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【操觚の会】日本の歴史小説作家、時代小説作家の親睦団体。2016年6月に創設。2018年5月現在、赤神諒、秋山香乃、朝松健、芦辺拓、天野純希、荒山徹、神野オキナ、神家正成、蒲原二郎、木下昌輝、小松エメル、坂井希久子、杉山大二郎、鈴木英治、鳥羽亮、新美健、早見俊、誉田龍一、簑輪諒、谷津矢車(五十音順、敬称略)が所属。現在、鈴木英治が代表、早見俊が副代表を務めており、トークイベントや書店でのサイン会といったイベントを定期的に開催している。

会津、もう1つの滅亡

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まいにちみちこ編集室
https://my-michi.com/column/72048136/22436

会津の滅亡といいますと、多くの方は戊辰戦争における鶴ヶ城の落城を思い浮かべるかもしれません。しかし、実は会津にはもう一つの滅亡の記録がありました。それはかつて自らを「会津守護」と称し、黒川城に拠って会津地方を支配した名族蘆名(あしな)氏の没落です。

 天正十八年(1589年)六月五日、伊達政宗率いる伊達勢に、磐梯(ばんだい)山麓の「摺上原(すりあげはら)の合戦」で大敗を喫した蘆名義広(常陸国の戦国大名、佐竹氏から養子入り)は、もはやこれまでと、実家のある常陸に落ち延びました。これに伴い、六月十一日に越後に亡命した蘆名家重臣、松本伊豆守の家来「あかい又六」はこのような歌を残しています。

「黒川のこゑ(恋)しき事かぎり(限)なし、いつかかへ(帰)りて、これをかた(語)らん」

 ここからは慣れ親しんだ安住の地を追われる落人の悲しみが切々と伝わってきます。これは平等寺というお寺の薬師堂に墨書で記されたもので、本尊である薬師如来に帰郷のための加護の願ったものと考えられます。また又六は「心ぼそくねまり候<心細く(お堂に)閉じ籠もっている>」とも書き残しており、そこからは仕える家を失い、牢人(浪人)の身となった主や、自身の境遇への不安な気持ちもうかがえます。

 蘆名宗家自体は江戸時代の前期まで秋田(久保田)佐竹家の重臣としてなんとか命脈を保ちますが、結局会津に復帰することは叶いませんでした。また「あかい又六」のその後の運命もわかっていません。後に会津に入封した上杉家の記録に残っていないところを見るに、おそらくは故地に戻ることはなかったのではないかと思います。又六がいつか帰還を果たして語りたかった思いが気になるところですが、残念ながら歴史はそのことを伝えてくれてはおりません。

 

「黒川のこゑしき事かぎりなし」

 

 気になる方は、この夏、会津にお出かけになり、 四百数十年前の東北の侍の望郷の念に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。見上げる空の青さは、どれだけ時を隔てていても、きっと又六の時代と同じはずです。蝉時雨も、山々にのしかかるような入道雲も。

 この記事を書いた「マイみちスト」
(かんばらじろう)
早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒。衆議院議員秘書を経て、現在小さな幼稚園の園長をしている。大坂の陣をえがいた小説『真紅の人』を上梓後、大河ドラマ「真田丸」時代考証の先生方の勧めにより、『武田氏研究 第56号』に道明寺合戦に関する論文(『大坂夏の陣における道明寺合戦の再検討~真田信繁の動向を中心に』)を発表。現在は執筆に生かすべく、徳川家康の嫡男・松平信康が切腹させられた「信康事件」 や、中国の隋・唐時代の調査している。操觚の会会員。日本推理作家協会会員。
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