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土地と軍隊 八甲田の悲劇

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【操觚の会】日本の歴史小説作家、時代小説作家の親睦団体。2016年6月に創設。2018年5月現在、赤神諒、秋山香乃、朝松健、芦辺拓、天野純希、荒山徹、神野オキナ、神家正成、蒲原二郎、木下昌輝、小松エメル、坂井希久子、杉山大二郎、鈴木英治、鳥羽亮、新美健、早見俊、誉田龍一、簑輪諒、谷津矢車(五十音順、敬称略)が所属。現在、鈴木英治が代表、早見俊が副代表を務めており、トークイベントや書店でのサイン会といったイベントを定期的に開催している。
まいにちみちこ編集室
https://my-michi.com/column/15928643/22604

 八甲田山と聞くと、ある一定の年代の方は、「天は我々を見放した」の名台詞を思い出す方が多いのではないでしょうか。実際に起こった雪中行軍の遭難事件を元にした、新田次郎氏の小説『八甲田山死の彷徨』を原作とする映画『八甲田山』の一場面です。
 もっとも八甲田山という単独峰は存在せず、大岳を始め複数の山々で構成されている火山群であることは、地元の皆様はご存じでしょう。標高1600メートルに満たない山地ですが、青森県を東西に分け、それぞれの土地と住む人々に大きな影響を与えています。

 小説と映画は、事件を元にしたフィクションですが、遭難事件は明治35年(1902)1月に行われた、旧陸軍の冬季軍事訓練の際に起きました。参加将兵210名中、実に199名が死亡するという、世界最大級の山岳遭難事故です。
 謎の多い事件ですが、私がここで述べたいのは、土地と軍隊、そして人々との関係です。

「一所懸命」と言う言葉があるように、武士は先祖から受け継いだ土地を、命を懸けて大切に護ってきました。明治の世になり、国民皆兵により国民軍が創出されました。まずは鎮台(ちんだい)が置かれ、やがて師団に改組されます。鎮台や師団の下には、連隊と呼ばれる部隊が編成されました。
 帝国陸軍の連隊は、基本的にその管轄地域から徴兵された人々によって構成されました。大阪の兵は弱いなどの冗談があったように、郷土連隊として地元と密接な関係にあります。

 訓練実施部隊の母体は、帝国陸軍第8師団の歩兵第5連隊でした。青森県青森市に衛戍(えいじゅ※軍隊が永久に一つの地に駐屯することです)していた歩兵第5連隊は、本来であれば青森県の人々により構成されるはずです。ですが実際には、岩手県や宮城県の太平洋側の出身者が多かったのです。死亡者199名中、岩手県出身者が139名、宮城県出身者が46名で、地元青森県出身者は5名だけでした。
 岩手県や宮城県の出身者は同じ東北人ですが、厳冬期の八甲田の綿雪と呼ばれる雪質などを理解している者は皆無でした。各記録を見ても冬山に対する認識が甘かったことが見てとれます。もし地元青森県出身者の兵隊で構成されていれば、遭難事件の被害はもっと少なかったのかもしれません。

 なぜ青森の連隊なのに、青森の人々で構成されなかったのでしょうか。
 それは同時期に同じように雪中行軍訓練をして成功した歩兵第31連隊が関係しています。こちらも歩兵第5連隊と同じく青森県に置かれた部隊です。実はこちらの部隊は地元青森の人々で構成されていました。
 当時は日清戦争が終わり、ロシアの脅威が増大していた時代でした。事件の2年後、明治37年(1904)には日露戦争が始まります。雪中行軍自体が対ロシア戦を想定した訓練だったのです。
 軍備拡張により、新たに設立されたのが第8師団です。師団の管轄は当時、青森県、岩手県、秋田県、山形県と宮城県の北部3郡でした。隷下の連隊は4つで、衛戍地と連隊区(その連隊の徴兵が行われる地域のことです)の関係は以下のようになっていました。

 連隊名――衛戍地――連隊区
 歩兵第 5連隊――青森県青森市――盛岡連隊区(岩手県と宮城県の北部3郡)
 歩兵第17連隊――秋田県秋田市――秋田連隊区(秋田県)
 歩兵第31連隊――青森県弘前市――弘前連隊区(青森県)
 歩兵第32連隊――山形県山形市――山形連隊区(山形県)

 青森県に二つの連隊が置かれたのに対して、岩手県には一つもないのは、当時のロシアに対する北方の脅威を受けての部隊配備と考えざるを得ません。その影響で歩兵第5連隊だけが、衛戍地と連隊区が合わないこととなりました。いわばこれが、遭難事件の被害を拡大してしまった一つの要員と言えるでしょう。
 遭難事件の原因は、未曾有の寒気団による最悪な気象条件や貧弱な装備、指揮系統の混乱、情報や認識の不足などがありますが、大国との戦争を控えた当時の世の中の、抗えない歴史の流れも、あったのかもしれません。

 歩兵第5連隊はその後、日露戦争に従事します。シベリア出兵や満洲派遣などで活躍し、最終的には雪国とは正反対の南国フィリピンのレイテ島で玉砕します。
 訓練を成功させた歩兵第31連隊の最後の地も、奇しくも同じ南国フィリピンのルソン島です。
「一所懸命」から始まった武人(もののふ)の時代は、土地と軍隊が離れることによって終わることになりました。

 戦後発足した陸上自衛隊は、旧陸軍の歴史を継承していませんが、一部、同じ連隊番号を引き継ぎ、同じ地域に駐屯する部隊があります。
 青森県青森市に駐屯する第5普通科連隊は、その一つです。陸上自衛隊も陸士や陸曹などは、その土地の人々で構成されることが多いのです。
 郷土部隊の第5普通科連隊は、東日本大震災の際にも多くの隊員を災害派遣に送り出しました。また毎年、冬の八甲田で、雪山での技量向上と雪中行軍事件で遭難した犠牲者への祈りをこめ、伝統的に八甲田演習をしています。
 訓練の際、雪中行軍遭難記念像の前で、全員が敬礼して弔意を表します。
 同じ土地の伝統を引き継ぐ現在の武士たちは、何を祈り、何を誓うのでしょうか……。

 青森の地に歴史を刻んだ歩兵第5連隊の連隊歌は、最後以下のように締めくくります。

 

由来剛健質実は 我が北奥(ほくおう)の誇りなり
斯(かか)る名誉の後継ぎて いざ励まばや国のため
光栄(はえ)の歴史の幾行(いくぎょう)を 我らが名もて飾らばや

 この記事を書いた「マイみちスト」
(かみやまさなり)
2014年に第13回『このミステリーがすごい!』大賞、優秀賞を受賞。自衛隊ミステリー『深山の桜』で作家デビュー。最新作は単著『七四』アンソロジー『幕末 暗殺!』。陸上自衛隊少年工科学校(現:高等工科学校)富士学校修了。北海道で74式戦車操縦手として勤務。自衛隊を依願退職後、韓国留学。「#記念日にショートショートを」をTwitterやウェブサイトで月2回ほど公開中。愛知県春日井市出身。千葉県柏市在住。韓国人の妻と大学生の娘と日々、面白おかしく暮らしています。

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