1 困った! また水の補給ができない!!
2020年2月8日朝、雄勝半島を目指して女川を出発した。
女川は典型的なリアスの天然の良港を持ち、寒流と暖流の魚が多く集まる日本有数の漁港である。俳優中村雅俊さんの故郷としても知られる町だ。東日本大震災による大津波で甚大な被害を受けその後の復興で中心地は綺麗に再建されていたが、移転等の人口流出により震災前と比べると大幅な人口減となっている。余談だが、中村雅俊さんはぼくと同じ大学学部の同窓生だ。もちろん在学中は知らなかったが、彼が有名になった後たまたま卒業アルバムをみているとき彼がいるのに気がついてビックリした。


女川を起点に北上すると、すぐに石投山に登り山頂から雄勝峠を越えて県道192号線で雄勝漁港に入っていくのが本ルートだが、192号線が通行止めになっていたため山頂から迂回路で反対側の波板海岸に出て、そこから雄勝湾をぐるっと回り込むような形で雄勝半島に入っていくことになる。




石投山は全体としては歩きやすいルートだが、特に山頂に近づくほどかなりの急登になるので思いのほか水の消費が多く、波板海岸に向かって下山途中にほぼ底をついてしまった。しかし波板海岸には「ナミイタ・ラボ」という会員制の地域交流センターがあり、そこで水の補給ができるはずと思い下山を急いだ。崖の上から波板海岸の小さな漁港に降りていき、そこから小さな集落の方へ上がっていったあたりに「ナミイタ・ラボ」がある。「ナミイタ・ラボ」は木造の雰囲気のいい平屋建てで、地域の人々の集会や文化活動等が行える交流施設である。建物の前には自動販売機もある。それまで水をずいぶん節約しながら急いで下ってきたので、やっと着いたという気持ちで自販機にコインを入れるもなぜか反応しない。ふと見るとなんと電源が切ってある!水をいただけないか声をかけたがどなたもいらっしゃらなかった。その日はたまたまナミイタ・ラボの活動日ではなかったようだ。周りには他に水を補給できるようなところも見つからない。ひたすら水の補給を目指してここまで来たので一瞬呆然としたが、そういえばさっき通ってきた波板海岸の漁港に公衆トイレがあったのを思い出した。最後の頼みとばかりに祈りながらもと来た道を引き返した。
こうして無事水の補給もできて、この日の後半戦・雄勝半島を目指して進むことができたのだった。


2 雄勝町の復興状況を見て衝撃
雄勝漁港は雄勝湾の最奥部に位置し、右手にこれから歩いて行く雄勝半島の姿を見ながら、水浜漁港、小浜漁港、唐桑漁港を経て雄勝湾を右に見ながら回り込んだ先にある。漁港まで距離にして約7キロだ。ここからは海沿いのルートなのでアップダウンはほとんどないが、たまたまシーズン最強の寒波が来ている最中のことで身を切るような寒さの上雪も降っている。これから漁港を回り込んで半島に入り、途中どこかテントを張れるポイントを探さなければならない。


雄勝湾最奥部にある雄勝町は、かつて「日本一美しい漁村」といわれ周囲を山に囲まれた美しく静かな町だった。水産業が盛んな町で、全国シェアの90%を占める雄勝硯の産地としても有名だった。大津波によってほぼ壊滅していたが、「復興のトップランナー」と言われるほど復興への動きが早かったところだ。

雄勝湾を回り込んでこの雄勝の町に近づいていくにつれ、対岸の半島の見える範囲ほとんどすべてかと思われるような広範な範囲が巨大なコンクリートの防潮堤に囲まれているのを見て衝撃を受けた。湾最奥部の雄勝町の中心部だったエリアにはこのときまだたくさんの重機が入っていた。震災後9年、多くの町で終盤を迎えている復興事業はここではまだまっただ中という感じで建物らしい建物はない。半島方面に少し回り込んだ先の土盛りされた部分に観光物産交流館他商業施設が建築途中だったが、「おがつ店こ屋街」と銘打った復興商店街はまだ仮設店舗の状態だ。半島に入って巨大な防潮堤の内側を歩いていると、右側にあるはずの海は全く見えずともすると波の音さえ聞こえない。かつてここに多くの住宅が建ち並んでいたとは想像すらできなかった。
震災前4000人だった人口は今では1000人に激減しているという現実に、それぞれの地域ごとに様々な課題を抱える「復興の難しさ」を感じざるを得なかった。


さて、このエリアを過ぎて半島に入っていくころにはもう14時を大きくまわっていた。防潮堤と山に挟まれたルートを、テントを張れるポイントを探しながら歩くがどこまで行っても見つからない。それまで寒さは厳しいもののそれほどひどい風は吹いていなかったが、このあたりから徐々に風も強まってきてそのうち吹雪の様な状態になってきた。持っている夏用のツェルトテントではとてもキャンプは無理と判断して宿を探し始めた。雄勝半島は手頃な宿が少なく歩きにくいエリアと言われている。10キロほど先のルート上の桑浜というところに「モリウミアス」という宿泊可能な複合体験施設があるが、あいにく当時冬場は閉館していた。このモリウミアスより少し手前のやはりルート上に「漁師民宿」という宿を見つけて電話してみると、時間が遅すぎたせいもあって「何もなくて準備できないから」と断られてしまった。特に海辺の宿は自慢の新鮮な魚介類の料理でもてなしたいという気持ちが極めて強く、直前に予約を取ろうとしても断られる場合がほとんどだ。しかし宿はこのあたりには一軒しかないし、テント泊もこの天候の荒れ方では無理だ。吹きすさぶ吹雪の中必死の思いで事情を話し、布団部屋で素泊まりでもよいのでと食いさがると、ついに根負けしたのか「かわいそうなので、なにもなくてもよければ来てください」ということで泊めてくれることになった。
こうしてこの日は、吹雪の中夏用テントで震えることなく布団で寝られることになり、17時をまわって薄暗くなりかけた頃にやっと「漁師民宿」に転がり込んだのだった。
