(このお話は連載、第19話「くつかくし」、第21話「消えた集金袋」、第23話 「踏み外した一歩」の完結編です)
マツダ学級のクラスメートも25歳になりました。
高校を卒業して地元やほかの町で就職した者、大学進学のために上京し、そのまま故郷を離れてしまった者などさまざまでした。社会人になってからは、めったに会うことはなくなっていました。
私は、大学を卒業して一般企業で働いていましたが、教員になることをあきらめることができませんでした。教員志望は紛れもなくマツダ先生の影響です。
マツダ先生は休み時間になると、私たちと一緒に外に出て、よく遊んでくれました。話し好きで、授業をよく脱線し、小さかった頃の楽しい思い出や失敗談などを、面白おかしく話してくれました。やんちゃが多く、マツダ先生を困らせました。怒れば、恐い先生でしたが、時には涙をにじませ真剣に叱るので、私たちのことを思って叱っていることが心に沁みるほどわかりました。そんなマツダ先生に憧れたのです。
会社を退職して教員を目指すことを報告しようとマツダ先生に電話しました。先生は、もう既に母校から離れて別の学校に勤務していました。改めてその学校に電話すると、マツダ先生は教頭先生になっていました。しかし、驚いたことに、学校で倒れ現在、入院中だというのです。私は長い間の不義理を悔やみました。
マツダ先生をお見舞いしようと、私の知る限りのクラスメートに連絡しました。しかし、伝えられたのは半分ほど、遠くに住む者も少なくありませんでした。しかし、とにかく伝言でもと家の方にお願いしました。
サキにも連絡しました。マツダ先生が倒れたことに驚いていましたが、サキ自身も相談したいことがあると、近いうちにマツダ先生に連絡しようと思っていたということでした。
サキは、言葉を選びながら、その内容を私に話してくれました。
小さな頃、仲良しだった友達を裏切り、おとしめてしまった。警察官になったある日、勤務中に偶然、その友達と再会した、しかし、事情があってその友達を補導しなければならなかった。友達は、(放してくれ)、(逃がしてくれ)と頼んだが、私にはそれができなかった。それから、こんな私が警察官をしていていいのか、という疑問と迷いが離れない、というのです。
サキは職務上、個人名は明かさなかったので誰のことか、何のことかよくわかりませんでしたが、
「そんな小さい頃の話など、もう誰も気にしてないし今、警察官なら、警察官としての職務を全うするだけだから、気にする必要はないんじゃないか」
と話しました。
すると、サキはこれまでも信頼する警察官の上司や先輩に相談したけど、みんな私と同じことを言った、というのです。でも、自身の心の中は全く解決できていない。マツダ先生に相談してみて、それでも心の中が落ち着かないのなら、警察官をこれ以上続けられない、というのです。
私が思っている以上、サキの心の迷いは深刻であることが分かりました。私は、マツダ先生は入院中だから、状況を見ていつか相談してみればいい、としか話すことはできませんでした。
マツダ先生のお見舞いに行きました。
幸いなことにマツダ先生はことのほか元気でした。過労が原因で、循環器に支障をきたしたということで、2週間ほどの入院で、もう明日、明後日には退院するということでした。
集まったのは5人。勉強がよくできたヨッチは医者になったばかりのインターン、フジ子は介護支援専門員で老人介護施設に勤務、おじいちゃんの代から続く床屋さんをお父さんと一緒に営んでいるアツシ、警察官になったサキ、そして教員志望の私でした。
「いやー、みんなに心配かけたんなだぁ、これこのとおり、なんともないから。今年、教頭先生になって、少し張り切りすぎちゃったんだ。学校のためにと思って、何でもかんでも仕事引き受けちゃってね。逆に、迷惑かけてしまったよ。みんなを教えていた30代の頃とは違って歳とったってこと、よーくわかったよ、ハハハハハ」
元気なマツダ先生にみんなひと安心し、お見舞いというよりちょっとした同級会になりました。楽しく30分も談笑していたころでしょうか、赤ちゃんを抱いて病室に入ってきた同級生がいました。
なんと、トモ子でした。
「遅くなって、ごめん」
みんな赤ちゃんを抱っこしているトモ子に驚きました。フジ子とアツシが聞きました。
「トモ子の赤ちゃんなの?」
「トモ子、結婚したの?」
トモ子は笑顔で応えました。
「そう、去年結婚してね、この子はもう6か月の男の子よ」
ニコニコしているマツダ先生は、何もかも知っているようでした。
「トモ子はいま幸せの絶頂だもんな、カッコよくて頼りがいのある旦那さんと赤ちゃんも授かってな。結婚式のスピーチで、早くお子さんをって言ったけど、そうか、もう6か月になったんだ。順調すぎるな、ハハハハ」
ヨッチが言いました。
「順調、順調!小児科医でも産婦人科医でもないけど、母子ともに健康に育ってると、耳鼻科医のボクが保障するよ」
「ハッハッハハハハハハ」「ハハッハッハ」
みんなで大笑いしました。
マツダ先生はトモ子に聞きました。
「トモ子、仕事はやめたのか?」
「いえ、仕事はやめてません。今、育休中だけど、もう少し大きくなったら、お母さんにこの子のお世話を手伝ってもらって、また保育園に復帰するわ」
それまで、ほほ笑みながらみんなの会話を聞いていたサキが口を開きました。
「……トモ子……保育園の先生になってたの?」
「うん、サッちゃん。あの時は、ありがとう……」
みんなは何のことか分かりませんでしたが、マツダ先生はニコニコしていました。サキが応えました。
「……ありがとう…って……トモ子、あの時はごめんね、私、もうトモ子とは一生会えない、と思ってた。小学校の頃からいろいろとひどいことをして……ごめんねトモ子……」
「ううん、そうじゃない。私は、いつもサっちゃんに助けてもらってたわ。大事なところでサッちゃんはいつも私を救ってくれた。高3の夏、ソフトボールでミスをして落ち込んだ時も、ずっとそばにいてくれて、家まで送ってくれた。私が荒れていた時も……」
「トモ子……。ほんとにごめん」
「そうじゃないよ、あの時もサっちゃんが私を立ち直らせてくれた。もし、私がサっちゃんを振り切って逃げていたら、多分、もう取り返しのつかないところまで、落ちてたと思う。でも、サっちゃんはしっかり私をつかんで離さなかった。私をちゃんと捕まえていてくれた。だから…ありがとう、サっちゃん。あの後、私はこれじゃだめだ、サっちゃんのように自分も小さな頃からの希望を叶えようと、勉強して短大に入り、念願の保育師になれたの。そこで役所勤めの彼と知り合って、今この通りよ。ほんとにありがとう、サっちゃんのお陰よ」
マツダ先生はニコニコして聞いていました。私たちは、詳しいことは分からないけれど、何かしら目には見えない太くて深い絆がサキとトモ子をつないでいるんだなぁ、と思ったのでした。
元気なマツダ先生に安心して病院を後にしようとした時、マツダ先生は私たちに言いました。
「みんな、今日はありがとうな。みんな来てくれて本当に元気回復したよ。みんな仕事に就き、立派な大人になったことが何よりだ。今、気付いたんだけど、ヨッチの医者にしろ、フジコの介護支援しにしろ、警察官も床屋さんも保育師も教員も、直接、人にかかわる仕事をしてる。人にかかわるってことは、とてもストレスがたまることだと思う。でも、それは直接、相手を癒したり、励ましたり、その人の人生を応援したりできるってことだから、苦労もするけど、やりがいはあるぞ。やりがいは、生きがいにつながるからな。私も教員でみんなを担任して幸せだ。教え子の成長が、私の生きがいだからね。みんなが何歳になっても、いつまでも学級担任に変わりはないからな。この先もずっと応援してるぞ」
マツダ先生の一言にみんな「はい」と返事をしました。
特に、サキとトモ子はすべてが解決したような晴れ晴れとした笑顔で、大きくうなずいたのでした。(完)

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校長先生、マツダ先生に出会えてよかったですね!「マツダ先生の様な先生になりたい!」という憧れの人がいるのは、本当に幸せなことだと思います。
トモ子のその後も気になっていました。ちゃんと立ち直って夢だった保育士さんにもなって、幸せな家庭まで持って安心しました。
サキの悩みは思ったより深かったんですね。トモ子を傷つけた自分を許せないと思うより、その失敗を挽回しようと前向きに頑張って欲しいと思います。失敗しない人なんていません。失敗をどう挽回しようと生きて行くかが大切だと思います。サキ、自分に誇りを持って頑張れ~!「くつかくし」の完結編が希望に満ちていて嬉しくなりました。若いみんなの未来に幸あれ~!!
今回はマツダ先生のお見舞いというより、むしろ学生たちの同級会だ。学生たちが社会人になって仕事につけたことは一番すばらしいことです。先生も誇りに感じてます。
サキさんの職務によって、トモ子さんを補導しなければならなかった、それは正しい判断です。やはりトモ子さんが補導されて自分の行為を反省します。踏み外した一歩を元に戻します。
トモ子さんは希望を叶えようと努力して念願の保育師になります。
サキさんとトモ子さんはわだかまりが消えました、仲良く戻りました。これは見事ですね。
松田先生が「みんなを担任して幸せだ。教え子の成長が私の生きがいだからね。みんなが何歳になっても、いつまでも学級担任に変わりはない。この先もずっと応援してるぞ」といいました。これから先生と学生たちの絆はとわになりました。