本記事では、東北各地で今もなお活躍し、或いは役目を終えて静かに眠る、そんな歴史深い隧道(=トンネル)たちを道路愛好家の目線で紹介する。土木技術が今日より遙かに貧弱だった時代から、交通という文明の根本を文字通り日陰に立って支え続けた偉大な功労者の活躍を伝えたい。
季刊誌「おでかけ・みちこ」2021年6月25日号掲載
定義如来のご利益を万人に寄せた、絶壁の隧道
仙台市青葉区大倉にある古刹西方寺は、定義(じょうぎ)如来の名で遠方にまで知られている。参詣すれば一生に一度の大願が叶うとされるが、それほどのご利益が信じられるには、人の容易く辿り着ける所であってはならなかったろう。少なくとも、仙塩地方の巨大な水がめとして日本唯一のダブルアーチ式である大倉ダムが完成し、湖畔にいまの道路が開通する昭和36年までは、高柵(たかさく)山の険悪が定義の地に平家落人の伝説を根付かせるほどの隔絶を与えていた。
ダムに立って足元の谷を眺めると、両岸尋常でなく切り立っているが、左岸の岩山が高柵(たかさく)山だ。その岩肌の一画に、明治17年に掘り抜かれた1 本の隧道が眠っている。仙台の工兵隊の協力を得て完成したといわれる、全長16メートルの素掘りの隧道で、完成後は参詣道中唄に謳われる新名所となった。昭和初期に自動車も通れるよう拡幅され、ダム完成まで仙台と定義を結ぶ県道の要衝としてあった。