まいにち・みちこ【東北 道の駅 日刊マガジン】

第7話:ママ、行かないでーっ

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教員として過ごした三十五年間を経てなお、子ども達や先生方、保護者の皆さんに伝えておきたいことが少なくありません。その思いで自費出版した「お天道様は見ています〜校長先生のおはなし〜」の続編やこぼれ話をお伝えいたします。お子さんと一緒に読んでみたり、かつての自分を思い出したりしながらお付き合いください。
まいにちみちこ編集室
https://my-michi.com/column/76954238/11520

東日本大震災大津波の被害がどれほどなのか、まったく予測がつかない発災直後、全国紙朝刊の一面に載った写真が多くの涙を誘いました。

「ママへ。  いきてるといいね。 おげんきですか。」

行方不明になった母に宛てて書いた手紙の上で、疲れて眠ってしまった女の子の写真でした。未曽有の災害により、無慈悲にも幼い子から一瞬にして母や父を奪った悲しい事実はあちらこちらにありました。誰も責めることはできない天災だとしても、幼な子の親を呼ぶ声は被災地から消えることはありません。

 

ユミちゃんは間もなく3歳、2年生になるタロウの妹でした。この幼い兄妹の両親は、同じ老人介護施設で働いていました。

タロウのお母さんは、いつも参観日や期末面談には保育所に預けている妹のユミちゃんを連れて学校に来ていました。夜勤もあって、ふだん子どもと触れ合う時間が少ないから、学校に行く日はユミちゃんを早めに保育所に迎えに行き、夜まで一緒に過ごして埋め合わせをする、と話していました。参観日や期末懇談の際に、校内を巡回する私は、いつしかユミちゃんと顔見知りになっていました。ユミちゃんは私を見つけると、きまって

「コウチョウセンセイ」

と、声をかけてくれました。

 

あの日もお父さんとお母さんは介護施設で働いていました。大地震が起きた時、お父さんは、デイサービスを終えて帰宅するお年寄りを乗せたマイクロバスを運転し、郊外を走っていました。お母さんは施設内でお年寄りの介護をしていました。

施設は海岸からほど近い場所にありました。地震直後に出された大津波警報により、お母さんら職員は懸命にお年寄りを避難場所に誘導しました。体の不自由なお年寄りも多く、二人ないし三人を一人の職員がお世話をしながら誘導しましたが、とても人手が足りず、ユミちゃんのお母さんは施設と避難場所を三往復したようです。お年寄り全員を避難場所に誘導することができたと思われたものの、混乱の中で施設内にお年寄りがいないかどうかを最終確認する必要がありました。結局、若いお母さんと男性職員が再び施設に戻りました。そこを大津波は容赦なく襲い、二人とも帰らぬ人になってしまったのです。

 

お母さんの遺体は道路状況が混乱するなか、大変な思いで施設に戻ったお父さんによって発見され、早めに自宅に安置されました。連絡を受けた私はタロウの担任であるアキコ先生と一緒に自宅に向かいました。

家の中に入るなり、ユミちゃんが私を見つけて

「コウチョウセンセイ、ママ、ネテルヨ」

と、私に話してくれました。しかし、ユミちゃんなりにこの異様な雰囲気を感じているようにも思われました。お母さんの顔は傷ひとつなく、薄化粧がまるで元気なころのお母さんそのままでした。ユミちゃんの言うとおり、今にも目を開けて起き上がるのではないかと思われるほどでした。

タロウはお母さんの死を受け入れているのか神妙な面持ちでいましたが、アキコ先生がタロウの手を握ると、ボロボロと大粒の涙を流しました。お父さんは、二人の子供を妻から預かったので、しっかりと親の役目を果たさなければならないと、気丈に話されました。また、犠牲者が多くて葬儀はしばらくできないこと、市内の火葬場はフル稼働で対応できず、他市町村の斎場になるかもしれないことなども話してくれました。そして、火葬までにはユミに妻の死を理解させたい、と話された時にはアキコ先生と私の涙腺は抑えがきかない状態でした。

 

火葬はいつになるかわからないということでしたが、ほぼ一週間後に市内の斎場で行われることがわかりました。タロウとユミちゃんを励ますとともにお母さんとの最後のお別れに、私はアキコ先生とともに斎場に行きました。

斎場は、荼毘に付される仏さまがお母さんの前にも、後にも続いていて混雑していました。

 

一時間ほど遅れてタロウのお母さんの火葬の儀が始まりました。

タロウは、お父さんの脇でしっかりと長男の役目を果たしているようにみえました。ユミちゃんは母の火葬を理解したのでしょうか、おばあちゃんの手を握り、ぴったりとくっつき、涙目で棺を見つめていました。

読経が始まり、参列者の焼香も終わりました。

「遺族の方どうぞ」

斎場の職員が、最後の別れを促しました。タロウとお父さん、ユミちゃんとおばあちゃんが前に進み、棺の中のお母さんと最後の対面をしました。十分な別れができないまま、四人は元の場所に戻り、手を合わせました。

 

冷たいストレッチャーに載せられたお母さんの棺は、職員の手でゆっくりと火葬炉に入ろうとする時でした。

 

「ママ、行かないでーっ、熱いからーっ!」

 

ユミちゃんの声が、静まりかえった斎場内に大きく響きました。

間もなく、ユミちゃんの悲痛な叫びに呼応するかのように、斎場内のあちらこちらから嗚咽やすすり泣きが漏れはじめたのでした。

 

ユミちゃんのような悲しい運命を突きつけられた幼な子がいたことを、私たちは忘れてはなりません。罪もないいたいけな子らに、将来この悲しみを補って余りある幸福が訪れることを祈るとともに、この子らのために明るく平和な未来を創る努めがあることを忘れてはならないと思います。

(このお話は、東日本大震災大津波において見聞きした出来事をつなぎ合わせ、再構成したものです)

 この記事を書いた「マイみちスト」
(こんのひとし)
大学を卒業後、一般企業に三年間勤務し、その後1年間大学専攻科で特別支援教育を学ぶ。昭和57年から盛岡市、宮古市、釜石市の小学校に勤務。平成23年 釜石市立小学校長として勤務時に東日本大震災被災。平成27年度小学校長で退職。平成28年度は大阪府の小学校で校長を務める。

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皆さまよりお寄せいただいた感想はこちら (2)
  1. マッキー さん

    「ママ、行かないでーっ、熱いからーっ!」というユミちゃんの叫び声に涙がこぼれてきました。
    今回のお話は創作ということですが、このお話のユミちゃんやタロウ君の様に、幼くして震災で大切なお母さんやお父さん、そして家族を突然亡くした子供たちがたくさんいましたね。小さな胸をどれだけ痛めたかと思うと言葉もありませんでした。7年の間に子供たちの悲しみが少しでも癒され、今は前を向いて強く生きていてくれることを心から願うばかりです。
    私たちに出来ることは、あの悲しい出来事を風化させないように決して忘れないでいることだと思います!!
    当たり前のことが決して当たり前ではないと知ったあの日以来、私は自分が生かされていることに感謝の気持ちを持つようになりました。
    子供たちよ、幸せでいてくれー!これからもっともっと幸せになってくれー!

  2. ルイ.ニャン さん

    あまりにもリアルで鮮明に思い出されてきて悲しくて

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