日刊ウェブマガジン「まいにち・みちこ」│東北「道の駅」公式マガジン「おでかけ・みちこ」

まいにち・みちこ【東北 道の駅 日刊マガジン】

奥州街道や羽州街道を始めとして、東北に数多くある江戸時代の「街道」に、さまざまな角度から関わっている鐙啓記が執筆。江戸時代から明治にかけて街道を歩き、旅日記などを残した文人墨客にスポットを当て、往時の街道や宿場の雰囲気を伝える。

第33回 盛街道 岩手県

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
まいにちみちこ編集室
https://my-michi.com/column/55549030/29761

「おでかけ・みちこ」2020年6月25日掲載記事

種山ヶ原を越える道

 

種山ヶ原の風景。写真中央左側の沢筋が盛街道(奥州市・住田町)

石っこ賢さん

 岩手県花巻市が生んだ作家・宮沢賢治は、子どものころから鉱物が好きで「石っこ賢さん」と呼ばれていて、盛岡中学校に入学してからも鉱物採集や星座に熱中した。19歳で盛岡高等農林学校農学科第二部(農芸化学)に入学し、休日は登山や鉱物探しに明け暮れた。ここで土壌学の関豊太郎教授に認められ、稗貫(ひえぬき)郡(花巻市)や江刺(えさし)郡(奥州市の一部)の土壌や地質調査にあたり、その際訪れたのが種山ヶ原だった。

 調査は大正6年8月、3年生の夏季休業中だった。友人二人を伴い盛(さかり)街道の岩谷堂、人首(ひとかべ)などを宿泊地として、江刺郡一帯や種山ヶ原周辺で行った。その時初めて目にした高原の様子に魅了され、その後もたびたび訪れ、数々の作品の舞台としていった。

 種山ヶ原は物見山(871メートル)頂上周辺のなだらかな高原で、賢治はこの風景をこよなく愛し、「風の又三郎」「種山ヶ原の夜」「春と修羅」を始めとした童話、短歌、詩などの舞台としている。江刺郡の地質調査の際、盛岡の友人に書き送った葉書や、残した短歌から、賢治が高原周辺のほか、人首と遠野の境となる五輪峠などで、ハンマー片手に調査を行った様子が伝わってくる。

 高原を横切る盛街道の印象を短編小説「種山ヶ原」に、「旅人と云っても、馬を扱ふ人の外は、薬屋か林務官、化石を探す学生、測量師など、ほんの僅かなものでした」と記している。

 

種山ヶ原の星座の森に設置された風の又三郎ブロンズ像(奥州市江刺区米里)
明治7年に建設された旧岩谷堂共立病院。NHKのラジオドラマ「鐘の鳴る丘」モチーフの一つといわれている(奥州市江刺区岩谷堂)
六百刈田七里塚跡と旧盛街道 (奥州市江刺区玉里六百刈田)

 

仙台領最北の街道

 盛街道という名称は、江戸時代から使われていたもので、ほかには気仙(けせん)街道、江刺街道などの呼び名もあった。水沢(奥州市)で奥州街道と別れ、北上川舟運(しゅううん)が盛んだった下川原を通り、岩谷堂~人首~山本~種山ヶ原~世田米(せたまい)〜白石峠と東に進み、盛(大船渡市)で三陸浜街道に合流する道だった。種山ヶ原を越えるには、人首の少し先にある二股から山本を通り物見山に向かうルートで、地元では旧盛街道と呼んでいる。また山本を通らないで古歌葉(こがよう)から姥石(うばいし)峠を越え、大股川沿いに下る道筋もあり、こちらも盛んに利用されていた。

 紹介したルート以外に、岩谷堂~伊手(いで)~種山ヶ原というルートの江刺往還(おうかん)もあった。この道は種山ヶ原を越えないで、県道10号の越路峠手前から七曲の峠で山越えし、子飼(こがい)沢付近で盛街道と合流していた。また、世田米から下有巣(ありす)~上有巣〜田代屋敷で盛街道に再び合流する脇道もあるほか、遠野に通じる五輪峠越と上有巣からの2本の道など、幾筋もの街道が交差する地域だった。

 

宮沢賢治が宿泊したとされる菊慶旅館跡から見た人首のまち並み(奥州市江刺区米里人首)
山本の古碑群 二股から少し進んだ旧道の北側に古碑が7基並んでいる(奥州市江刺区米里山本)

 

盛街道にかかわる人々

 内陸からは米や雑穀、生活物資のほか、水沢周辺は麻の産地だったため魚網がつくられ、三陸沿岸の漁師にわたっていた。沿岸からは塩や海産物が運ばれた。また、北上山地は鉄や金、銀など鉱物資源の宝庫で、特に鉄の生産が多く、鋳物づくりが盛んだった田茂山(たもやま)(水沢市羽田)に運ばれ、鋳物製品として流通した。

 ところで、この盛街道に関係した団体がある。奥州市江刺米里人首を中心に活動している「賢治街道を歩く会」と、住田町世田米の「大股を次世代に伝える会」だ。「賢治街道を歩く会」は、宮沢賢治が鉱物調査や創作活動でこの地域を訪問した記録から、さまざまな足跡を検証して、看板の設置、マップ制作のほか、旧街道の草刈りや倒木撤去などの道筋再生を行っている。

 「大股を次世代に伝える会」は、大股地区を通っていた盛街道の史跡を紹介する標柱設置、ガイド養成講座、街道探訪会などを行い、先人の証を残す活動を行っていたが、代表者が亡くなったため、残念ながら解散した。

 

気仙川沿いに立ち並ぶ世田米の蔵景観(住田町世田米)
盛街道と三陸浜街道合流点の槻木(つきのき)(大船渡市盛字権現堂)

街道周辺の「道の駅」

道の駅・種山ヶ原(岩手県住田町)

道の駅・みずさわ(岩手県奥州市)

道の駅・高田松原(岩手県陸前高田市)

 


街道コラム

まちや世田米駅

 盛街道の交通の要衝として発展した世田米。その中心的商家だった旧菅野家の母屋、離れ、土蔵をリノベーションした交流拠点施設。地産地消レストラン、コミュニティカフェ、交流や宿泊スペースなどがあり、さまざまな体験や交流イベントができる空間とした。町内外の人たちが交流できる施設として、新たな関係人口創出の拠点となっている。

問い合わせ/TEL.0192-22-7808

 この記事を書いた「マイみちスト」
(あぶみ けいき)
「おでかけ・みちこ」編集長。東北の街道との付き合いが長く、『東北の街道』『奥州街道』『羽州街道をゆく』などの撮影・編集を担当した。ここ数年は英国の女性探検家イザベラ・バードに関係した調査や講演、シンポジウムのパネラーを務めることが多く、全国各地のバード関係者と楽しく付き合っている。また、北前船との関係も古く、10数年前には全国にある北前船の寄港地180か所を取材して『北前船 寄港地と交易の物語』の撮影・編集など行った。

この記事が気に入ったらシェアお願いします

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

あなたの感想をお聞かせください

*

CAPTCHA


Facebookでも投稿できます
この連載を読む
プレミアム記事
あなたにおすすめの記事
東北のイベント