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第15話:望(のぞみ)

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教員として過ごした三十五年間を経てなお、子ども達や先生方、保護者の皆さんに伝えておきたいことが少なくありません。その思いで自費出版した「お天道様は見ています〜校長先生のおはなし〜」の続編やこぼれ話をお伝えいたします。お子さんと一緒に読んでみたり、かつての自分を思い出したりしながらお付き合いください。
まいにちみちこ編集室
https://my-michi.com/column/76954238/21853

子どもは、いろいろな家庭事情を抱えて育っています。子どもはみんな温かい家庭で育ってほしい、と誰でも思うでしょうが、子どもにとっても、親にとっても、うまくいかずに苦しい現実に直面することもあります。しかし、そんな中にあっても子どもは子どもなりに、親は親なりに、希望を失うことなく、乗り越えていこうとするものです。そのことを教えてくれた母と子どもの話です。

 

教員になって3年目に出合った望(のぞみ)くんのことを、忘れることができません。望くんは、転入生でした。

 

新年度が始まり、新しい学年や学級になじんできた4月の下旬、望くんは私のクラスに転入してきました。始業式の朝に転入生があるのが普通です。この時期に、受け入れるというのは、珍しいことでした。

望くんは、民生委員の方と母と妹と一緒に学校に来ました。聞くと、母と二人の子どもは3月の下旬、父親から逃れて、知り合いもいない東北に来たのだそうです。父親の建設会社が倒産してから、家族は借金取りに追われ、父親は酒を飲んで家庭内で暴力を振るうようになり、子どもにまで手を挙げる状態になったので、お母さんはたまらず、子どもを連れて家を飛び出したということでした。しかし、借金取りや父親が居場所を探すのではないかと、ひっそりと空き家に身を隠していたというのです。望くんの額にはお父さんから殴られたのでしょうか、青あざがありました。当然ながら、1年生の妹にはランドセルもなく、入学式も経験していませんでした。

 

特別な事情を抱えていたので、外部からの問い合わせには応じないことや本名を公表しないことになりました。幸い、その後に大きなトラブルはなく、望くんと妹は毎日登校しました。生活が安定してきた6月ごろからお母さんもホテルのレストランに勤めるようになりました。望くんは口数こそ少ないものの、妹の面倒をよく見る、しっかりしたお兄ちゃんでした。

 

間もなく学年末となる2月、突然、望くんのお母さんが学校を訪れました。子どもたち二人を施設に預けて結婚するというのです。「なんで?」と、とても驚きました。その時は、「もう決めたことですから」とだけ言って、お母さんは勤め先に急ぎました。

詳しい事情は、わからないまま施設に入る日が近づきました。望くんは、いつもと変わらないように見えました。

 

施設に行く前日、10か月間一緒に過ごした学級では、望くんのお別れ会をしました。その日の夕方、お母さんが学校を訪れました。お母さんは、私にお話ししたいことがあるということでした。

30歳になったばかりの私より、一つか二つ若いお母さんでした。お母さんは、あまり歳の違わない私に、つらい子ども時代のことから話し始めました。

 

・・・小さな頃に父親が職場の事故で亡くなった後、母は再婚し、新しいお父さんとの間に子どもが二人生まれました。そのころから、父親は先の父の子である私につらく当たるようになりました。母も父に遠慮して、小学校を終える頃には、見知らぬ子供のいない夫婦に養子に出されました。しかし、何十年と子どもがいなかった夫婦に思いがけなく子供が授かりました。私は、ここでも居づらくなり、高校を中退して家を出て働くことになりました。その頃、実家の建設会社で働く、夫と知り合い、望をお腹に宿したまま19歳で結婚しました。やっとで幸せになれると思ったのですが、半年後、会社を経営する夫の父親が脳卒中で急死し、その後、会社は坂道を下るように経営が悪化しました。それでも8年間なんとか、子どものためにと働きました。しかし、借金取りに追われる夫は酒を飲み人が変わったように暴力を振るうようになり、着の身着のままで子どもを連れて逃げてきました。

こちらに来て、ホテルのレストランで働き始めてから、レストランに仕事に訪れた15歳年上の男性と知り合いました。私は、不幸な運命を背負って生きていく覚悟を決めていたのですが、彼は私の境遇を深く理解し、慰め、温かく接してくれました。彼自身も40歳を超えて、生涯独身のつもりでいたということですが、私とは運命の出合いだったと話してくれました。

その後、私たちはお互いの心を確かめ合い、結婚を約束しました。会ったのは、最初を含めて3回だけです。あとは文通と電話でした。彼は外国船の料理長なのです。若い頃から、遠洋漁業の厨房に入り、国内外の大型船の厨房で働いています。どうしても、船上の厨房から離れることはできず、一年に一度の休暇しか、陸(おか)に上がることはできないのです。

彼は、結婚しても私と子どもは、陸で過ごし、一年に一か月の休暇の時に会うだけでいい、と言ってくれました。しかし、私は、やっと掴みかけた本当の幸せを中途半端にしたくはありません。なんとしても、彼の傍にいたいので、一緒に船に乗り、料理長の片腕として公私ともに寄り添って生きていくことを決心しました。世間からはわがままだとか、子どもを顧みない母親だと言われるでしょう。子どもから見れば私は鬼かもしれません。だけど、いつか・・・むしがいい、と言われるかもしれませんが、いつか、子どもに頭を下げても、迎えに行ける日が来ると思っています。でも今は、子どもを裏切るわがままを貫きます・・・・人生で一回だけ、幸せを求めてはいけませんか・・・・

 

私は、何も言えませんでした。

 

翌日、施設の職員が運転するバンで、お母さんと望くんと妹が、最後のあいさつに学校に来ました。望くんと妹はランドセルを背負っていました。車の後ろには、子ども達の衣類でしょうか、わずかな荷物がありました。

望くんは、全てを了解したような落ち着いた面持ちで、私たちに別れの挨拶をしました。まだ、2年生にさえなっていない妹も涙ひとつ見せず、お兄ちゃんに従っている様子を見ると、胸が詰まりました。私はお母さんに小声で、「きっと、望くんが大きくなったら、わかると思います」とだけ話しました。

そうして望くんと私との10か月は終わりました。

 

施設は遠く離れていましたので、望くんと会うことはなくなりましたが、年賀状は、簡単な近況を添えて必ず送ってくれました。彼も妹も元気でいることを知り、とても安心していました。中学校を卒業する2か月前の年賀は、封書でした。

 

・・・先生、僕は中学校を卒業したら働くことにしました。施設の先生方は、高校までは奨学金や補助金で行けるし、施設にも居られるので、高校は卒業したほうがいい、と言ってくれます。でも、施設に来る土建屋さんの紹介で働くことになりました。働く場所はまだ決まっていませんが、もしかすると岩手を離れるかもしれません。妹は、中学卒業まで施設に居ますが、高校に入る歳になったら、施設から出て、僕が面倒をみたいと思っています・・・・・

 

その後、望くんからの連絡はありませんでした。何年かたってから、施設に問い合わせをしたのですが、個人情報なので教えられないが、元気でいるから心配はいらない、ということでした。

 

小学生ですでに、両親との生き別れを経験し、人生の悲しみや苦しみを経験した望くんでした。だからこそきっと、彼の決心したとおり、妹を高校に入れて自立させ、今は幸せな家庭を築いているだろうと思います。そして、やっとで幸せをつかんだお母さんも、望くんと妹に再会しているとを信じています。

 この記事を書いた「マイみちスト」
(こんのひとし)
大学を卒業後、一般企業に三年間勤務し、その後1年間大学専攻科で特別支援教育を学ぶ。昭和57年から盛岡市、宮古市、釜石市の小学校に勤務。平成23年 釜石市立小学校長として勤務時に東日本大震災被災。平成27年度小学校長で退職。平成28年度は大阪府の小学校で校長を務める。

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Comment (1)
  1. マッキー さん

    今回は重いお話でしたね。望君のお母さんが子供時代に再婚相手の男性から辛い目にあったと聞いて、3月に5歳で亡くなったゆあちゃんのことを思い出しました。親になるということは、自分の子供でなくても自分の子供と同じ様に、いやそれ以上に愛するという覚悟がなければ再婚を決意してはいけないと思います。再婚相手から暴力を受ける子供がかわいそうでならないからです。
    望君のお母さんが自分の幸せを一番に考えて望君と妹を施設に預けると聞いて、私は悲しくて涙が出てきました。私がどうのこうの言える立場ではないのですが、まだまだ親の愛情が欲しい望君と妹の気持ちを考えたら、幼心に親に捨てられたと思うのではないでしょうか?お母さんに子供たちと一緒に生きるという選択肢はなかったのでしょうか?子供を置いて自分だけ幸せになっても、毎日子供のことを思い出して後悔しないのでしょうか?親の愛情を受けずに育ったお母さんだからこそ、同じ様に自分の子供たちも親の愛情を知らずに育っていくことだけは避けて欲しかったです。
    次から次へと親の虐待で小さな命が奪われたり、心も身も傷ついている子供が世の中に沢山いる今の日本です。親を選べない子供たちだからこそ、親になるということは相当の覚悟がないとなれないものだと思います。
    ただただ望君も妹も出会った人たちから愛情を受けて幸せに暮らしています様にと願わずにはいられません。

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