今日のお話は、校長先生が小学校に入学する前の本当に小さかった頃のお話です。
昔は、ケンナンバスが市内を走っていました。ケンナンバスは、赤と白のツートンカラーで、どこか消防車に似ているし、なんかパトカーにも似たところもあって私はバスに乗るのが大好きでした。
昔のバスは今と形が違っていました。犬の鼻のように、先が前に突き出したボンネットバスと言われるバスでした。ワンマンバスではなく、女性の車掌さんも乗っていて、車内で切符を買ったのです。
座席も、窓側に沿って横長の椅子で、バスの内部をかこっていました。きっとバスを利用する人が今より多がったのでしょう。立って乗るスペースを広くして、たくさんの人を乗せたんだと思います。それでも、昼は空いていました。私は、いつも座席に後ろ向きで両膝をつき、窓に肘をついて外を眺めました。でも、靴を脱がないとお母さんに叱られたのでした。
ある日、いつものように街からの帰り、お母さんと市内二十分のバスの旅を楽しみ、カミナカシマのバス停で降りようとする時でした。私たちの前には、きちんと背広を着た見知らぬおじいさんがいました。おじいさんは、なかなかバスを降りずに若い女性の車掌さんに何度も頭を下げています。私たちはしばらくして、おじいさんがなぜ頭を下げているのかわかりました。おじいさんは、お札しかもっていなかったのです。
昔のことですから、バスの運賃は大人でも二、三十円、子どもはその半額の十円程度でした。おじいさんには硬貨がなく、五百円札か千円札を車掌さんに出したのでしょう。車掌さんはプンプン怒って、取り合ってくれません。おじいさんは困り顔で、もうしわけなさそうに頭を下げるばかりです。しばらく、そのやり取りを見ていたお母さんは、もう一度手にしていた財布をあけ、持っていた自分たちの運賃のほかに、おじいさんの運賃を取り出し、
「はい、これ」
といって、車掌さんに渡したのです。おじいさんは、やっとでバスを降りることができたのです。
先に降りていたおじいさんは、私たちを待っていました。
「ありがとうございました。本当に助かりました。あとでお返ししますので、おところを教えてください」
と、お母さんにたずねました。お母さんは、
「なに、少しばかりですからお気遣いなく。困った時はお互い様ですから」
と、笑ってその場を離れたのです。何度もお礼を述べるおじいさんの声を聞きながら、私たちは帰り道を急ぎました。
「おかあさん、いいことしたね。おじいさんを助けたね。でも、あの車掌さん、ひどく怒ってたね。おじいさんがかわいそうだった」
というと、お母さんは、
「いや、おつりがなかったんでしょ。まだ若い車掌さんだもの、お金を受け取らないで降りていいですよ、とは言えなくて、きっと車掌さんもこまってしまったのよ」
と言いました。
「へえー、そうか」
と、予想外のお母さんの言葉に少し驚きましたが、なんだか、お母さんの背中が大きく見えたことを、もう六十歳近くになる今でも忘れることができません。

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うわぁ~、車掌さんが乗っていたバス、懐かしい!ワンマンカ―になる前はそういうバスでしたね。でもまだ経験が浅そうな車掌さん、ぷんぷん怒ってばかりではチョット・・・。
お母様の「困った時は、お互い様ですから」の言葉に、おじいさんや車掌さんだけでなく、バスに乗っていた人たち、みんなが救われたと思います。
さりげないお母さんの気遣い、あったかいですね。
私もお母さんの背中からしっかり学ばせていただきました。
こころがあたたかくなりました。
私にも幼いながらに、父や母の行動や言動に大きさを感じた思い出があります。
そんな私は、息子にそんな背中を見せれてるのかな…?
ちょっと自分を見つめなおしてみるキッカケになりそうです(苦笑)