東北をフカボリ!「道の駅」日刊ウェブマガジン「まいにち・みちこ」

まいにち・みちこ

(さかもとさとる)
1967年青森県生まれ。1992年、JIGGER’S SONのボーカル、ギターとしてメジャーデビュー。1999年「天使達の歌」でソロ活動開始。自身の活動の他、楽曲提供、プロデュース、映画等の音楽制作、ラジオパーソナリティとしても活動中。

第7回「15で大人になるなんて」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
シンガーソングライター坂本サトルが出会った音、風景、そして人…
まいにちみちこ編集室
https://my-michi.com/column/34975682/13613

かつて、この国には元服という儀式があった。

【元服】

初冠、加冠、烏帽子着ともいう。男子が成人し、髪形、服装を改め初めて冠をつける儀式。元服の時期は一定しなかったが11歳から 17歳の間に行われた。儀式は時代、身分などによって異なり、平安時代には髪を結い冠をつけ、中世武家の間では冠の代りに烏帽子を用いた。加冠の人を烏帽子親、元服する人を烏帽子子と称し幼名が改められ実名 (成人後の名前) が定められた。江戸時代になると一般武家では烏帽子を用いず、月代 (さかやき) を剃って前髪を落すようになった。(ブリタニカ国際大百科事典より)

要は今で言う成人式。いやもっと重要なもので、武家に生まれた子ども達はこの日を境に幼名が実名になり武士の子はちょんまげを結って大人になる。ルックスどころか名前まで変わってしまうという大変な儀式だったのだ。

この元服が形を変えて今も残っている地域というのが日本中にあって、僕が生まれ育った青森県県南地域もそのひとつ。今年もいくつかの中学校で「立志式」とか「立春式」と呼ばれる学校行事が行われたのだ。

前出のブリタニカによれば元服の年齢には幅があるとのことだが、僕の故郷では立春の頃に中学2年生(数え年で15才)がそれまでの自分をふり返り、そして未来への誓いをみんなの前で宣言する。人生において、子ども達が真剣に過去と未来を考えるのは恐らくこの時が初めてではないかと思う。今どきの成人式などと比較にならないぐらい子ども達は真剣だ。

この立志式、立春式では式の後に「記念講演」が行われるのが慣例らしく、数年前から時々この記念講演の依頼が来るようになった。

講演会で話す?俺が?とお話しをもらった時は全く乗り気ではなかったが、好きなようにやってくれれば良いと言って頂いて「ものは試し」とやってみたら非常にウケてしまった。そして子ども達は予想に反してものすごく真剣に話しを聞いてくれるのだった。彼らが先生や親以外の大人の言葉を欲しているのがよくわかった。まあ僕のこれまでの人生で得た教訓が子ども達のために少しでも役に立つのならいいか、と思い直し今は以前ほど抵抗なくお話しを受けるようになった。

今年の依頼は2校。まず1月の終わりに訪れた1校目が我が母校、青森県南部町立南部中学校の立志式。

僕がこの学校に通っていた頃は1学年4クラスあったが、今年の2年生は40名1クラス。

野球部も生徒が足りなく廃部になってしまった。

そこで僕がどんな話しをしたのかは今後のネタバレを避けるために詳しくは書かないが、まとめれば「世の中は広い。キミは何にでもなれる。かっこいい大人になるのだ。」と、そんなことをラジオ番組風に話して最後に1~2曲歌って終了、という内容。

歌はいい。最後に歌えばなんだかビシッと締まった感じになる。そしてきっと子ども達もミニライブが見られたら楽しいに違いない(自分で言う)。そう考えれば僕がこのお仕事を引き受ける意味はあるのかもな。

この日も真剣に話しを聞いてくれる子ども達に助けられてあっという間に講演会は終了。最後の歌が終わると万雷の拍手!

帰り際、控え室だった校長室を出ると2年生全員が見送りのために待っていてくれた。

胸が熱くなった。この子達全員が幸せな人生を送れますように。

そしてもう1校、2月に訪ねた三戸町(さんのへまち)にある杉沢小中学校の立春式。

三戸町は町をあげて小中一貫教育を実施していて中学1年生のことを7年生と呼ぶ。ということで今回の主役は8年生。アメリカみたいだなあ。

この地域を訪れるのは生まれて初めて。

実家のとなり町だというのに周囲の景色は全く違っていた。

雪が比較的少ない青森県、県南地方(第2回「青森から青森へ」参照)のはずだがこの辺りは違う。深い。雪が深い。

地図で見て納得。ここは県南と言ってもかなりの内陸で十和田湖の入り口と呼んでもいいロケーションなのだ。

実家と杉沢中学校はそれほど離れていないように見えるが標高が全然違うのだ。

青森市内から車で八甲田をぐるりと周回するように走ること2時間40分。ようやく到着!

待っていたのはマサヨシ。

僕の小中学校の同級生で中学3年の時に一緒にバンドをやっていた人生初のバンドメンバー。そしてこの学校の教頭先生なのであった。

通された控え室が畳でほっこり。

昼食は給食をいただく。

僕らが子どもの頃よりカロリーや栄養バランスに気を遣うようになっているとのこと。味は良かったです。

この話をマサヨシから電話でもらった時に聞かされて驚いたのは、この学校の在校生が小学生6名、中学生3名の合わせて9名しかいないということだった。

しかも立春式の該当者となる8年生はなんと1名。たった1人のために開催される式なのだ!

ということで会場はこんな感じ。

2つ並んだ椅子は立春式該当生徒のご両親の席。つまり生徒が1人なので父兄席は2席のみなのだ!

さらに近づいて演壇の向こう側を見てみると…

ぽつねん!これがたったひとりの8年生が座る椅子!

彼に対面するのは15名の学校職員、全校生徒(彼以外の8名)、そして町長を始めとする来賓の方々等、その数ざっと50名。

その50名がたった1人のために集まってこの儀式をやろうというのだ。1対50。披露宴より大変じゃないか…。

まだ14才の彼にとってそれがどれほど重圧だったのかは想像もつかないが、彼はきっちりとやりきった。よく頑張った!

式の後は記念講演ということで僕の出番。

全校生徒が僕を半円に囲み、その後ろに学校職員、ご両親を始めとする大人達がグルッと座っているという半円キャンプファイヤー状態。

いざ話しが始まると「打てば響くとはまさにこのこと!」と感激するほど生徒も大人達も聴くときは物音1つ立てずに聴き、笑うときは大いに笑う!という状態で想像を遥かに超えた濃厚な1時間となった。

その時に紹介した生徒全員に回答してもらったアンケートの中で、8年生の彼は「小学生の時から学年に僕1人しかいなかったので競い合ったことがない」事を嘆いていたが、今回のように他の学校にいたら味わえない重圧を何度も経験してきただろうから「後々すごい財産になると思う」と話させてもらった。

そして講演会の終盤。個人的にはこれがクライマックス。マサヨシとの共演。「木蘭の涙」を2人で。

マサヨシとバンドをやっていたのはちょうど14才の頃。

古いピアノ、それを弾くマサヨシ、歌う僕、そしてそれを聞いている14才の少年。

自分がどこにいるのかわからなくなるような不思議な時間だった。

あれから36年。またこうやってマサヨシのピアノで歌うことになるなんてなあ。

最後に記念撮影。

小学生の男の子が「サッカーの練習!」ということで帰ってしまったので残りの8人と。みんなほんとに可愛い…。

今回出会えた2つの中学の子ども達。

話した事が1つでも心に残ってくれたらいいな。

いつか一緒に仕事しような。それまで俺も頑張るぞ!

 

【お知らせPR】

いよいよ2月17日、仙台市内にてデビュー25周年記念ライブ開催!
詳しくは「まいにち・みちこ Facebookページ」で!

皆さまよりお寄せいただいた感想はこちら (2)
  1. 中林20系 さん

    毎回、よい話を楽しまさせていただいてる東北好きの同い年のものです。今回もじ~ん…とくる話でした…地図には爆笑させていただきましたが。
    都心に住んでますが、うちの今所の小学校は学年ひとクラスしかなく、しかも一学年10数人程度…ついに統合で廃校となってしまうことになってしまいました。わたし自身は西日本の育ちで、当時日本一の児童数を誇る小学校に通ってたので(=一学年13クラスという、団塊の世代並み!)、その感覚が完全には理解できないのですが、少ないゆえに縦も横も結束力のようなものは卒業後も…そして社会に出てからも強く結ばれてそうですね…あ、それが《絆》か。

    これからも、こころが温まる話をよろしくお願い致します。インフルエンザが猛威を振るってますので、どうぞお身体にはお気をつけを!

  2. 寒石 凍 さん

    ふと、自分が十五歳の頃を思い出しました。
    この歳の頃は、親でも先生でもない大人の人の言葉が欲しいんですよね。
    わかります。かくいう自分も親の言うことより、親戚のおじさんの言葉の方が響いていました。
    立志式の内容の素晴らしさ、
    写真の中のみなさんの笑顔でよくわかります

感想をお待ちしております

*

CAPTCHA


この著者の作品

SOUND of SURPRISE

この記事が気に入ったらシェアお願いします

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
関連する記事
この連載を読む
あなたにおすすめの記事