『このレポートは、「日本の廃道」2013年7月号に掲載された「特濃廃道歩き 第40回 茂浦鉄道」を加筆修正したものです。当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。』
幻の大陸連絡港と運命を共にした、小さな未成線
所在地 青森県東津軽郡平内町
探索日 2010/6/6
◆ 7:08 茂浦側坑口 跡地
隧道は完全埋没!
書き加えたラインは、建設されるはずだった路盤の推定位置だ。真っ直ぐな掘割の正面を塞ぐ、柔らかな崩土の斜面。これまで私がオブローダーとして日本各地で数百回以上は目にしてきた、自然の崩落によって埋没してしまった隧道坑口跡地の典型的な地形が、ここにあった。
これは、前の画像の矢印の位置に隠されていた、錆びた鉄板だ。全部で5枚前後重ねられていた。正体は不明だが、夢のある想像を述べるならば、かつて隧道が開口していた時期があり、危険防止のため塞ぐために使っていたという説がある。
改めて、地形をよく見た。黄色い線は、想定される坑口の位置だ。完全に埋没していて、開口していない。
この状況は残念だが、想定の範囲内であり、ショックは小さかった。
また、探索を行なった平成22年は、まったくの偶然だが、茂浦鉄道の工事が行われたといわれる明治43年のちょうど100周年であった。
ここに隧道が実際に掘り抜かれたかについて、確信を持てるような遺構の状況ではないものの、隧道直前の掘割までは明確に存在していたことが確認できた。隧道の予定位置も確定出来た。これは大きな成果だった。
なお、隧道開口の可能性は、まだ完全に潰えたわけではない。この後に行なう予定である、隧道の反対側にあたる小豆沢側での捜索に期待を繋ぎたい。
地図にここまでの探索の成果をまとめてみた。今回の探索で初めて確認できた茂浦鉄道の遺構は、隧道擬定地点に通じる深い湿地化した切り通しと、その手前の杉林の林床に刻まれた長くて浅い掘割だった。これらの全長は、おおよそ200m。
次に我々は、この発見した杉林の掘割を引き返す方向に辿りながら、改めて茂浦集落までのルートを調べることにした。この区間には、唯一の事前情報に含まれていた「溝橋」の発見が期待できるので、とても楽しみだ。往路で見逃した遺構は、いったいどこにあったのか。
埋没した坑口擬定地を後にしつつ、周辺の地形をさらに精査した。
一般的に、隧道の工事が行われた痕跡の地形として、坑口の周辺に残りやすいのは、大勢の労務者を収容する飯場の敷地跡や、掘削された残土(ズリ)を捨てたズリ山である。我々は20分程度も坑口跡の周囲を散策し、こうした隧道工事の痕跡を探し求めた。
工事の中止から時間が経ちすぎているせいもあって、確定的な痕跡を見つける事は出来なかったが、隣接する南側の山中で、写真のような段々の地形を確認した。この段の上も下も広く均されたような林地になっており、飯場用地やズリ山の可能性がある。
次回、明確な鉄道工事の遺構を発見?!