(このお話は第19話「くつかくし」、第21話「消えた集金袋」の続編です)
中学校を卒業したサキとトモ子は、それぞれ希望する高校に進学し、3年生になりました。中学時代、ともにソフトボール部で活躍していた二人でしたが、別々の高校に進学し、それぞれソフトボールを続けました。サキは、ある公立高校でエース兼キャプテンとしてチームの中心でした。しかし、全国大会を目指すようなチームではありませんでした。
一方、背丈がぐんと伸びたトモ子は、県内有数のソフトボール強豪校に進学しました。しかし、自信が持てない性格がもたげてきたのか今一つ、選手としてアピールできず、いつも補欠でした。
全国大会へとつながる、ある夏の大会でした。
サキのチームは前々日、早々に敗退したものの、トモ子のチームは順調に決勝にコマを進めていました。レフトのレギュラー選手がけがをしたため急遽、先発で出場することになったというトモ子からのメールで、サキは応援に駆け付けました。
決勝の相手はいつも優勝を争うライバル校でした。全国大会の切符を懸けて、お互い一歩も譲らず0対0のまま、7回の最終回を迎えました。
トモ子のチームは、相手チームのエースに完全に抑えられていました。しかし、最終回の表、エラーで出塁した打者が足を絡めてこの試合はじめて3塁に達し、スクイズで執念の1点を奪ったのです。
その裏です。相手も必死です。2アウトになりながら、連続ヒットとフォアボールで満塁となりました。
サキはトモ子だけを応援していました。
というのは、緊張の続くゲームで見せるどこか不安そうな、自信なさそうなトモ子を感じ取っていたからです。
「トモ子、がんばれ……あと一人だ。トモ子、がんばれ…」
相手チームのランナーは、ピッチャーが投球するたびに、走るしぐさでけん制します。打者もファールで粘ります。しかし、最後の打者が打ち上げたボールは、ふらふらとレフトにあがりました。イージーフライです。
サキは、
「勝った……」
と思いました。
レフトの守備についているトモ子は、ゆっくりと落下地点に移動し、捕球しようとグラブを構えました。
その時でした。トモ子は、グランド内の小さなくぼみに足を取られ、転んでしまったのです。無残にも、ボールは転んだトモ子の傍らにポトリと落ちたのです。
最終回、ツーアウトからの大逆転勝ちに狂喜する相手チームを前に、トモ子はしばらく立ち上がることができず、チームメートに支えられてなんとか、ゲームセットの挨拶に並んだのでした。
その後は、気丈にふるまっているように見えるトモ子でした。しかし、サキは幼い頃から知っているトモ子の心中が痛いほどわかりました。試合が終わって、誰もいなくなった球場の外で、トモ子は一人、しゃがみこんで泣いていました。かける言葉も見つからないサキでした。
トモ子は泣きながらサキに言いました。
「サッちゃん、応援してくれたけど……わたし…」
「でも、精一杯やったじゃない……」
トモ子は泣きじゃくるばかりでした。しかし、声を振り絞って、
「サッちゃん、わたし……今日でソフトをやめる……いつも、みんなに迷惑をかけて……サッちゃんがいないチームでソフトをする力なんか、わたしにはなかった……」
サキは、いつまでも泣きやまないトモ子の肩を抱きながら、家まで送っていったのでした。
その後、サキには、トモ子がソフトボールを一切やめたこと、目標を失ったトモ子の生活が乱れはじめていることが、聞えてきました。
サキは高校を卒業した後、かねてから夢見ていた婦人警察官の道を志しました。
約1年間の警察学校での研修を積んだあと、晴れて警察官となり、生活安全課に配属となりました。
その日は、夜勤でした。ゲームセンターから、不良少年が酔ってゲームセンターに居座り、他の客に迷惑をかけている、と通報があり、先輩の男性警察官とゲームセンターに行くことになりました。着くと、5,6人の若者がタバコを吸って、ゲームに興じて大騒ぎをしていました。若者らは、警察官の姿を見つけると、その場から逃げ去りました。しかし、先輩警察官は、その中の一人の女の子の腕をつかんで逃がしませんでした。
「この子を確保していろ」
そう言い残して、逃げた若者を追いかけました。
サキは、暴れる女の子が逃げないようにしっかりと羽交い絞めにしていました。
「放せよっ!」
その声に聞き覚えがありました。いや、声を聞くまでもなく分かりました。
トモ子でした。
酒とタバコのにおいをプンプンさせています。サキは羽交い絞めにしたままつぶやきました。
「……トモ子……」
トモ子も、自分を後ろから羽交い絞めにしている警察官をサキと分かり一瞬、動きをとめましたが、すぐにまた暴れて
「おい、お巡り、なんでオレの名前を知ってるんだよ、放せ……放せよ」
仲良しだったトモ子を今、羽交い絞めにしている状況をサキ自身が理解できませんでした。
「放せ、放せよ……。オレを知っているんなら、放せよ」
トモ子も警察官がサキだと分かっていながら、サキの名前を呼ぶことはありませんでした。お互いに、この状況を理解できないでいたのです。
それでも一瞬、サキはトモ子を放そうか、と思いました。
暴れて逃げられたことにすればいい、と頭をかすめました。しかし、
「トモ子、ごめん……できない。……放せない……トモ子、ごめん…。」
涙があふれてきて止まりませんでした。
やがて、先輩警察官が戻ってきました。
「若いから、逃げ足は速いな、逃げてもすぐ身元はバレるのに。あ、ちょっとあなた、何歳?」
トモ子に聞きましたが、トモ子はそっぽを向いて暴れています。サキは羽交い絞めにしたまま代わって答えました。
「19歳です」
「知り合いか?」
サキは、ただうなずきました。先輩は、なおも暴れるトモ子を見て
「パトカーに乗せるまで、つなぐか?」
縄か手錠をかけて逃げられないようにするか、という先輩の言葉にサキは、
「やめてください。おねがいします。私がつれていきます」
と懇願したのでした。
警察署に着いてから、トモ子は少しずつ落ち着いてきました。トモ子に補導歴はなかったので、保護者を呼んで飲酒とタバコについて注意をし、引き渡すことになりました。トモ子がサキに言いました。
「……お巡りになってたのか……」
落ち着きを取り戻したトモ子は、はじめてサキに向き合い、話しかけました。しかし、これまでのようにサッちゃん、と呼びません。今、グレている自分が、仲良しだった頃と同じようにサキの名前を口にすることはできなかったのです。
サキは応えました。
「…トモ子……おかしいでしょ?……私、小学生の時にトモ子に罪を着せようとして、私の体操着をトモ子の服袋に入れて……そんな私が偉そうに警察官なんて……おかしいよね……」
トモ子は何も言いませんでした。
しばらくして、トモ子のお母さんがやってきました。先輩が補導に至った事情を説明して、今後は保護者としてしっかりと監督するようにと伝えました。
先輩が席を立つと、すっかり落ち着きを取り戻したトモ子はお母さんに
「…ねえ、このお巡りさん……」
とサキに視線を促しました。サキは少し驚きながらも
「サキです。この私が警察官になってここにいるのは、おかしいのですが……」
「あっ、サキちゃん、サキちゃんだね。立派な警察官になったんだね。トモ子も少し見習ってほしい。うちのトモ子はソフトボールをやめてから、荒れてね……」
その時でした。
「遅くなって、すみません」
と、急いで入って来たのは、マツダ先生でした。
「誰が呼んだの?」
驚いたトモ子が聞くと、お母さんは
「私がね、お願いしたの。トモ子がもとのように戻ってほしくて……」
サキも驚いて
「マツダ先生!サキです」
「おー、サキか、警察官になったと手紙をもらってたが、まさかここで会うとはなぁ……」
トモ子は、何も言わずに涙を浮かべています。
マツダ先生は目に涙をうかべながら、トモ子に話しかけました。
「……トモ子、…トモ子、何ともないよ。一歩だけ踏み外しただけだ……私が悪いんだ…小学校のとき、トモ子はクラスで一番、気持ちも体も小さかった。そんなトモ子に、何か自信を持たせなきゃいけないな、って思ってたけど、それができないまま卒業させてしまった……ごめんな、トモ子…でも、トモ子、何ともないよ。きっと、踏み外した一歩をもとに戻せるから、トモ子ならできる。トモ子のことはよく分かってるから…。何ともないよ……」
マツダ先生は、子どもたちがどんな悪さや失敗をしても
(何ともないよ)
と、言うのが口癖でした。何ともない、大したことはない、と悪さや失敗を受け入れ、子どもたちを安心させるのでした。それを思い出したのか、これまでこらえていたトモ子の涙が一気に吹き出しました。
「せ、せんせいーっ!!」
嗚咽とともに、声を上げて泣き出したのでした。
お母さんも、サキも泣きました。
サキの涙は、それでもトモ子に申し訳ないという気持ちと、自分はこのまま警察官をしていられるのだろうか、という迷いの涙でもありました。

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トモ子の変貌には驚きましたはが、本当にマツダ先生はいいい先生だなあと感心しました。
卒業して何年も経つ教え子の所へ来て、「なんともないよ。踏み外した一歩は、また元に戻せるからね。」と親身になっておっしゃってくださるなんて。
トモ子もサキも本当に「一生の恩師」に巡り会えましたね。トモ子はちゃんと元のトモ子に戻れると私も信じています。
まるでその場で試合を見ているように臨場感あふれる文章が素晴らしい。読者も緊張して試合の様子を見ている様に感じる。7回の最終回の表、やっとトモ子のチームは1点を奪った。相手は2アウトになりながらも連続ヒットで満塁となった。打者が打ち上げたボールはふらふらのイージーフライだ。窪みのせいでトモ子が転んでしまったが、もしあのボールをキャッチしてたら勝っていた。残念ですね。トモ子は悔しく、がっかりした。ミスをしてしまったけど、すべての責任を担うのは重すぎるでしょう。トモ子は小学生の頃のトモ子に戻れるように挫折を克服して頑張れ!マツダ先生はサキやトモ子が尊敬し、信頼するいい先生だ。台湾には「一日為師、終身為父」という諺があります。意味は 「1日でも自分の師になったら、一生自分の父母として敬う」 という意味です。