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ミスターパーフェクト、最上義光

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【操觚の会】日本の歴史小説作家、時代小説作家の親睦団体。2016年6月に創設。2018年5月現在、赤神諒、秋山香乃、朝松健、芦辺拓、天野純希、荒山徹、神野オキナ、神家正成、蒲原二郎、木下昌輝、小松エメル、坂井希久子、杉山大二郎、鈴木英治、鳥羽亮、新美健、早見俊、誉田龍一、簑輪諒、谷津矢車(五十音順、敬称略)が所属。現在、鈴木英治が代表、早見俊が副代表を務めており、トークイベントや書店でのサイン会といったイベントを定期的に開催している。
まいにちみちこ編集室
https://my-michi.com/column/41862530/24223

 もう二十年以上も前になるでしょうか。結婚相手の男性への理想として「三高」なる言葉が流行したのをご記憶の方も大勢おられるでしょう。

「高身長、高収入、高学歴」

のことを指す言葉でしたが、もう今時は結婚相手に望むものも変わってきたのか、すっかり死語となったようです。
三高どころか一高も無いわたしには、どちらにせよ縁の無い言葉ですが、東北の戦国大名にまさしくこの「三高」を満たした男がいました。
出羽山形藩初代藩主、最上義光です。

 まず身長ですが、当時の人々は今の人に比べて身長はずっと低かったと言われます。
つまりほとんどの大名は、このハードルが超えられません。
豊臣秀吉が約150センチ、武田信玄が153センチ、徳川家康や終生のライバル伊達政宗が159センチ(いずれも推定)という中で、義光は180〜190センチと言われており、現代でも立派に高身長ということになります。
しかも、ただ大きいだけではありません。怪力であり、何人がかりでしか動かない巨石を軽々動かしたとか、十六歳にして襲撃してきた盗賊の首領を討ち取ったなど、エピソードには事欠かないのです。

 次に収入ですが、これは大名ですから石高ということになります。
天下を統一した秀吉から義光が安堵された所領は二十四万石でしたが、北の関ヶ原と言われる慶長出羽合戦の後、家康から五十七万石を与えられています。これは関ヶ原合戦後においては、徳川、豊臣を除くと、前田、結城、伊達、蒲生に継ぐ石高となりますから、高収入であったのは間違いありません。

 そして学歴ですが、もちろん当時は今のような大学などはありません。
ただ義光は大変な文化人でした。まず古典文学へ傾倒しており、特に源氏物語に関してはわざわざ学者を山形に呼んで家臣とともに講義を受けて、義光自身は切紙と呼ばれる免状まで貰っているほどです。
また連歌師としても一流で二百四十八句も残しており、大名では細川幽斎に次ぐ数と言われています。更にはそれでは飽き足らず『最上義光注 連歌新式』という研究書まで残しているほどで、当時の戦国大名の中でも最も教養のある人物でした。

 

 このように義光は「三高」のハードルを軽々と超えていますね。
しかし先にも述べましたが、今は「三高」ではなく、新しく「三優」を結婚相手への条件にする女性が多いと聞きました。何かと言うと「家族に優しい」「私だけに優しい」「家計に優しい」とのことです。時代の変遷を感じますね。
しかし義光はこちらも超えていきます。

 まず「家族に優しい」に関しては、二歳下の妹で、伊達家に嫁ぎ政宗を産んだ義姫に生涯愛情を注いでおり、やりとりし続けた手紙が数多く残されています。本当に仲の良い兄妹であり、義光と政宗が衝突した際に、義姫が中に立って停戦させたこともありました。

 次の「私だけに優しい」ですが、義光の有名な言葉が残っています。

「大将と士卒は扇のようなものであり、要は大将、骨は物頭、総勢は紙だ。どれが欠けていても用は為さないのだから、士卒とは我が子のようなものだ」

私だけという点からは少しずれますが、このような言葉を聞いた家臣は「自分は愛されている」と本気で感じたでしょう。大将に我が子同様に愛されているという思いが、平時でも戦場でも大きな力となったはずです。

 そして最後の「家計に優しい」ですが、義光の治世の間、領内ではほとんど農民一揆がありませんでした。
これは当時としては希有なことであり、農民をいかに大事にして政治を行っていたかがうかがわれます。強引な取り立てをしても、それはかえって一揆などの原因になり、結果的に大きな経済的打撃を受けることが分かっていたからです。それよりも寛容な政策によって、安心して農業に励める環境をつくり、安定した収穫を上げさせていきました。

 

 いかがだったでしょうか。
山形の雄、最上義光こそ、ミスターパーフェクト、理想の男性だとわたしは、イチ推しいたします。

 

 えっ、何かご質問ですか? 
「イケメンだったの?」ですって。

それに関しては、後世に書かれた肖像画は残ってますが、当時のものではありませんのであまり信用がおけません。ただ「顔つきは色白で、冷静な印象のまなざし」とだけ書き残されています。
ほら、何かイケメンに思えてきませんか? 

少なくとも、わたしは、絶対そうだったと信じていますよ。

 この記事を書いた「マイみちスト」
(ほんだりゅういち)
日本の小説家。大阪府泉佐野市出身。日本推理作家協会会員、本格ミステリ作家クラブ会員、操觚の会会員。学習塾講師を経て、2006年「消えずの行灯」で第28回小説推理新人賞を受賞してデビュー。
この「マイみちスト」の作品

日本一の商人 茜屋清兵衛奮闘記 (角川文庫)

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