテレビもあった。さあ、まずはシャワーを浴びよう。

 軽く荷ほどきをして替えの服に着替えたらもう夕飯の時間。Nさんと合流し、久慈市街のレストランマップを見ながら徒歩圏内で店を探す。肉が食べたい!と言って、焼き肉屋を探した。歩いている間に携帯できる食べ物は大体ビタミンとタンパク質に欠けているから、きっとそのせいだろう、今までにないほど肉が食べたい気分だった。無事見つかった焼き肉屋さんに入店。焼き肉がこんなにうれしいのは初めてだった。おなか一杯食べたら、足早に帰路につく。来る冬のにおいが漂う中、街灯のオレンジ色が建物を照らし、頭上に真っ黒な空が広がる街並みは祖父の家がある山形市街を思い出させた。
 ホテルに着いて、部屋に戻る。一息ついて、これから2泊することになる部屋を見渡した。長く歩くにあたって、私は5日に1回くらいのペースで歩かない日をつくることにしていた。明日は私が旅を始めて初のゼロデイになるのだ。明日の朝は早起きしなくていい。夜更かしでもしてみようと、勇み足で布団にもぐった。

焼き肉屋で頼んだクリームソーダ。イメージを飲んでいる。
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