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茂浦鉄道 【第8回】

『このレポートは、「日本の廃道」2013年7月号に掲載された「特濃廃道歩き 第40回 茂浦鉄道」を加筆修正したものです。当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。』

幻の大陸連絡港と運命を共にした、小さな未成線

 

所在地 青森県東津軽郡平内町

探索日 2010/6/6

 

 

◆ 7:37 築堤での小さな発見

 

 

 

土管、キター!

 

陶器で作られた土管が、小さな築堤の下を潜っているのを発見した! このような陶器の土管は、明治時代から各種水道管用として日本中で盛んに製造・埋設された、まったくありふれたものだったが、今日では樹脂製のものに置き換えられつつある。

築堤は小さな窪地を塞いでおり、窪地に水が溜ることを防ぐために、水抜きの穴が空けらるのが普通だった。これを暗渠という。暗渠には河川や道路を通すような大規模なものもあるが、こんな小さな目立たないものも膨大にあって、築堤とは切り離せない存在である。

橋やトンネルのように派手ではないが、これは立派な鉄道構造物である。おおよそ100年前の! 

ほとんど土中にあって見ることはできないが、もし発掘してつぶさに調べれば、陶管を建設した者の刻印や、もしかしたら、まだ見ぬ茂浦鉄道の社章なんていうものが刻まれている可能性も、ゼロではない。

 

築堤を乗り越えて暗渠の上流側に回り込んでみると、こちらにも陶管の一方が顔を出していた。しかもこちらは、管のど真ん前にコンクリート製の用地杭らしきものが打たれていた! 即座に色めき立つ我々! 

もし杭に、「茂浦鉄道株式会社」の文字や、社章らしきものでも刻まれていたら、本当に一大事だった。が、どうもこれは明治のものではないようで、上部に十字が刻まれている、今日どこでも目にするありふれた用地杭だった。

そして、こうして近づくまで気付かなかったが、土管は通水不良に陥っているようで、この上流側に水溜まりが出来ていた。我々はこれを見て、すぐにあることを始めたくなった。暗渠の復活だ。もう数十年ぶりかも分からない通水の悦びを、未成鉄道の哀れな暗渠に、思い出してもらう事にした。

 

調べると、下流側の出口が詰まっているようなので、お掃除作業の開始だ!

 

 

現地調達の木の枝を武器に、土管の下流側出口付近を塞いでいた土や枯れ枝を退かしていくと、突如ドバッと澄んだ水が流れ出した。やはり土管は生きていた! 100年近くも前に埋められた土管が、その機能を取り戻したのである。感動というありふれた言葉を使うのが勿体ないくらい、萌えた。

 

 

築堤での小さくとも熱い発見をあとに、その直後に見えていた、半ば崩れかけたV字掘割への進軍を再開する。

入口こそ狭かったが、奥はあまり崩れておらず、十分に掘割の形状を留めていた。真っ直ぐ続いていて、気持ちが良い。小回りの利かない鉄道らしさが満ちていて、嬉しい。

 

 

50mほどもある長い掘割で、地形図に主計線として描かれている舌状の小尾根を通過した。その先は再びの築堤だ。また、この辺りから緩やかな左カーブが始まっており、徐々に北から西へ進路を変えていく。茂浦集落も茂浦港も、西にある。

同時にこの辺りから、目に見えて下り勾配が強まった。明治時代の非力な蒸気機関車が、港に出入りする貨物を積載して、喘ぎながら力走する光景を空想した。

カーブと勾配、そして蒸気機関車。周囲の鬱蒼たる杉林が、全ての見晴らしを奪っているが、もし木々の代わりに鉄道が育っていたら、かの有名な狩勝峠旧線を少し小さくしたような、それでも十分壮大な鉄道風景が、ここに生まれ得たかも知れない。

 

 

 次回、茂浦鉄道“最大の遺構”が姿を見せ………つつある!

 

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