1 歩き始めたきっかけ

ぼくが「みちのく潮風トレイル」を初めて歩き出したのは2016年10月のことだった。地元埼玉で高等学校の教員として学校経営の仕事に携わっていたぼくが、待ちに待った自由人となったのは2014年4月のことだった。晴れて自由を手に入れてまず歩くのは、はじめから「信越トレイル」と決めていた。則芳が病に倒れる前に、ぼくが仕事をリタイアして自由の身になったら、それまで長男でありながら親のこと家のこと等すべて次男であるぼくに押しつけて好き勝手をしていた罪滅ぼしに(笑)「信越トレイル」のパーソナルガイドとして一緒に歩いてくれる約束をしていた。残念ながらそれもかなわぬ事となってしまったので、やむなく前述した緑のバンダナを身につけて全線80キロ踏破をめざして歩き始めていた。

信越トレイルでは、毎年6月の最終土日あたりに「加藤則芳メモリアル 信越トレイル開き」と称して土曜に前夜祭、日曜の朝に安全祈願の神事を行った後、参加者全員でワンデイのセクションハイクを実施している。

 

信越トレイル開き・前夜祭にて

ぼくもリタイアした後から毎年これにも参加してきたが、確か2016年のトレイル開きのときに、環境省の自然保護官他現みちのくトレイルクラブ理事長の佐々木豊志さん、常任理事・事務局長の相澤久美さん、理事の松井章さん、現事務局次長の板橋真美さんなど「みちのく潮風トレイル」の関係者が視察のために大挙して参加してきて、前夜祭で改めて話しを聞く機会があった。板橋さんは当時環境省の広報担当だったが、セクションハイクの途中に話を伺う中、天然芝地で有名な種差海岸の写真等も見せてもらい、則芳から話には聞いていたものの、海を背景に広がる広大な天然芝地のすばらしい光景を写真で見て、信越トレイルとは全く違った魅力をあらためて感じることができた。

 

八戸市種差海岸・天然芝地

その時には信越トレイルも全線踏破終了していたこともあり、いよいよ則芳との約束を果たすための背中を押してもらったような気がして、早速その年の10月、ワンデイではあったがついに北端の起点蕪島から南下する形で「みちのく潮風トレイル」の第一歩を踏み出すことになった。以降、少しずつ信越トレイルを歩く合間に時間を見つけてはみちのくにも足を運ぶようになった。

ぼくがその後「みちのく潮風トレイル」を管轄するサテライト施設(種差海岸インフォメーションセンター北山崎ビジターセンター浄土ヶ浜ビジターセンター碁石海岸インフォメーションセンター南三陸・海のビジターセンター)と連携する、みちのく潮風トレイル運営計画上の統括本部、「みちのく潮風トレイル 名取トレイルセンター」を管理運営する組織「NPO法人みちのくトレイルクラブ(MTC)」の理事としてお手伝いをするようになったのも、そもそものきっかけはこの時のことだったといえるかもしれない。

2 はじめの一歩 ~八戸線鮫駅から金浜駅まで

ぼくの「みちのく潮風トレイル」はじめの一歩は、八戸線鮫駅近くの蕪島から金浜駅までの約15キロだった。埼玉県の大宮から朝一番の新幹線で八戸に飛びそこから八戸線に乗りかえると10時半頃には鮫駅をスタートできる。ゆったり半日ハイクだ。

 

北の起点・八戸市蕪島
北の起点にあるトレイルヘッド

絶景続きでアップダウンも少なく、最初に先行開通したエリアということもあって標識等を含むルート整備がよく行き届いていてゆったりと快適なハイクを楽しんだ。まだ全線開通前でひたすらルート整備を続けている途上の「みちのく潮風トレイル」のなかでは八戸エリアは超先進エリアであり、他のエリアでは標識やテープ表示もまだまだ不十分なところが沢山あることがその時にはよくわからず、始めのころは八戸エリアのイメージのまま他エリアを歩いていろいろと戸惑うことが多かった。

葦毛崎(あしげざき)展望台
海沿いのルート