東北をフカボリ!「道の駅」日刊ウェブマガジン「まいにち・みちこ」

まいにち・みちこ

(さかもとさとる)
1967年青森県生まれ。1992年、JIGGER’S SONのボーカル、ギターとしてメジャーデビュー。1999年「天使達の歌」でソロ活動開始。自身の活動の他、楽曲提供、プロデュース、映画等の音楽制作、ラジオパーソナリティとしても活動中。デビュー25周年&生誕50周年記念ライブ「ハーフ&ハーフ仙台編」チケット残りわずか!

第3回「ハタチのキミへ」

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シンガーソングライター坂本サトルが出会った音、風景、そして人…
まいにちみちこ編集室
https://my-michi.com/column/34975682/11689

毎年、成人の日に青森県八戸市で「エフエム青森公開録音~おめでとう成人の仲間たち」というタイトルのライブをやらせてもらうようになって今年で15年目になる。10年を越えると歴史の重みのような有り難みも漂ってきて、今ではこの地域の風物詩と呼んでもらえるようになった。
「バンド練習があるから」という理由にもならないような理由で成人式に出席しなかった事を今は悔やんでいる僕が、こうやって15年間も成人式絡みのライブを続ける事になるなんて皮肉というか世の中上手くできてるというか。

 

ハタチの頃。僕は仙台で大学生だった。
「BABAND(ババンド)」という適当に付けた名前でこどもばんどのコピーバンドをやっていて、愉快で楽しいバンド生活を送ってはいたが音楽で食って行こうとは本気で思っていなかった。
バイトは中学1年男子の家庭教師。彼の自宅に週に2度通い毎回2時間勉強を教える約束だったが、ちゃんと勉強を教えたり宿題を一緒にするのは最初の1時間だけで、後半はファミコンの話をしたり実際にファミコンをやったり、時々は「先生眠いからちょっと寝るよ。ヒデキ(生徒の名)も昼寝していいよ」とコタツで1時間ぐっすり眠ったりした。今思えばなぜそんな事が許されると思っていたのか?家庭教師を何だと思っていたのか?我ながら理解に苦しむが、それが若人の愚かさと豪快さということか。とにかく我ながら目茶苦茶な先生っぷりだった。
意外なことにそんな僕の行動に対してご両親は全く怒ることはなく、時間になるとお母さんがやってきて「はいはい2人とも、もう時間ですよ(笑)」と優しく起こしてくれるのだった。お父さんはさらに豪快で「先生、勉強ばっかりじゃなくてコイツに色んなこと教えてやって下さいよ!」と会う度に言う始末。恐らくご両親は、僕にお姉さんしかいなかったヒデキの兄ちゃんになって欲しかったのではないか。
結局1年程(半年ぐらいだったかな…)で家庭教師をやめたのだが、その時にもお母さんはやっぱり優しい顔をして「頑張ってね」と3万円くれた。留年が決まり仕送りが止まったばかりで追い詰められていた僕は、その3万円を握りしめて少し泣いた。
ヒデキはその後、僕の影響でギターを始めてバンドも作ったという。僕の事を本当に兄ちゃんだと思ってくれていたのかも知れない。

 

音楽人生における決定的な出会いと出来事があったのもこの時期だった。
仕送りが止まった僕は学費と生活費を稼ぐために気合いを入れて働くことが必要になった。そこで選んだのがBABANDの練習で使っていたスタジオ。基本的には「スタジオ番」として予約の電話を受けたり、使用後のスタジオを掃除したりするのが主な仕事だったが、そこはPA(音響機器)と照明のレンタルもやっていて、程なくしてPAのオペレーターの仕事もするようになったのだった。
やがて、僕はほぼ週7日、朝から晩まで働かされるようになったが、夜中にこっそりレコーディングできるスタジオに忍び込んでデモテープを録ったり、会社の電話を使ってライブのチケットを売ったりしていたから文句はなかった。大学には全く行かなくなってしまったが。

 

そんなバイト先でスタジオ課の課長(部下なし)として働いていたのが後にジガーズサンのギタリストとして一緒にデビューする事になる渡辺だった。「今度ライブあるから来てみる?」と誘われていった渡辺のバンドのライブが僕のその後の人生を左右したと言っても過言ではない。
初めて見た渡辺のバンドの楽曲、演奏、パフォーマンスのあまりのクオリティの高さに僕はすっかり打ちのめされてしまった。今日のライブに比べれば俺がBABANDでやっているのはただの遊びに過ぎない。もっと本気で音楽をやるのだ!と心の底から思ったのだ。

 

その後、渡辺と一緒にバンドをやろうと誓った僕は弟の昌人を誘いバンドを結成する。
JIGGER’S SON(ジガーズサン)と名付けたそのバンドが出場した3つのコンテスト全てで東北大会グランプリバンドとなり全国大会進出、その中のコロムビアレコード創立80周年記念オーディションで見事グランプリを獲ってメジャーデビューが決まるのは結成から2年後のことだった。

(結成当時、1988年頃のJIGGER’S SON。私21才。右端は当時のドラマー大光ワタル氏)
(そして1990年頃のJIGGER’S SON。スタッフ作のパンツがすごいです。)

 

思い返せば、僕のハタチは愚かであり無茶苦茶であり身勝手だったけれども、その思い切りの良さは爽快でもあった。周りを巻き込んで渦巻いていく水流でありキラキラと輝く風であった。
ハタチのみんな、人生まだまだ先は長いぞ。ハタチの頃にしかできない冒険も失敗も悔しさも喜びもある。
僕のハタチとキミのハタチではツールや環境は違うだろうが変わらないものだってあるはずだ。
愚かで無茶苦茶で身勝手でいいぞ。思いっ切りいけよー!

 

~エピローグ~
1年半ほど前、Facebook経由でヒデキから連絡があった。
中学1年生の人懐こくて可愛らしかった男の子は障害児施設で働く42才の立派な介護福祉士になっていた。
最近はギターは弾いていないが「天使達の歌」を練習したりしていたとの事。
優しかったご両親は残念ながらお二人ともお亡くなりになっていた。もう1度お会いしてあの時の3万円と優しいお気持ちがどれほど有り難かったか伝えたかった。

 

最後に上の写真から27~28年後。2017年9月のJIGGER’S SON。

皆さまよりお寄せいただいた感想はこちら (4)
  1. みぽぽん より:

    今回も楽しく読ませていただきました!二十歳か~上京して、ジガサンを知って関東圏のliveには行きまくり、ほんとに楽しかった時期です~♪懐かしいなっ
    第四回めも楽しみにしてます!
    昔の写真
    わっかいですね~
    サトルさんがアイドルみたいっ
    かわいい写真っ(笑)

  2. ほとちゃん より:

    なんかじーんってきました。
    ハタチは相当前だけど、JIGGER’S SONに夢中で、あの頃があって今の音楽に対する気持ちがある気がします。
    若いときしかできない良い意味で無謀さってあるので、色々チャレンジしてほしいですね。
    なかなかライブ参加できてないですが、忘れてないですよ

  3. benjamin より:

    二十歳の倍生きてることに 驚く今日この頃ですが、マットさんの娘さんたちは経験してるのかな。今は、小学4年生で「二分の一 成人式」 うちの息子の学校で親子行事として行ってくれました。これもまた、ついこないだ生まれてきてくれた子供たちの成長を感じ、母は号泣。二十歳の自分に向けて、夢や母とお酒を飲んでみたいとお手紙書いてくれました。これが、現実になるのもあっという間なのかな。
    私は、ジガーズ・サンがデビューしてすぐ洋一さんのギターにはまり、大好きになった一人です(^-^) 私も健康なうちに、地元仙台で、ジガーズ・サンのライブをまた見せて欲しいです❗

  4. マバ より:

     1月7日南部町の成人式に娘と参加してきました。受付から開催時間までの、交流する若者達の声が若さを感じさせて、館内は熱気ムンムンでした。その会場に微かに流れるBGMに、ふと耳を澄ましましたら、ナント。サトルさんの声で南部町の歌が流れてたんです。知ってましたか?

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