1 2011年お盆の松島 ~瑞巌寺の大施餓鬼会(おせがきえ)と流灯会(りゅうとうえ) 海の盆

2018年2月、用事で仙台に行ったときに松島から多賀城までワンデイで歩く計画を立て、朝一番の列車でスタート地点の松島海岸に向かった。その日はいつ雪が降り出してもおかしくないような冷え込みのきつい日だった。
松島海岸駅で降りてスタート地点の松島の浜に立ったとき、その7年前の2011年8月16日にここを訪れ、東日本大震災後初めての瑞巌寺のお盆行事に偶然参列した時の光景が鮮やかに甦ってきた。
2011年8月15日16日の二日間、松島の浜で東日本大震災の犠牲者の供養と鎮魂のために、第一回目の大規模な瑞巌寺の「大施餓鬼会」と「流灯会 海の盆」が行われた。その日までに気仙沼、大島の知人や安波ヶ丘にある父の第一歌碑がどうなっているか、その他の被災地域の現状がどうなっているか心配で、気仙沼、陸前高田、大船渡と回ってきた帰りに松島にも寄ったのだが、震災後最初のお盆ということでちょうど新しい行事として「海の盆」が初めて大規模に行われた日だったのだ。

「流灯会」はそれまでにもあったいわゆる灯籠流しだが、東日本大震災後初めてのお盆ということで、それまで以上に灯籠の数も増やし規模を大きくして新たに「流灯会 海の盆」としてスタートさせたとのことだった。ちなみにこの行事は大施餓鬼会とともにその後も恒例の行事として毎年続いてきたそうだが、残念ながら2020年と21年はコロナの影響で中止になっている。
夜の浜に多くの人々が集まり、1万とも2万とも思われるたくさんの灯籠がゆらゆらと暗い海に流れていく様を見ながら手を合わせ、静かに涙を流す方々も多く見られた。
流灯会が終わった後、海の盆最後の行事として瑞巌寺の「大施餓鬼会」が始まった。着飾った稚児達の入場の後、瑞巌寺を核に60人近い県内の法類の僧侶達が入場してきて朗々たる読経が始まった。経木・卒塔婆の炊き上げに真新しい卒塔婆を持ってくる人々。3月の震災で亡くなった家族なのだろうかと胸が詰まる。パチパチとはぜる炊き上げの音、暗い海に浮かぶ無数の灯籠、波の音を背景に響き渡る読経の声。空には満月。
思いがけず前年の6月に亡くした父のいい供養にもなったのだった。

2 松島観光船ガイドさんの話

この2011年8月の松島ではもう一つ忘れられない想い出がある。それは松島で小型観光船のガイドをされていた40歳代の女性の話をお聞きする機会があったことだ。そのときにお聞きした彼女の生の声が今でもはっきりと心の中に残っている。

ちょうど一日の仕事が終わろうとしていたとき地震が来た。下から突き上げられる大きな音と波。尋常ではない地震と思ったが、いつもの訓練どおり「瑞巌寺さんに行けば助かる」とお客さん達を落ち着かせて避難誘導した。松島の町は建物の1階部分は浸水したが、松島湾にある260の島々が守ってくれていた。
一段落して夜遅く東松島の自宅に歩いて戻ったが、父も母も飼っていた犬もいない。家は流されて跡形もなくなっていた。それから2週間、遺体安置所をまわった。ちょうど2週間目に父が遺体で見つかり、その3日後に母が見つかった。仮設住宅は家族連れが優先され、ひとりだと後回しになる。今は月2万円でアパートに住んでいる。避難所では始めの頃は1日一枚の乾パン。水もままならなかった。避難所では同級生が3人自殺した。始めは人の世話になって申し訳ないという気持ちが強かったが、あるときボランティアの方に「阪神のときは遠くの人たちに助けられた。災難はお互い様だし、助けられたら次には助ければいい」と言われ思い直した。皆さんにはぜひどんどん松島に来てほしい。来てくれることが松島を助けることになる。お金のことを言うのは恥ずかしいが、来月の10万円より今日の一万円がうれしいことを実感した。毎日通帳を持って銀行に行くが、実は義援金はまだ入ってこない。みんな苦しい。だからお客さんがきてくれて仕事ができることが何よりもうれしい。

聞きながら涙が溢れた。辛い経験をし、その時にはまだまだ支援の力が足りずに苦しい毎日を送っていたその方が、本当に率直に経験を語ってくれたことに強く胸を打たれた。そして、あらためていつまでも忘れることなく被災地に思いを馳せ、できる限り足を運ぶことが助けになり復興に繋がっていくのだと思った。

3 雪の中、松島から南下し塩竈を経て多賀城へ

さて、松島海岸で7年前にあった様々なできごとを思い出しながら強い寒さの中白い息を吐きながら多賀城目指して歩き出した。

実はこの時点で、このエリアは松島から陸路を南下するのではなく、奥松島から船で浦戸諸島の3つの島を渡り歩きながら塩竈に入ることは小耳に挟んでいた。しかしまだ地図も完成していないし、船の手配や正式ルートの詳細がまだわからないということで、取りあえず陸路を歩くことにしたのだった。
ちなみに正規ルートである浦戸諸島の桂島、野々島、寒風沢島は、2019年6月8日全線開通記念式典の前日に行われた記念ハイクで、ゲストの女優市毛良枝さん達と一緒に歩かせていただいた。

貞山運河沿いの道

松島から多賀城に向かって直接南下する場合、塩竈までは左手に松島湾の島々を見ながら国道45号線を行くことになる。歩き出してすぐここを正式ルートとせずに浦戸諸島をまわるルートにした理由が分かった。左側は逃げ場のない崖で、しかも極めて狭い歩道をあるくのだが、ひっきりなしに車や大型トラックが後ろから追い越していく。そのたびに身体を横にして避けなければならないほど危ない。なるほどここがルートから外れたのはこういうことかと思いながら、雪が降り出してくる中とにかくこの危険エリアを早く出ようと、超高速で歩いて塩竈に出た。塩竈からは、翌年出された正式マップでは内陸側を通って、多賀城政庁跡や多賀城廃寺跡を通るルートになっているが、このときにはこのエリアの地図もまだできていなかったので、塩竈のマリンゲートから貞山運河沿いに南下して七ヶ浜を通り、砂押川経由で多賀城駅に出るルートを選択したが、塩竈辺りから雪が雨に変わり、おまけにかなりの強風が吹き始めたためにひたすらうつむいて雨と風をしのぎながら歩く形になった。

宮島、天の橋立とならんで日本三景の一つである松島コースは楽しみにしていたのだが、過去の思い出を振り返ることはできたものの、一部青空の見えた時間を除いては雪と雨と風との戦いに終始して、濃霧と暴風大雨警報の中歩いた唐桑半島のときと同じようにあまり印象に残らない1日となったのだった(笑)。