1 雄勝半島・桑浜の「漁師民宿」今野きつ子さん

「漁師民宿」は女漁師・今野きつ子さんという明るく元気で素敵な女将さんが経営する簡素だが綺麗な宿で、通された部屋も布団部屋どころかとても快適な部屋だった。
女将さんは、大津波によって桑浜漁港にあった家も作業小屋もすべて流されしばらくは生きる気力も失っていたそうだが、お花畑をつくり草花を育てるようになってから立ち直り、浜の上を通っている県道238号線沿いで民宿を始めたのだそうだ。

今野きつ子さん

ぼくが「みちのくトレイルクラブ」の理事で「みちのく潮風トレイル」の全線踏破を目指して歩いていること、宿が少なくて歩きにくい雄勝エリアで漁師民宿はまさにルート上にあること、更にルート全線を統括するトレイルセンターが名取の閖上漁港の前にあるということなどを話すと、震災前は閖上の朝市に魚介類を出していたとのことで大層びっくりされ、「みちのく潮風トレイル」にも大いに関心を持っていただいて一気に話が盛り上がった。
お風呂をいただいている間に洗濯までしておいてくれて感激していたら、夕食になり食卓を見てまたまたびっくりした。「なにもなくてもよければ」と言っていたはずなのに、食卓には驚くほどの豪華な魚介類がずら~っと並んでいる。箸置きなど食卓の小物類も雄勝硯を使ったおしゃれなもので素敵だった。おそらく急遽ぼくが泊まることになったので、無理をして食材を調達してくれたのではないかと思う。さすがの雄勝、そしてさすがの漁師民宿だ。おかげさまで強烈な寒波の中夏用のツェルトテントで凍えていたはずが、温かい布団で寝られおまけに超豪華海鮮料理を堪能することができるという幸せに、泊めてくれた今野きつ子さんに心から感謝したのであった。

夕食のときにきつ子さんと「みちのく潮風トレイル」のことを話しているなかで、この雄勝半島は宿が少ないためにハイカーにとって歩きにくいエリアになっていること。そして長い距離を歩いてくるハイカーはその日のコンディションのこともあるので当日歩いてみないとどの辺りまで行けるか分からない場合もあって、前日までの予約に限定されると困るケースがあること。また長期にわたって歩き続けるハイカーの場合経済的負担も大きいので、場合によっては朝食のみや素泊まり等のメニューがあるとありがたいこと。更に安心してテントを張れる場所があると更に嬉しいこと。ぜひこれからも「みちのく潮風トレイル」ハイカーに対してできる範囲でサポートしていただきたいことなどの話をしたところ、大変関心を持って聞いていただきこれからのサポートを約束してくれたのであった。
翌朝朝食が終わって出発する準備をしていると、きつ子さんが「ぜひ見せたいものがあるから」と車に乗るように言われた。何だろうと思っていると、すぐ下の桑浜漁港に連れて行かれた。そこにはなかなかしっかりした小屋が建っていて、これは流された後再建したうちの作業小屋だといって中に案内してくれた。入ってみると小屋の中の半分は作業場になっていて採れたばかりのワカメの処理をしていた。その奥には四畳半ほどのトイレ付の和室があってこたつまである。この小屋をハイカーにも使ってもらえるようにしたい、他にも、小屋とは別の空きスペースにテントを張ってもらうことも考えられるとのことだった。これ以上ないありがたいお話だと感激しながらも、ハイカー以外にもいろいろな人がいるので荒らされるようなことのないように、ぜひその使い方については料金も含めてルールを整えていただいた方がいいのではとお願いしたのだった。その日は結局昼頃になってから親切におにぎりまで持たせていただいて次の行程に向けて出発したのだった。

再建された浜の作業小屋
作業場の奥が和室になっている

2 桑浜から雄勝半島を抜け、南三陸から陸前戸倉駅まで

「漁師民宿」から先の「みちのく潮風トレイル」のルートは、桑浜漁港に降りて午前中に見せていただいたばかりの桑浜の作業小屋の横を通っていく。すぐ先に続く白銀崎の崖道を登っていくと、金華山の黄金山神社と御祭神が同じだという白銀神社に出る。白銀神社は大きくはないがなかなか雰囲気のある朱塗りの社があり、その日は天候も少し落ち着いてきて遙か彼方には金華山の美しい姿が見えた。入り口付近にあった小さな鐘楼で、震災で犠牲になった方々への鎮魂の気持ちを込めてひとつ鐘をついた。
更にその先、半島先端の大須崎を経て半島をぐるっと回り明神山を越えて無事雄勝半島を脱出することができた。

白銀神社
彼方に金華山が見える

雄勝半島を出るとすぐに大きな長面(ながつら)浦を回り込んで、甚大な被害を受けた北上川河口部の震災遺構になっている「大川小学校」のある地区を通る。その近くに新しくできたと思われる大きな墓地を通ったとき、ほとんどの家の墓碑銘に2011年3月11日の日付で幼い子供達からお年寄りまでの名前がずらっと並んでいる光景を目の当たりにしたとき、改めて言葉を失い涙が溢れるのを押さえられずにひたすら手を合わせることしかできなかった。

震災遺構・大川小学校
神割崎

結局このときは、大川小学校跡から新北上大橋を渡り最後の宿泊地である南三陸の神割崎を経て、シーズン最強の寒波で雪が降る中をなんとか予定通り陸前戸倉まで歩くことができたのだった。

BRT陸前戸倉駅