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追良瀬川森林鉄道 【本編第1回】

『このレポートは、「日本の廃道」2011年12月号および2012年1月号に掲載された「特濃廃道歩き 第36回 深浦営林署 追良瀬川森林鉄道」を加筆修正したものです。当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。』

未だ知られざる

白神山地の森林鉄道に挑む。

 

所在地 青森県西津軽郡深浦町

探索日 平成23年6月18日

 

◇第1ステージ 「追良瀬地区」 その1

 

■五能線追良瀬駅前 平成23年6月18日 5:33 

 

 

 コンコンとガラス窓を叩く音にハッと目を開けると、その窓越しにいつもの穏やかなスマイルを見せるHAMAMI氏がいた。私と細田氏は、集合場所と決めていたここ追良瀬駅前に、細田氏が運転する車で前夜遅くに到着し、待ち合わせの時間まで仮眠をとっていたが、静かな朝の空気があまりにも気持ちよくて、窓を叩かれるまで寝入ってしまった。ただいまの時刻は午前5時33分。朝日は既に今日の探索地である白神山地に昇っており、追良瀬川の河口にある平屋の小駅を照らしていた。

 

 

 HAMAMI氏とも事前に計画を打ち合わせ済みなので、すぐに探索を開始する。とはいえ、いきなり山の中の探索が始まるわけではない。まずはこの追良瀬駅に、林鉄時代の名残を見つけることからはじめよう。林鉄の起点は、ここにあった。

 五能線の始発は遅い。駅前には住宅地があるが、まだ人の動きは見えない。これより海側には一軒の家もないという、自然豊かな追良瀬駅の朝を、我々はしばし独占し得た。

 

 

 1面のみのホームからはレール越しに日本海が見えた。レールと海の間には一面緑の追良瀬川のデルタが横たわっていた。林鉄の起点があったのは海側ではないので、この眺めに癒された後、我々はすぐ駅前に戻った。

 

 

 今は一面一線のホームだけがある、これ以上は小さくしようがない追良瀬駅だが、昭和9年に開業した当時は一面二線の駅だった。昭和61年に縮小されて現在の状況になった。バラストが薄ら残る写真左側の道は、旧一番線の名残だ。

 

 

 その左はもう駅の外で、真新しい住宅分譲地が広がっていた。この手のことについては察しが良い我々は、昔からある駅の駅前一等地に、こんな新しい分譲地があることに、察することがあった。

 

 

ビンゴだ!

 

駅と分譲地とを隔てる細長い草地に目を向けると、半ば草に埋もれた鉄製の柵が見えた。そしてこの柵、案の定、廃レールを用いたものだった。それも普通のレールではない。明らかに、林鉄で使われるような軽レールだった。 

 

 

 分譲地に入ってみると、真新しい道路や家屋の隙間に、場違いな赤錆色の軽レール柵が残っていた。これが何を意味するかといえば、この分譲地が貯木場であったことを示唆していた。

 追良瀬駅の隣接地には、おおよそ1ヘクタールほどの分譲地があるが、この全体が追良瀬貯木場の跡地であった。林鉄は、ここから山へ向かっていたのだ。

 なお、現在の駅の周辺には、林業関係の施設、例えば国有林の事業所や民間の製材所などは全く見当たらない。五能線内の貨物取り扱いは昭和58~59年頃に全廃されており、もはやこの駅と林業は全く結び付きをもっていない。

 

 追良瀬駅前の分譲地が貯木場跡で、林鉄の起点だった事は間違いないが、ここから集落内を抜けて国道101号を横断するまでの約500mは、どこを通っていたのだろう。現在の集落内の道路と同じところを通っていたのだろうか。

続いては、集落内に軌道跡の痕跡を探すことをはじめよう。

 

 

■追良瀬集落内 6:00 

 

 

 駅を2台の車で出発したのは午前6時。計画通りである。駅と国道を結ぶ道は、山側と川側に2本ある。線形的には、川側にある写真の道が、それっぽい。しかしここは駅前のメインストリートでもあるから、林鉄によって作られた道ではなさそうだ。駅の誕生と同時に作られたものだろう。“第三のルート”が存在したのだろうか?

 

 

■追良瀬橋北詰の交差点 6:05 

 

 

 特に手がかりを得られぬまま、国道との交差点に到着してしまった。軌道は集落内のどこを通っていたのか、全く分からないまま先へ進むのは癪に障る。もう少し辺りを観察してみよう。

 

 交差点の一方には、国道が追良瀬川を渡る長い橋がある。追良瀬橋だ。いまだ原始河川に近い姿を保ち続ける追良瀬川にとっては、数少ない古くからの文明との交渉地点といえる。嘉永3年(1850)の「東奥沿海日誌」には当地を「往来瀬村」と書いている。かつてこの川の横断は徒渉か渡船によった(水量が経る冬期は柴で仮橋が作られた)が、明治27年に最初の一年中利用できる木の橋が架けられたという。

 

 

 これは同じ交差点で、橋に背を向けて北側を撮影している。追良瀬橋を渡った国道は、すぐに急な登り坂で海岸段丘へ上っていく。集落と同じ高さを走るのは橋の前後の僅かな間だけだ。この短い区間で、いくつかの道を左右に分けている。写真の横断歩道の手前左側に、我々が駅から車で走ってきた川側の道がある。左奥の道路標識のところで左に入る道も駅に通じていて、仮にここでは山側の道と呼ぶ。

 果して、林鉄はどこを通って、国道との交差を果たしていたのだろう。昭和40年代まで存在していた林鉄と、この国道は、確かに交差していたはずである。踏切か、立体交差か。

 

 

 車から降りて、今度は山側の道へ入ってみた。するとすぐに、国道の坂道の下を潜る小さな暗渠らしきものが見えてきた。

 

まさかこれって…

 

 

 怪しい!

 

 今は使われていない暗渠に、我々の目は釘付けになった。水路、あるいは道路、もしくは鉄路、こうしたなんらかの“路”を、国道と交差させるために用意された、周到な構造物。だが、道路でも水路でもなさそうな位置に見える。これは…!

 

 私は咄嗟に駆け出すと、直前までいた交差点に面する商店の前で掃除に出ていた店主氏に、ずばり、こいつの正体を問うた。

 

決定的証言!

 

これは林鉄が国道をくぐる立体交差だった。

 

 次回、貴重な林鉄暗渠に突入!

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