初めに言葉ありき
言葉は人とともにありき
そも 言葉は人なるがゆえ
岩手にゆかりのある浅田次郎さんの著書にあった一文です。出典は、ヨハネ福音書の一節ということです。
言葉は人なるがゆえ ということは、発する人の言葉は、その人の人格そのものであると理解しました。
校長として小学校4校に勤務しました。ある学校で、私にたった一度しか言葉を発しなかった女の子がいました。
その子は転入生でした。発達の遅れがあり、そして緘黙児でした。転入前の学校には支援学級がなく、普通学級で学習していたようです。転入の際の申し送りはあったのでしょうが、とりあえず普通学級に入りました。言葉はありません。転校してきたばかりですから、ますます緘黙になったのかもしれません。それでもニコニコして、いつも友達といっしょにいましたから、なんとかやっているのだろうと思っていました。
二学期になると少し顔つきが変わってきました。眉がハの字になり時々、困まり顔が見られるようになったのです。若い担任の先生に
「あの子大丈夫?」
と尋ねました。
「大丈夫です。みんなといっしょに勉強しています。」
と、いうことでした。しかし、しばらくして学校を休みがちになりました。これは何とかしなくちゃならないと思っていたところに、教育委員会から連絡がありました。
わが子を支援学級に移してほしいと学校にお願いしているが、学校からは何の連絡もないことをお母さんが、教育委員会に出向いて話されたということでした。
すぐに担任に聞くと、
「以前から保護者から言われていましたが、なんとか普通学級でみんなといっしょに学ばせたいと思って・・・」
と、担任は担任で学級になじませようとしていたのです。
早速、ご両親に来ていただきました。お母さんは、
「・・・はじめの頃は、みんなと仲良くできるようがんばりなさいと励まし続けたけれど、みんなの後ろをついていくのが精一杯で、二学期には毎日疲れている様子だった。宿題も私といっしょに毎晩12時過ぎまでやって、ついには私自身が疲れてしまった。わが子の辛さを思うと不憫で、それまでして子どもを普通学級に通わせなくともいいと担任の先生にお話ししたけれど何の連絡もなく、やむなく教育委員会の戸を叩いた」
と、涙ながらに話されました。
私はとてもかわいそうなことをした、とお詫びしました。
早速、次の日から支援学級で勉強することにしました。すると、みるみるうちに笑顔を取り戻したのでした。
一週間ほどたってからご両親に来ていただき、正式に支援学級に籍を移すことを確認しました。ご両親はほっとした様子でした。私は気づいてやれなかったことを再度お詫びしました。
次の日の朝です。私は、交通安全指導のために校門近くの横断歩道に立っていました。いつものように、その子と低学年の妹が一緒にやってきました。毎朝、おはようと声をかけるのですが、きまってニコッとするだけです。しかし、その朝は違っていました。
「校長先生、ありがとうございました」
と、はっきりと話したのです。とても驚きました。私が次の学校に移るまで、その子の声を聞いたのは、後にも先にもその一度だけでした。
その子が発したひと言は「なぜ、早く気づいてくれなかったの」という恨みの言葉ではなく、「苦しかった、辛かった」という嘆きの言葉でもなく、感謝のひと言でした。
言葉は人なるがゆえ・・・であるならば、清らかな品性を備えた女の子だったと、忘れることができません。

この記事が気に入ったらシェアお願いします
いっぱい苦しんだのに、校長先生に「ありがとう」と言えるなんて、なんて凄い子なんだろうと胸が熱くなりました。私なら恨み言を言ったんじゃないかと反省しながら、ただただ女の子の心の清さと豊かさに感服しました。
言葉は人となりを表すと言われますが、どうしてこんな小さな子がはじめて発した言葉が「ありがとう」だったんでしょうか? もちろん嬉しくて校長先生へ感謝の気持ちを伝えたいという思いも強かったでしょう。そして家族の愛情をいっぱい受けてこの子が育ってきたということも大きいと思います。娘の幸せを一番に考える素敵なご家族ですね。私も女の子がこれからも幸せな人生を歩めます様にと願わずにはいられません。
普段何気なく使ってる「ありがとう」という言葉の重みを今一度考えさせてもらいました。いつも心に響く素敵なお話をありがとうございます。
同じ言葉でも、扱う人の「人となり」がわかると改めて感じました
彼女はとても素敵な女性になったと思います
自分ももっと言葉の向こう側を見つめて行かんと!