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第24回 板谷街道(米沢街道) 福島県・山形県

旅人が見た とうほく街道ものがたり

季刊誌「michi-co」2018年3月25日号連載記事

 

米沢藩廻米の道

藩境となっていた産ヶ沢(蟹ヶ沢)。街道はここを通っていた。上流からの土砂の流入が多く、砂防ダムが建設されている

前田慶次が越えた峠の山道

漫画「花の慶次」で有名になった戦国時代の武将・前田慶次。「かぶき者」などの呼び方をされることもあるが、和歌や俳諧をよくした文化人だったとする研究者が多い。慶次が残した『前田慶次道中日記』では、万葉集や古今集から歌枕を詠んだ古歌をひき、自ら見聞きした旅の様子と比較している。

慶次の正確な生年は分かっていない。後に加賀百万石で知られる前田利家の兄、蔵人利久に母が嫁いだため、前田の姓を名乗るようになった。天正18年(1590)に前田家を出奔し、京都で交友のあった直江兼続の誘いがあったのか、兼続が仕えていた上杉景勝に士官したとされている。

豊臣秀吉が死去した後、各地で戦乱が繰り返された。最上と争って敗れた上杉は、家康により会津百二十万石から米沢三十万石への移封を命じられ、京都にいた慶次も上杉一行を追い、米沢に向かうことになった。

宇都宮まで中山道、街道を使い、その後、奥州街道を北上し、福島の手前にある八丁目宿から板谷街道で米沢城下に向けて雪の板谷峠越えをした。

この26日間にわたる旅の様子が、先に紹介した道中日記に記されている。日記からは歌枕の地に足を止め、名勝・旧跡を訪ね、歌を詠み、各地の民話やことわざに耳を傾けるという、好奇心旺盛な慶次の姿が伝わってくる。また、酒を好んだらしく、福島の大森宿では酒がなく、身体が温まらないことを嘆いている。

善光寺境内に立つ前田慶次供養塔 (米沢市万世町堂森)
福島河岸の米沢藩米蔵跡 阿武隈川の福島河岸脇に復元されている(福島市御倉町)
笹木野宿の追分道標 台座に「北ふくしま 西よねざわ 南たかゆ」と彫られている(福島市笹木野)
李平宿跡 高津森林道を使うが、かなりの悪路のため注意したい(撮影・平成19年5月)

 

米沢藩単独の参勤交代路

板谷街道は福島の松川宿から、元禄年間(1688〜1704)以降は福島城下を起点として西に向かい、大森、庭坂、、国境のを通り、板谷峠、大沢、関根、米沢へと続く街道だった。米沢街道、福島街道とも呼ばれたこの道を、参勤交代に利用したのは米沢藩だけだったため、街道の多くを米沢藩や、米沢城下の商人たちの組織・米沢物産会所が整備した。

米沢藩にとっては、領内の年貢米を江戸に廻米し、また特産品を全国に運び出す要路だった。廻米は牛や馬の背に乗せられ、険しい板谷の峠道を越えて、現在の福島県庁近くにあった阿武隈川の福島まで運ばれた後、川を下し、太平洋沿岸を南下する東回り航路で江戸に届けられた。

街道沿いには宿場が設けられ、参勤交代や旅人の便をはかったが、道は深い山中を通っていたため、今では容易に訪ねていくことが出来ないところもある。その一つが李平宿で、明治14年の開通によって交通路が変わったことと、大火に見舞われたことが重なり、大正7年頃に全村移転し廃村となった。宿場跡には「史跡李平宿場跡」「李平宿開村三百七十年記念供」「古川善兵衛自刃之地」の木柱が立てられているが、訪れる人もなく、ひっそりしている。

板谷峠の敷石道 JR奥羽本線板谷駅近くに残っている(山形県米沢市大字板谷)

大野九郎兵衛の供養碑 赤穂藩浅野家の家老だった大野が、吉良邸討ち入り後、碑の近くで自刃したという伝説がある(米沢市馬場平)
普門院 上杉鷹山公が師の細井平洲をここで出迎えた「敬師郊迎跡」とされている(米沢市大字関根)

 

時代とともに変わる道路

福島と米沢を結ぶ道は、時代とともにルートを変え、変遷を重ねている。板谷街道の開削は、伊達氏が福島県伊達郡の西山城から米沢に本拠を移した天文年間(1532〜55)といわれている。

先にも書いたが、板谷街道は明治14年に開通した万世大路に交通の主役の座を奪われ、急速にさびれた。その万世大路も明治32年(1899)の奥羽本線の開通で列車に旅客や荷物を奪われたが、その後、自動車が主役の時代となり、万世大路は国道13号と名称を変え、栗子トンネルを通る新ルートが昭和41年に開通したため廃道となる。さらに平成29年11月4日、東北中央自動車道の福島〜米沢間が開通し、国道13号を利用する車は激減した。

 


街道コラム

万世大路に残る土木遺産・栗子隧道福島側坑口

万世大路研究会

全国の廃道愛好家の間で、絶大な人気を誇るのが万世大路だ。明治14年に掘削された長さ866メートルの栗子山隧道、昭和11年に竣工した栗子隧道、二ツ小屋隧道などが現存し、何本もの橋脚が残されている。

この廃道を調査研究しているのが、阿部公一会長、山口裕子副会長のもと活動している「万世大路研究会」だ。現地調査による報告書の作成(入手不可)を始めとした活動で、万世大路の価値と魅力を世に知らしめている。

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