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第13回「アルバイトについて」

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シンガーソングライター坂本サトルが出会った音、風景、そして人…
まいにちみちこ編集室
https://my-michi.com/column/34975682/16427

春。新天地での生活が始まった方、いかがお過ごしですか?
スタートの季節。新天地ではなくても新しくアルバイトを始める学生も多いと思う。
人生経験であり社会見学であり、そして出会いと自分発見の場。それがアルバイト。
今回は仙台で過ごした学生時代のバイト遍歴をふり返りつつ、それが人生に与えた影響を紹介してみようと思う。

 

●ファミレスの厨房

・働いた年齢:19才頃
・働いた期間:約7ヶ月
これが人生初のアルバイト。焼き場担当ということで1日4~6時間ほどステーキを焼いたりパスタを作ったり。
実家暮らしのバイト女子がみんな可愛かったことで「仙台不美人説」がデマだったことを知った。
特に美しかったバイト先のマドンナ、モリヤさんに気に入られたのが癪に障ったようで、モリヤさん好きの先輩男子に目茶苦茶にいびられ続けた。
引っ越ししたことで通うのに時間がかかるようになったのと、大学4年生だったマドンナモリヤが卒業により辞めてしまったことをきっかけにバイト終了。
お陰で今でもフライパンを振れるし焼き肉屋に行っても焼き担当。

 

●居酒屋のホール

・働いた年齢:20才頃
・働いた期間:2ヶ月
居酒屋で働いてみたくて始める。とにかくバイト仲間の仲がよく期限切れのキープボトルを集めては宴会。
飲食店に来るお客さんというのは店員に嫌われると痛い目に遭うということをウラ側からはっきりと認識。
どこに行っても店員さんになるべく丁寧に接しようと思うのはこの時の経験から。
2ヶ月ほど働いたところで大学にほとんど行かなくなっていることに気付きバイト終了。

 

●家庭教師

・働いた年齢:20~21才頃
・働いた期間:約1年
当時、中学1年生だったヒデキを担当。担当の2時間のうち1時間はヒデキとゲームをしたり昼寝したりで、それがなぜ許されていたのか不思議。
約20年後、ヒデキが優しく立派な社会人になっていたことを知りホッとした。詳細は第3回「ハタチのキミへ(https://my-michi.com/column/34975682/11689)」参照。
大学を留年したことを期に「留年するようなやつに家庭教師をやる資格はない」と辞意を申し出る。

 

●興信所

・働いた年齢:21才頃
・働いた期間:約3ヶ月
友人の母親が経営する興信所でのバイト。ほとんどの仕事が浮気調査での尾行だった。
携帯電話がなかった当時、本部への報告は公衆電話だったため電話してる間に対象者を見失ったこと多数。
ある冬、ある企業の社長の尾行の際、元タクシーの運転手だったというその社長は凍結した道路を爆走。
オートバイで必死に追った時のあの恐怖は今も時々思い出してゾッとするほど。
写真数枚で対象者を特定することは非常に難しかったが、学生風情だとかなり近寄ってジロジロ見ててもほぼ警戒されないことも知り、経営者がなぜ大事な仕事に学生を使うのかがわかったような気もした。
ある日、調査料金の支払い現場を偶然のぞいてしまい、代金30万円のうち10万円が1000円札100枚だったのを目撃。
これだけ必至でかき集めてきたお金にも関わらず、僕のようなド素人が調査しているとは夢にも思っていないだろう…という自責の念にかられて3ヶ月ほどで終了。

 

●レンタルビデオ屋の店員

・働いた年齢:22~23才頃
・働いた期間:約2年
コロムビアレコードのオーディション全国大会でグランプリを受賞しデビューが決まったものの、「まだデビューするには早過ぎると思う」とデビュー延期を申し入れ、もう少し仙台にいることになった頃に始めたバイト。数千本あったビデオ(当時はまだDVDがなかった)の何がどの棚に置いてあるかがだんだんわかるようになっていく事に我ながら驚く。
パートのベテランおばちゃんとよく喧嘩したが、今思えば当時の僕の理論は世間知らずが故の目茶苦茶さで、思い出すたびにおばちゃんへの謝罪の気持ちが溢れ出す。

 

●ファッションショーの選曲&音響

・働いた年齢:21~22才頃
・働いた期間:約2年
後で述べる練習スタジオでのバイトの中で定期的にあったもの。
あるファッションビルで定期的に行われるショーでの選曲と音響を担当をした。
スポーツウェア、カジュアルブランドから列席者限定のハイブランドものまでショーは色々とあったが、ある時にモデルの男の子が来られなくなり急遽スキーウェアのショーにモデルとして出演したのもいい想い出。当時仙台でファッションモデルだった鈴木京香とは同い年で度々一緒になった。

 

●練習スタジオ・音響照明レンタル

・働いた年齢:21~24才頃
・働いた期間:約4年
大学を留年し仕送りが止まってしまったため働かざるを得なくなり当時バンド練習で通っていたスタジオの社長に直談判して採用された。
バイト仲間にも恵まれていたし何よりも仕事が楽しかったため1日に10時間ほどほぼ「週7」で働いたが全く苦痛ではなかった。この頃から大学にはほとんど行かなくなってしまう。
基本的にはいわゆる「スタジオ番」がメインの仕事だったが、やがてPA(音響機材)の運搬、オペレートをやるようになったりレコーディングスタジオに夜中に忍び込んでこっそりデモテープを録ったり…と以降の人生に決定的な影響を与えた。
そのバイト先で出会った渡辺とJIGGER’S SONを結成。デビューが決まり上京する事になるのはここでのバイトを始めた4年後のことだった。

 

以上。

こうやって思い返してみると、ひとつひとつのバイトが今の自分を作り出したパーツになっている事に気がつく。
パーツの数の分だけ人としての深みと幅が広がるのならもっと色々やっておけば良かったなとも思う。

学生諸君。悔いのない人生を。

 

写真は色んなパーツの組み合わせでできた私。
51才になりました。

 この記事を書いた「マイみちスト」
(さかもとさとる)
1967年青森県生まれ。1992年、JIGGER’S SONのボーカル、ギターとしてメジャーデビュー。1999年「天使達の歌」でソロ活動開始。自身の活動の他、楽曲提供、プロデュース、映画等の音楽制作、ラジオパーソナリティとしても活動中。
この「マイみちスト」の作品

SOUND of SURPRISE

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Comment (1)
  1. みぽぽん さん

    私も玩具店、弁当屋、洋菓子店、アクセサリー店、雑貨屋等々いろいろやり、今の職場で社員として十四年。
    いろいろ勉強し、人付き合いも以前より…。(笑)
    まー大人に、なったっことで。
    バイトはしておいた方がいいなと思います。
    また次回の連載楽しみにしてます!

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