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第6回「終わりの反対ってなんだろう」

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シンガーソングライター坂本サトルが出会った音、風景、そして人…
まいにちみちこ編集室
https://my-michi.com/column/34975682/13134

「終わり」の反対語はなんだろう。
普通に考えれば「始まり」だ。長く僕もそう思ってきたが(というかそんなことを真剣に考えたこともなかった)、あることをきっかけに別の言葉ではないか?と思うようになった。

そのきっかけとは父の死だ。

父が膵臓ガンのため余命半年という宣告を受けたのは震災が起こった年の夏の終わりのことで、その時期ちょうど被災地に通うことも一段落ついた僕が父の病院担当になった。
それから数ヶ月間、痛みのコントロールぐらいしか打つ手がなかった父を連れて週に1度病院に通った。
始めの半年はさすがの穏やかで強い人だった父も落ち込んだり母に声を荒げたりすることもあったが、最期の2ヶ月ほどは「お父さんは人生で今が1番幸せだ」と言うようになった。今思えば、その言葉は献身的に身の回りの世話をする母や弟夫婦、そして僕たち家族への最後の優しさだったのかも知れない。

結局、父は9ヶ月の闘病の末に旅立った。その9ヶ月間とは希望と絶望を交互に繰りかえす残酷な日々であり、家族が1つになって父を支えた感動的な毎日であり、そして父がこの世からいなくなるのだということを本人と僕らが受け入れるための猶予期間だった。

 

病気が見つかった直後から母は「いつも近くにいたのに異変に気づけなかった」と自分を責めるようになり、それは父が逝ってしまってからも続いていた。50年近く激動の人生を共に戦った戦友であり最愛の人を失ってしまった上に、小さな背中でそんな重荷を背負ってしまった彼女があまりにも可愛そうで、僕は歌を作ってあげようと思ったのだった。

彼女にどんな言葉をかければ痛みがやわらぐのか?
考え始めた時に浮かんだのは、ある日、病院の廊下の長いすに2人で腰掛けていたときに父が言ってくれた言葉だった。
「お前たち3人にお父さんの血が半分ずつ流れている。そう思えば死ぬのは怖くない」

死を恐れる理由の1つはそれが「終わり」だと思うからだ。
しかし父は自分が息子達の身体に半分ずつ残っていて生き続けて行くことに気がついて、その恐怖から逃れた。
そう「終わり」の反対の言葉は「続く」なのだ。
それを歌おうと決めて「バトン」という曲を書いた。

 

「バトン」

誰も君を責めはしないよ もう自分を許そう
夜明け前に雨は止むだろう くすんだ街 洗い流して

守ろうと思えば思うほど 傷つけた 傷ついた
やさしさはいつも少しだけ 足りなかった 見えなかった

想いが継がれてゆくのなら 知らぬ街 春の朝
届いて花を咲かせるから 愛しい人 どうか泣かないで

ぬぐい去れない悲しみを 笑いあって 手を握って
少しずつ薄めながら 命は続いていく

ただ そばにいて 今は上手く笑えなくても
いつか いつか いつか ここで待ってるから

想いが継がれてゆくのなら 蒼い月 照らす海へ
届いて船はまた行くだろう 次の誰か 探す旅の途中

誰もが受けとったバトンを 抱えて 今日も走る
「さよなら」「ありがとう」 繰り返す日々を生きて
続いてゆくんだよ 泣かないで
(2012年 JIGGER’S SON「バトン」)

 

大切な人が亡くなってしまったのは自分のせいではないか?と自責の念を抱えたまま日々を過ごしている人は母の他にも大勢いるのだろうと思う。その傷を消し去ることなど出来ないが、ほんの少しだけでも薄めることが出来たらいい。

 

74才になり、亡くなった父の年齢を追い越してしまった母は今も現役で朝から晩まで畑でバリバリと働いている。
亡くなってからもうすぐ6年。月命日の墓参りを欠かさず寝室には父の洋服がかけたまま。寝ているベッドも父が使っていたベッドだ。月に1度ぐらいのペースで日記のようなものを書いていて「何書いてるの?」と聞くと「お父さんにお前達のことを報告してるの」と。

お父さん、血は繋がっていないけど、お母さんの中にもちゃんとあなたは生きているんです。

 

写真はいつかの2人。こうやって僕らを育ててくれました。

 この記事を書いた「マイみちスト」
(さかもとさとる)
1967年青森県生まれ。1992年、JIGGER’S SONのボーカル、ギターとしてメジャーデビュー。1999年「天使達の歌」でソロ活動開始。自身の活動の他、楽曲提供、プロデュース、映画等の音楽制作、ラジオパーソナリティとしても活動中。
この「マイみちスト」の作品

SOUND of SURPRISE

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皆さまよりお寄せいただいた感想はこちら (4)
  1. 風游 さん

    昨年11月、僕の父も旅立ちました。
    4年前に大腸がんの「要再検査」の結果が出たにもかかわらず、
    心臓と肺を気に病んで見逃してしまったんだと今は思っています。
    普段は気を張っていますが、やはり悲しいです。
    この文を読んでまた涙があふれてきました。
    なぜあの「要再検査」を見逃してしまったのか。
    最後の日々をもっと気遣いのできる病院で過ごすことが出来たなら・・・。
    後悔は今も多々残っています。
    また、非正規雇用低賃金&独身の身で、残った母をどうやって守るべきか。
    心配だらけです。
    でも、とにかく母を守るために、気を張って上を向いて歩いていこうと思います。
    ありがとうございました。

  2. かこ さん

    16年前のことです。
    父が余命1年の末期ガンと宣告され、8ヶ月の闘病の末、旅立ちました。
    闘病生活の日々は、様々なことを考え、受け入れていく時間だったな…と今は思っています。

    お母様の思い、痛いほどわかります。
    私たち家族も、父の病に気づけなかったことをどれほど後悔したことか。
    余命宣告されていても、父は決して諦めず病と闘うことを選び、立ち向かいました。
    だからこそ、天国へ旅立った後も、私たちは自らを責め続けてしまったんです。

    その時に友人からこう言われました。
    『自分にとって大切な人が旅立ったときは、必ず何か大切な贈り物をくれるんだよ。
    それは明日かもしれないし、何十年後かもしれない。でもその贈り物は“その人からのものだ!”と気づけるし、本当に素敵なギフトだから、悲しみ続けたり責め続けないで、それを楽しみに待っていればいいんだよ』

    この言葉で救われて、それからの生活が普通に出来るようになりました。
    実際に『これだ‼︎』とわかるものが私の手元にやってきましたし、その時ようやく父への後悔の念が溶けていきました。

    お母様もサトルさんからの唄や愛情が、お父様からの贈り物なのかもしれませんね。

    血が繋がっていること、そして魂で繋がっていること。悲しみは薄れても、思いはずっと繋がる。
    そんなことを改めて感じさせてくださった、今回のお話でした。
    ありがとうございました。

  3. モーリー君 さん

    明日が必ず来るとは限らない、今を大切に生きるべき、と以前サトルさんが話していましたね。
    だからこそ、生きているうちにしかできない親孝行を後悔のないよう、行動に移していきたいと思います。

  4. 怠け者Z さん

    お疲れ様です、こんばんは。
    先程この『まいにち、みちこ』を知ったばかりです。

    この記事を読んで泣きました。

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