1 あのとき津波で壊滅した大船渡の街を呆然と見おろした高台はここだった!!!

2020年9月20日。この日は碁石海岸キャンプ場から大船渡までの約17キロと軽めの日だ。
実は碁石海岸のエリアは既に一度歩き終わっている。しかもこのエリアは既に2回来ている。1回目は全く歩くことができず、改めてもう一度来たときに半日で一気に歩いたという因縁のエリアだ。
2018年の10月、このエリアを歩くために「海さんぽ」という宿をとって車で来たのだが、なんとそこで同じ日に偶然南下してきた「みちのく潮風トレイル」の撮影クルーとばったり出会ってしまったのだ。しかも宿も一緒。成り行き上夕食も共にして、翌日の撮影にも協力することになった。翌朝まだ暗いうちからキャンプ場で撮影。更にその後唐桑半島での撮影にも協力することになったので、結局その時は全く歩く事ができず南三陸・海のビジタ-センターにご挨拶に寄っただけで帰ってくることになったのだった。

碁石海岸の日の出

後日改めてこのエリアを歩くために車で向かったのだが、昼過ぎに着いて翌日一日でのんびり歩くつもりでいたら、大船渡自然保護官事務所のアクティブレンジャー坂本さんに「これからでも歩けるんじゃないですか」と言われて結局細浦駅までの往復約15キロほどを半日で歩く事になったのだった。既に10月だったので日の落ちるのが早く、最後の方はなんとか明るいうちに碁石海岸インフォメーションセンターまで戻りたいのでほぼトレラン状態になったがなんとか暗くなる前に無事帰り着いた。

今回は、そのとき既に歩いた細浦駅までのルートを再び歩き、その先の目的地である大船渡を目指した。
大船渡には、震災のとき高台に避難した人々の目の前で、津波で街が流されていく様子を撮影した映像が当時繰り返しテレビで流されていた場所がある。ぼくは2011年8月に訪れたときその場所に立って、ほぼ壊滅状態になっている市街地の様子を見て大きな衝撃を受けた。しかもその高台の一角に、まだ街中が瓦礫の山となっている中で、早くも小さなプレハブの仮設店舗を建て開業している床屋さんがあったことにも驚き感動した。震災のひと月後にはすでに営業を始めていたというその床屋さんには「理容室・ニュー清水」という看板がかかっていた。実はその時はまだ普通のプレハブだったこの建物だが、その後店主の清水さんと知り合った千葉の画家をはじめ多くの方々の手で次々とポップなペインティングが施されていき、復興に向けた象徴的な場所となっていった。
この理容室が新店舗に移転開業するためにこの仮店舗を取り壊すことになったときに、この後次項でご紹介する越喜来の片山和一良さんのご尽力で越喜来に移築され、更にパワ-アップした形で「震災伝承施設・潮目」として生まれ変わり、現在では「みちのく潮風トレイル」ハイカーにとっては知らない人のいない聖地のような場所となっている。

高台から見た2011年8月当時の街の様子
2011年8月高台の片隅で既に営業していた「ニュー清水」

ぼくはその後も何度も大船渡に来る機会があり、その度にその場所がどこだったのかどうしてももう一度立ちたくて探してみたがどうしても思い出せなかったのだ。
この日はたまたまBRTの大船渡駅近くの「ホテル福富」というところに宿をとった。街は9年前の姿が想像できないほど復興が進んでいて、おしゃれな商業施設もたくさんできている。ふとホテルのすぐ裏を見るとなんとなく見たことのある坂道がある。「もしや!!!!」と思って行ってみるとまさにあの場所だ!!!! ホテルのすぐ裏手から高台に登っていく坂道がある。そこを登っていくと、まぎれもなく9年前に街を見下ろしながら呆然と立ち尽くしたあの場所だった。これまで何度探してみても分からなかった場所だが、たまたまそこしか予約がとれずに泊まったホテルのすぐ裏だったという偶然に、またしても人知を越えたなにかがあるという思いを強く持ったのだった。

左側の坂道を登っていった先がその場所(2020年9月)
正面の舗装路はかつての線路、現在のBRT路線
2011年8月とほぼ同じ場所からみた様子
右手奥におしゃれな商業施設が並ぶエリアがある

2 ハイカーの聖地「越喜来」

翌日は大船渡から綾里峠を越えて楽しみにしていた越喜来を目指した。越喜来には前項で触れた片山和一良さんがいる。片山さんは「理容室・ニュー清水」が新店舗を作って移転することになったときに、復興の象徴ともなった建物を何としても残したいという思いから譲り受け、自ら住む越喜来に移築して津波で流された廃材等を使って次々と手を入れ「震災伝承施設・潮目」として運営している方だ。移築後もいろいろと変遷はあったようだが、現在は三陸鉄道リアス線三陸駅近くの実に交通の利便性のいい場所にあり、しかも「みちのく潮風トレイル」のコース上にある。
片山さんは自らの住む越喜来という地元への愛情と誇りを誰よりも強く持っている方だ。またその土地をトレイルが通っていること、そのトレイルを国内外の多くのハイカーが歩いてくれることにも強い誇りを持ち、訪れるすべてのハイカー達に対して敬意と愛情を持って接してくれる。この震災伝承施設「潮目」はすべてのハイカーに対して開かれており、内部には電気水道暖房等を自由に使える無料の休憩スペースがあって宿泊もさせていただける。トイレもあり、つい最近になってシャワーも使えるようになったとのことだ。

震災伝承施設・潮目
潮目の内部

ここ越喜来の魅力はまだある。ここは碁石海岸にある大船渡自然保護官事務所のアクティブレンジャー坂本麻由子さんの故郷でもあり、この越喜来に泊まった者は多分ほとんどすべて「秀っこねぇ」というすぐそばの居酒屋で食事をすることになる。ここは坂本さんとも懇意のきっぷのいい女将さんがいて、夜な夜な地元の方々も集まってくる。ここを通るハイカーはこういう温かい地元の方々と飲みながら楽しい夜を過ごし、疲れた身体を癒やして翌日スタートしていく。中には余りにも居心地がよくて長期滞在してしまうハイカーもいる。今や越喜来はハイカーの聖地ともいうべき場所となっているのである。
「みちのく潮風トレイル」を歩くハイカーにとってこういうことがどれだけありがたいことか。片山さんは時間さえあれば、ときにはハイカーにとって翌日の出発時間が早くて時間がなくても(笑)、必ず翌朝スタート前に近くの「夏虫山」という絶景が見られるポイントや姫蛍の生息するエリアなど越喜来自慢の見所を、自ら車を運転して案内してくれる。まさにハイカーにとって「トレイルエンジェル」であり「トレイルマジック」でもある。
確かにこの越喜来を通るのに、あちこちのビューティースポットを素通りするのはあまりにももったいないと思う。ここを通る時にはぜひ十分時間を取って、存分に地元の方々とのふれあいを楽しむことをお勧めしたい。まさにそれこそがロングトレイルの醍醐味なのだから。

夏虫山山頂から