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第38回 仙北街道(仙北道) 増田から水沢(秋田県・岩手県)

蓑虫山人が描いた水沢公園 桜の花が鮮やかに表されている(『蓑虫山人全国周遊絵日記』より(名古屋市 長母寺蔵)画像提供・一関市博物館)

平成によみがえったブナの道

蓑虫山人 仙北街道を歩く

 蓑虫山人(みのむしさんじん)は生活用具や画材が入った笈(おい)を背負い、人生の多くを全国放浪と縄文土器などの考古遺物の発掘・収集に費やした。各地で素封家の家に寝泊まりして食や酒を提供され、そのお礼として屏風絵や襖絵、掛け軸、絵巻物などを渡した。また旅の絵日記には、各地における発掘の様子や多彩な人物たちとの交流、景勝・景観が、華やかに彩色され描かれている。
 蓑虫山人は、本名を土岐源吾(ときげんご)といい、幕末が近い天保7年(1836)、美濃国(岐阜県)に生まれた。14歳で家出し各地を放浪、その後、勤王の志士になったと自称している。蓑虫山人の号は21歳のころから名乗ったようだ。
 人生の三分の一を過ごすことになる東北に入ったのは明治10年、42歳のとき。翌11年、蓑虫は秋田県から奥羽山脈を越えて岩手県に入った。そのルートが今回紹介する仙北街道だった。
 蓑虫はこの時のことを、「明治11年、秋田県より下嵐江(おろせ)を越え、険路を跋渉(ばっしょう)して水沢に至る」と、旅日記に書いている(『みずさわ』1963年・水沢市発行)。その時、水沢の戸長小岩昌(さかり)たちが新たな公園建設を計画していて、造園に造詣があった蓑虫に設計を依頼することになる。その公園が桜の名所として今も市民に親しまれている水沢公園である。

蓑虫山人肖像 独特の風貌をしていて印象深い
(長母寺蔵 岩手県立博物館提供)
街道起点 秋田側の街道起点は増田の日の丸醸造横の四ツ谷十字路
(横手市増田町増田)

胆沢城と雄勝城を結んだ最短の道

 この街道は奈良時代の『続日本紀』に、陸奥と出羽を結んだ古代五道のひとつ「柳沢」として記されている。柳沢は「手倉越え」とされるが、手倉とは秋田県東成瀬村手倉のことで、この道は「仙北道」「下嵐江越え」「仙台道」「仙北街道」などと呼ばれていた。下嵐江という漢字を本来は颪江と書いていたが、いつからかこの漢字は使われなくなった。
 この街道は秋田県側の起点を増田(横手市)としていて、羽州街道の十文字と奥州街道の築館と結ぶ小安街道から分かれていた。岩手県側の起点は水沢(奥州市)で、途中に東成瀬と胆沢(いさわ)があった。街道の核心部は東成瀬手倉から奥羽山脈を越え下嵐江までの山道で、約24キロ続く難路だった。
 朝廷軍による蝦夷(えみし)討伐の道となり、前九年、後三年合戦や戊辰戦争でも兵が行き来する戦の道になったが、普段は出羽・陸奥の人々が峠を越えて行きかう生活や文化の交流路だった。秋田側からは米や酒、川連(かわづら)漆器、樺皮(かば)細工などが、岩手側からは三陸の塩干魚、海藻、南部鉄器、漁網などが運ばれた。

天神社の力士像 東成瀬村の神社は力士像彫刻の宝庫。
各神社の軒をさまざまな形態の力士像が支えている
(東成瀬村田子内)
了翁禅師剃髪之所碑
黄檗宗の名僧侶了翁(りょうおう)はここ龍泉寺で剃髪・得度した(東成瀬村岩井川)
首もげ地蔵と追分道標 仙北街道と須川街道の追分に立つ。
道標には「左せんだい道 右おくむら道」とある(東成瀬村椿川)

やぶ刈りして復活させた街道

 この道を明治17年に馬車が通れる道路計画が持ち上がったが頓挫。幾多の曲折を経るうちに、明治20年に横手・北上間を結ぶ平和街道(現国道107号)が完成し、仙北街道の車道化計画は永久消滅した。
 交通の主流は平和街道に移り、仙北街道はやぶに覆われる道となり、いつしか忘れ去られてしまった。しかし平成2年、当時の胆沢町立愛宕公民館の成人大学講座の生徒たちが2日がかりで東成瀬村を訪問。翌3年には東成瀬村から村民が訪れ、本格的な交流が始まった。
 東成瀬村では同8年に「仙北道を考える会」が、胆沢では同10年に「仙北街道を考える会」が設立され、営林署の許可を得て毎年両側からやぶ刈りを行い、年交代で相互から行き来した。胆沢では高齢化などの理由から平成30年に会を解散。令和2年から活動を「胆沢古道の会」に引き継いだ。

柏峠 標高1018メートル。街道中一番の高さとなっている(奥州市胆沢若柳)
市野々(いちのの)番所跡
本来の番所は下嵐江にあったが、冬季間は市野々に下りてきた(奥州市胆沢市野々)
三石碑 仙北街道が奥州街道から分かれて間もない所に立つ。
右の馬頭観世音碑には「右はせんぶく道 左は衣川道」と彫られている(奥州市水沢)
仙北街道周辺の「道の駅」は、十文字(秋田県横手市)、おがち(秋田県湯沢市)、みずさわ(岩手県奥州市)、厳美渓(岩手県一関市)

【 街道コラム 】

街道の復活と保全活動

 街道の復活が果たされたが、その歴史的背景と保全活動が評価され、平成30年、文化庁によって「歴史の道百選」に仙北街道が追加選定。東成瀬村ではこの選定を機に、新たな保全活動を模索している。
 魅力的なブナ街道だが、街道の核心部は林野庁の森林生態系保存地区に指定されているため、登山道以外の立ち入りは制限されている。

写真提供:東成瀬村教育委員会

参考資料:『蓑虫放浪』望月昭秀著(国書刊行会)、『蓑虫山人と青森』太田原慶子解説(青森県立郷土館)

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