「みちのく潮風トレイル」は、環境省の震災復興プロジェクトの一環として青森県八戸市の蕪島から福島県相馬市の松川浦環境公園までの1000キロを越える、わが国最長の官民連携で運営するナショナルトレイルとして2019年6月9日に全線開通した。これはわが国のロングトレイルの歴史にとっても非常に大きな意義のあることだった。
しかし、ぼくは当初から多くの方々の大変な努力を積み重ねてきた結果、震災から8年の歳月を経てついに「みちのく潮風トレイル」が開通したことを心からうれしく思うと同時に、同じ震災で甚大な被害を受けていた松川浦から南のエリアがルートになっていないことを大変残念にも思っていた。そしてこれからの大きな課題は、全線開通した「みちのく潮風トレイル」の管理運営のシステムをしっかり確立し軌道に乗せていくことと同時に、この福島県南部エリアにも1日も早くロングトレイルルートを作ることだと考えていた。更に言うならば、みちのくと同じように震災の被害を受けていた茨城県から千葉県に向かうルートも、例えば「常磐トレイル」のような形でこの先どれだけ時間がかかっても諦めずに展望していくことが大切だとも思っており、実際にいろいろなところで口にもしていた。

ところがその福島県南部に関する思いは予想よりはるかに早く実現に向けて動き出すことになった。東日本大震災から10年、福島県出身のなすびさん、福島県観光交流物産協会や沿岸市町村の皆さんの思いもあり、福島県南部の新地町からいわき市までの10市町が連携したロングトレイルの計画がスタートしたのだ。これにはわが「みちのくトレイルクラブ」も全面協力している。まだ暫定ルートの段階で正式ルートは確定してはいない。当然正式マップも標識もまだないが、その名も「うつくしま浜街道トレイル(仮)」。
これはなんとしても歩くしかないだろう!!!!

2021年4月19日「みちのく潮風トレイル」の最終日、松川浦環境公園にゴールした後、その勢いのまま続けて一気に5日間でこの「うつくしま浜街道トレイル(仮)」も歩く予定でいた。しかし残念ながら既に書いたとおり「みちのく潮風トレイル」最後の行程での無理がたたって背中と腰を痛め、この計画は断念せざるを得なくなった。仕方なくそのリベンジで、6月13日に名取トレイルセンターでトレイル沿線の各県市町村から寄贈された苗木の植樹祭があった際、その翌日からスタートしてあらためてこの計画中の「うつくしま浜街道トレイル(仮)」を歩くことにした。現在の段階ではまだ計画途中の暫定ルートではあるが、「浜街道」というだけあって山がなくアップダウンもほとんどない。フラットな海沿いののどかな田園地帯を歩く部分も多い。

また東日本大震災による福島第一原発の大規模な放射能事故の影響で、この時には浪江から富岡までは歩く事ができなかった。そのエリアでは未だに広範な地域に規制線が張られていて厳しくチェックされ入ることができない。窓は破れ内部も激しく壊れたままになっていて未だに片付けに入ることもできず放置されたままの建物があったり、第一原発事故で汚染された土を入れた黒や青の袋がかなり広範な地域に大量に置かれていたりするのにも言葉を失う。

いたるところに汚染土の山
第一原発周辺の規制線

第一原発周辺のエリア以外は歩く事ができるのでトレイルのルートになっているが、富岡町と楢葉町には福島第二原発があり広野町には火力発電所もある。更に火力発電所は相馬市の原町、いわき市の勿来にもある。特に大規模な事故にはならなかった福島第二原発周辺エリアはルートになっているが放射能の線量計がいたるところに設置されているのも目につく。「みちのく潮風トレイル」の憲章のひとつに「震災をいつまでも語り継ぐための記憶の道とする」ということがあるが、この「うつくしま浜街道トレイル(仮)」は、特に「大震災にともなう原発事故の恐ろしさを学び語り継ぐための道」という意味でも大きな意義のあるルートだと感じた。

松川浦を出発してから南下して二日目の朝、富岡駅近くの宿を出て第二原発付近を回り込んで海に出るルートを歩いているときにハプニングが起こった。本来のルートは第二原発入口ゲートに向かっていく道の途中で斜め右下方向へ右折していくのだが、その右折路を見落として第二原発ゲートの方に行ってしまったのだ。その右折路付近で実に絶妙なタイミングでザックを背負っていかにもハイカーにしか見えない格好でかなりのスピードでぼくを追い越していった男性がいた。どう見てもうつくしま浜街道を歩いているとしか見えなかったので、その男性に声をかけようと後を追った辺りでまさにその右折路と「立ち入り禁止」の看板を見落としたのだった(汗)。実はその男性は第二原発の職員で、いつものようにその姿で出勤する途中だったことがあとで分かったのだが、それが分かった時には後の祭りだった。
そのことに気がついたときにはすぐ目の前に原発のゲートがあった。どう考えても怪しい格好をして大きな荷物を背負ったぼくがまっすぐ向かってくるのをみて、ゲートにいた警備員がバラバラと駆け寄ってきて取り囲まれた。事情を説明してすぐ解放されるのかと思いきや、更に機動隊員二人に原発職員までやってきてあらためて説明をする羽目になった。全くやましいことがあるわけではないので、八戸から相馬市の松川浦まで「みちのく潮風トレイル」を歩き終わったあと、「うつくしま浜街道トレイル(仮)」を歩いていて、これからいわき市の勿来を目指して歩いていくのだと説明を試みる。ことのついでなのでチャンスとばかりに名刺を渡して、じっくり「みちのく潮風トレイル」のこと「うつくしま浜街道トレイル(仮)」のことについて説明してやっと解放された。実に40分ほども原発のゲート前で機動隊員や警備員を相手に「ロングトレイル」へのサポートをお願いすることができたのだった(笑)。これから職員が出勤してくる忙しい時間帯に、ぼくの不注意でわざわざ手間と時間をおかけしてしまったことを詫びて、「暑い中頑張ってください」と挨拶してゲートを後にした。ちなみに、もちろん原発ゲート近辺の写真撮影は厳禁なので、このときの貴重な体験を写真でご紹介できなかったのは残念だった。
これもその晩ニュースをみて分かったことだが、この日2021年6月15日はまさに東京電力ホールディングス株式会社が福島第二原子力発電所の廃止措置計画について、福島県・楢葉町・富岡町に説明し事前了解を受ける前日で、ことのほかピリピリムードだったのだ。トレイル全体を通じていろいろなハプニングや偶然に出会ってきたが、ここでも絶妙な偶然で貴重な経験をしたのだった。

福島第二原発
公民館前の線量計

その後は、特に大きなハプニングもなく、防潮堤上によく整備され防災緑地帯になっている遊歩道を延々と歩き、いわき市、小名浜を抜けて、ルートで唯一の登りとなる「勿来(なこそ)の関」を経て、無事「うつくしま浜街道トレイル(仮)」のゴール・勿来海岸の砂浜に立っている鳥居にたどり着いた。

いわき市波立(はったち)の弁天島
防潮堤の上に作られた避難緑地帯の遊歩道
勿来地区の被災者の声や映像を収めたタイムカプセル
勿来火力発電所
勿来関
勿来海岸のゴール

<おわりに>
この勿来の海岸にたどりついた2021年6月17日をもって、青森県八戸市から福島県いわき市勿来までの東北太平洋沿岸部をひたすら歩いてきた旅の記もすべて終わる。
「みちのく潮風トレイル」踏破の記は北から順にエリアを選んで述べる形を取ってきたので全エリアを網羅している訳ではないが、機会があったら今回触れることのできなかったエリアについても書いてみたいと思う。また体力と機会があれば、次はぜひいわき市勿来から南へ、茨城県・千葉県までの常磐エリアも歩いてみたいと思う。

「うつくしま浜街道トレイル(仮)」は、2022年2月現在まだ暫定ルート段階だが、令和5年の本格開通に向けて多くの努力が積み重ねられている。一日も早く全線が開通して「みちのく潮風トレイル」に接続し、まさにみちのくの沿岸部全域を貫く一本の壮大なるロングトレイルとなる日を心から楽しみにしている。

約半年に渡る長い連載に辛抱強くお付き合いいただいた読者の方々に心から感謝申し上げたい。
最後に、この連載を書くにあたって歩く旅の魅力をできるだけリアリティーを大事に伝えたいという思いから、途中お会いした多くの方々とのエピソードについては、事前のご了解をいただけた場合に限り実名や写真を使わせていただいた。快くご了解いただいた全ての方々に心からお礼を申し上げて筆を置きたいと思う。

2022年2月24日