日刊ウェブマガジン「まいにち・みちこ」│東北「道の駅」公式マガジン「おでかけ・みちこ」

まいにち・みちこ【東北 道の駅 日刊マガジン】

奥州街道や羽州街道を始めとして、東北に数多くある江戸時代の「街道」に、さまざまな角度から関わっている鐙啓記が執筆。江戸時代から明治にかけて街道を歩き、旅日記などを残した文人墨客にスポットを当て、往時の街道や宿場の雰囲気を伝える。

第35回 沼田街道(上)気多宮から只見 福島県

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まいにちみちこ編集室
https://my-michi.com/column/55549030/31223

「おでかけ・みちこ」2020年12月25日掲載記事

奥会津を貫く重要路

 

① 柳津の福満虚空蔵尊圓蔵寺と只見川(柳津町柳津)

旅に暮らした良寛

 良寛さんというと、子どもの頃読んだ本から、村の子どもたちとかくれんぼしたり、日がな一日手毬で遊んだりしている姿を思い出す。
 良寛を紹介する文章を読むと、寺を持たず質素な暮らしに徹し、旅をよくしたと書かれているが、旅の足が東北まで伸びていたことはあまり知られていない。そんななか、東北における足跡の一つに、福島県会津地方の柳津がある。
 良寛は江戸時代後期の曹洞宗の僧で、歌人や書家でもあった。今から約260年前の宝暦8年(1758)、越後の出雲崎に生まれ、生家は庄屋を務める裕福な家だった。18歳の時に出家し、隣町の尼瀬(あまぜ)にある光照寺、その後、備中玉島(現在の岡山県倉敷市)円通寺で32歳ころまで修行の日々を送った。円通寺の国仙和尚から「生涯好きなように旅を・・・・・・」と教えられ、西日本から東日本各地を回るようになった。
 48歳で越後に戻り、蒲原(かんばら)郡国上(くがみ)村(現燕市)国上寺(こくじょうじ)の五合庵(ごごうあん)で61歳まで過ごした。60歳ころに東北南部を回ったようで、柳津町つきみが丘に立つ説明看板によると、越後から江戸、会津、米沢、鶴岡、越後と回ったと仮定されているようだ。
 つきみが丘には良寛像が立てられ、そばに「也奈伊津(やないづ)の香聚閣(こうじゅかく)に宿り早つとに興おきて眺望す」と、柳津で読んだ五言三十句の長詩碑がある。

 

② 柳津のつきみが丘に立つ良寛像(柳津町柳津)
③ 気多宮の追分道標。越後街道の宿場だった塔寺に立つ。ここが沼田街道の起点(会津坂下町気多宮)

 

会津から上州沼田へ続く道

 柳津に向かう良寛が歩いたと思われる沼田街道は、江戸時代は3本の街道から成り立っていた。会津坂下町の気多宮(けたのみや)から只見までの「伊北(いほう)街道」、只見から山口(南会津町)までの「伊北越後道」、そして山口から檜枝岐を通って上州沼田(群馬県)まで続く「沼田街道」だったが、明治14年に県道三等沼田街道として一本化された。ここで上げたそれぞれの街道名は他称もあり、かなり複雑なので、ここでは沼田街道で統一し、上下2回に分けて紹介する。
 この道は参勤交代路ではなかったが、奥会津と上州をつなぐほか、越後に向かう八十里越(第30回で紹介)、六十里越の街道が只見から別れ、さらに山口から別れた道は下野(しもつけ)街道で会津若松や日光方面とつながり、奥会津の生活には欠かせない重要路だった。その道筋は川幅が広く水量の多い只見川と、その支流で急流が続く伊奈川沿いにあったため、難所が多く通行するには難儀な所もある道であった。

 

⑤ 宮下の古碑群。只見川に架かる高清水大橋の右岸たもとにある(三島町宮下)
⑥ 沼沢湖畔、沼沢の様子。かつては街道交通の要衝として栄えた宿場町だった(金山町沼沢)

 

塩の道、参詣の道

 越後から会津に運ばれる塩の道は幾筋かあった。そのうちの一つに、阿賀野川の舟運で津川まで運ばれて荷揚げされ、越後街道で東に向かうルートがあった。越後街道の宿場・野沢で荷は二つに分けられ、そのうちの一つは現在の国道400号に沿った西方(にしかた)道で山越えし、沼田街道の川港だった西方に運ばれ、各地に散った。越後とつながる八十里越、六十里越の街道からも塩は運ばれてきて、沼田街道を使って各地に運ばれた。
 また、沼田街道沿いには、日本三虚空蔵(こくぞう)の一つ柳津の福満(ふくまん)虚空蔵尊圓蔵寺(えんぞうじ)がある。会津地方有数の霊場として知られ、会津藩歴代藩主を始め、参拝客が引きも切らず押し寄せ、大変な賑わいを見せた。上州や奥会津から、山形の出羽三山詣でに向かうにも、この街道が便利だった。そのため街道沿いには、湯殿山碑を始めとした三山碑が数えきれないほど残されている。

 

⑦ 塩竃神社。かつて只見川沿いに塩泉があり、製塩が行われていたが、滝ダムの建設で湖底に沈んだ。神社に製塩図が残されている(只見町塩沢)
⑧ 五十嵐家。以前は只見字上町にあった。昭和48年、町が八十里越の追分に建つ叶津番所跡の隣に解体移設した(只見町叶津)

沼田街道周辺の道の駅は、

あいづ湯川・会津坂下(福島県湯川村・会津坂下町)、にしあいづ(福島県西会津町)、会津柳津(福島県柳津町)、尾瀬街道みしま宿(福島県三島町)、奥会津かねやま(福島県金山町)、からむし織りの里しょうわ(福島県昭和村)、きらら289(福島県南会津町)、たじま(福島県南会津町)、番屋(福島県南会津町)、尾瀬檜枝岐(福島県檜枝岐村)

 


街道コラム

柳津名物 あわまんじゅう

 福満虚空蔵尊の門前町には、3軒の「あわまんじゅう屋」が並んでいる。今から約200年前の文政元年(1818)、円蔵寺伽藍や門前町の一部が火事に会い、住職だった喝岩和尚が、会津藩などから復興費用を工面した。その際、「このような災難にもう『あわ』ないように」と、あわまんじゅうを考案したと伝わっている。昔からの人気スイーツだ。

 この記事を書いた「マイみちスト」
(あぶみ けいき)
「おでかけ・みちこ」編集長。東北の街道との付き合いが長く、『東北の街道』『奥州街道』『羽州街道をゆく』などの撮影・編集を担当した。ここ数年は英国の女性探検家イザベラ・バードに関係した調査や講演、シンポジウムのパネラーを務めることが多く、全国各地のバード関係者と楽しく付き合っている。また、北前船との関係も古く、10数年前には全国にある北前船の寄港地180か所を取材して『北前船 寄港地と交易の物語』の撮影・編集など行った。

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皆さまよりお寄せいただいた感想はこちら (2)
  1. アバター もぐケロ さん

    父が会津若松に単身赴任していたため、若松に近い道の駅はたくさん巡りました。柳津の圓蔵寺は大きなあかべこやあわまんじゅうが好きでたくさん思い出があります。なので、とても楽しく記事を読みました。
    まさか良寛さんが会津や米沢を巡っていたとは知りませんでした。今度、沼田街道をクルマで走る時は、良寛さんもここを通ったんだなと思いながら、良寛像を見に行ったりしたいなと思います。私は、道の駅奥会津かねやままでしか行ったことがありません。今一番行ってみたい道の駅が尾瀬檜枝岐なので、36回が掲載されるのをとても楽しみにしてます!

  2. アバター きっちゃん さん

    昨年の秋に柳津町の福満虚空蔵を回りながら只見、奥会津と家族3人で3泊4日の旅行にいってきました。今回の記事を見てあ、ここ通った、ここ回ったっていう感じで楽しく拝見しました。若い頃は、北海道に夢中でしたが、今は、地元福島の良さに目覚めて、県内を旅しています。つくづく福島は、良いところだなぁと感じています。
    自分の行ったところ見たところがけいさいされると、こんなにもワクワクするものなのだなぁとおもいました。

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