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本記事では、東北各地で今もなお活躍し、或いは役目を終えて静かに眠る、そんな歴史深い隧道(=トンネル)たちを道路愛好家の目線で紹介する。土木技術が今日より遙かに貧弱だった時代から、交通という文明の根本を文字通り日陰に立って支え続けた偉大な功労者の活躍を伝えたい。

第1回 笹立(ささだて)洞門 山形県

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まいにちみちこ編集室
https://my-michi.com/column/43279586/29309

 

「michi-co」2016年12月25日号連載記事

 

1⃣笹立洞門の善寶寺側坑口の遠景。一見すると、とても背の高い大きな坑口があるように見えるが、実際の内部へ通じる穴は、足元にわずかに開いているだけだ。

 

 

砂浜の温泉地を一変させた、馬車道の開通

 山形県鶴岡市にある湯野浜温泉は、日本海の砂浜に面した温泉郷だ。温泉好きとして知られた文人・田山花袋が、大正6年(1917)のベストセラー『温泉めぐり』の中で、「無論、熱海、伊東などよりは海山の眺めがよかった」と称賛した通り、鳥海山を遙かに望む日本海の景観は素晴らしく、夕日はさらに格別である。狭い海岸線の土地に高層の近代的ホテルと昔ながらの旅宿が軒を並べる景観は、繁盛の深さと長さを物語る。そんな温泉街の裏山に「忘れられない」隧道が眠る。

 この地の温泉が、奥州三楽郷に数えられるほどの温泉街へ成長した第一歩は、明治19年(1886)の加茂坂隧道と、同23年の海岸道路の相次ぐ開通によって庄内の中心都市である鶴岡と馬車道で結ばれたことによる。だが、平時には風光明媚な海際の道も、日本海の荒波には滅法弱く、しばしば流出して往来を途絶させた。この道は現在の国道112号の前身で、今でも加茂港近くの国道の山側に当時の隧道(弁慶澤隧道)が残る。

 

「笹立新道」の開発と衰退

交通の改良が地域に与える力の強さを目の当たりにしてきた温泉街の人々は、明治末には海岸道路を通らず鶴岡方面と直接連絡する、山越えの「笹立新道」を計画した。この道は、温泉街の背にそびえる急峻な高館山の稜線をトンネルで貫き、竜神信仰の寺として全国に名高い善寶寺へ抜ける全長約2・4キロの馬車道として、明治42年(1909)に着工し2年後に完成した。最大の難工事は、峠を貫く全長145メートルの「笹立洞門」の開鑿(かいさく)であった。

 

2⃣全長145メートルの隧道内部は、水没しているうえに、両側の坑口附近と中央部に大きな落盤があり、辛うじて閉塞はしていないが、通り抜けは困難だ。

 

3⃣善寶寺側の新道は、峠のトンネル前まで作業道として使われており、多少荒れ気味だが、徒歩20分ほどでトンネルへ辿り着ける。

 総工費の約半分を湯野浜200戸で分担するなど、地域の夢を一身に託されて開通した新道であったが、記録を見る限り、期待されたほどの活躍は出来なかったようだ。意外にも新道のキモである隧道の存在が、足を引っ張ってしまったのだ。素掘りの天井からは常に水が滴り、稀には落盤も起こる、照明のない真っ暗な隧道は、徒歩の行楽客に不気味がられ、通行を敬遠する者も少なくなかったというのである。

 それでも、大正12年(1923)に加茂坂が改修工事で通行できなくなった際には、迂回路として活用すべく自動車の通行を目指した改修が施された。だが、実際は地盤の悪さから自動車の通行は困難で、リアカー程度しか通れなかったという。

 

4⃣湯野浜側の登り口の近くにある笹立新道開鑿紀念碑。功労者として湯野浜温泉の有力者だった阿部與十郎氏の名が刻まれている。また、揮毫者の秋野庸彦氏は、海岸道路建設 の主唱者だった

 

5⃣温泉側の新道は、大正13年にこの道の改修に合わせて整備された笹立公園の前で、猛烈な藪に消えている。写真正面の藪を500メートルほど進めば洞門へ辿り着けるが、歩行は困難だ。

 

 最終的な廃止は昭和15年頃である。それまでも兆候があった大規模な落盤が隧道内で発生し、そのまま修繕されず廃止された。昭和5年には待望されていた鉄道(庄内電気鉄道)が湯野浜まで全線開業し、海岸道路の改修も進んでいた事から、一時は新道が結ぶ温泉と善寶寺の周辺を信州善光寺のような一大街区として開発する構想もあったが、それも日の目を見ることはなく、両地区の直接連絡の道は今日まで跡絶えたままになっている。

 

コラム

「私」にとっての、笹立洞門。

 夜より濃い闇に体を浸す。強烈なカビ臭さに、思わず手で口元を覆った。入ったことをまず後悔。せめてもの頼りと掲げた懐中電灯は光が小さく、最寄りの壁や天井さえも満足に照らせなかった。完全に浸水し、重く冷たい足かせとなった長靴が憎い。無数のコウモリたちがちん入者をなじる声におびえた。身体より大きな岩が行く手を阻み、迷いながらも手探りでそれを乗り越える足は震えていた。 

 これが廃隧道か! 私にとって最初の本格的な廃隧道体験。あの情けないへっぴり腰も、何らまともな装備を持っていなかった当時としては敢闘賞だ。その後の私はこの恐怖に打ち勝ち、やが
て魅了されていく。

 以上が、日本各地の「廃道」を探検してきたオブローダー(廃道探索者)である私「平沼義之」の、今から13年前にあった、笹立洞門初体験時の感想だ。

 この記事を書いた「マイみちスト」
ひらぬまよしゆき(よっきれん)
廃道探索とその情報発信を生業にする、日本初のプロ・オブローダー(オブローダーとは廃道探索者)を自称。幼少を過ごした秋田県で廃道探索の面白さに目覚め、東北地方の素朴な道をこよなく愛する。様々な道路の風景の中でも、人の英知と労働が大地を穿つ形となったトンネルが、特に大好き。東京都日野市在住だが、年の半分近くは秋田で生活する。1977年生まれ。

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