1 金浜から階上岳(はしかみだけ)まで

次にこの八戸エリアを歩いたのは初めて「みちのく潮風トレイル」に第一歩を踏み出してからしばらく経った2019年9月のことだった。前回のゴール金浜から南下し、久慈を経て野田玉川まで歩くルートだった。このときは、八戸市内の自然保護官事務所にご挨拶してからスタートしようと決めていた。当時の自然保護官の友野さんとアクティブレンジャーの大友さんらと共に種差海岸インフォメーションセンターにご挨拶に寄り、スタート地点の金浜では友野さんが見送りしくれるという嬉しいスタートとなった。

種差海岸インフォメーションセンター
いたる所に昆布が干してある

その日は一日大友さんが階上岳まで同行してくれたので、いつもはひたすらソロで黙々と歩いていたぼくとしては最高のガイドつきのハイクとなった。おまけに仕事が終わった友野さんが、夕方になってその日のゴール・階上(はしかみ)岳の大開(おおびらき)まで、大友さんを車で迎えにきたのだが、その時に飲み物など差し入れてくれて、なんともかつてない贅沢な初日の夜をひとり階上岳で過ごすことができたのだった。ぼくにとってはありがたいトレイルエンジェルとなったお二人に大感謝の初日となった。

階上(はしかみ)の海

2 あれ? 傘と洗面用具がない!!!~種市海浜公園キャンプ場

階上岳山頂
階上岳山頂から望む八戸市街
この時期はUVカット兼防虫ネットが欠かせない

階上岳では朝からうっすらと雪が降るほどに冷え込んでいたが、あっという間に青空が見えてくる幸運に恵まれ、早朝から山頂を目指して上ってくる方もいて、この階上岳が地元の方々から親しまれ愛されている山であると感じた。下山して海沿いのルートを南下してこの日の野営地種市で、有名な庭静子さんの「はまなす亭」で天然ホヤラーメン(750円)を食べた後「種市海浜公園キャンプ場」で気分良くテント泊・・・のはずだった。

前夜の階上岳ではかなり冷え込んだものの、この日は強い日差しの中のハイクだったので、22キロほどではあったがかなり体力は消耗していた。テント設営が終わった後キャンプ場から少し北へ行った海沿いにある温泉施設で一風呂浴びようと思いながら、その日の行程整理と翌日の行程確認をしていたら、突然後ろから大きな声がする。びっくりして、「熊か!?」と振り返ると、なんと前日同行してくれた大友さんが飲み物片手にニヤニヤして立っている。この日は陸中中野あたりで仕事が終わってちょうど帰りに通ったので、そろそろここに着いてテントを張っている頃だろうと思って寄ってくれたとのこと。おかげさまで、二日間連続でハイク終了ともに喉を潤すというありがたい思いをさせていただいた。
思いもかけず二日間に渡ってすばらしいトレイルエンジェルのサポートをいただいて、この回の序盤戦は快適なハイクとなったのである。

種市海浜公園
テント(ツェルト)設営完了

問題はその後だった。そのときキャンプ場には自分以外人影はなく、近くの温泉施設に行くときに思わず傘と洗面具をテント脇の水場に置いたまま出かけたのがまずかった。久しぶりに気持ちよいお風呂を浴びたあと、暗くなっていい気分で引き上げてくると、なんと「傘と洗面具がない!」傘も結構高価だし、洗面具の中には眼鏡やコンタクトグッズ等も入っていて被害甚大だ。おまけに装着していたコンタクトレンズの片方が破損するというおまけまでついて、翌日から数日間陸中野田玉川まで眼鏡もなくコンタクトレンズ片目だけという情けない状態で歩かなくてはならなくなった。おそらく夕方散歩に来ただれかが持って行ったとしか考えられないが、悔やんでも時間は戻せない。せっかく風呂にも入って良い気持ちで戻ってきたものの一気に気分はダウン。一旦ここで撤収して出直すかとまで考えたが、なんといっても埼玉からここまで新幹線で何時間もかかる。そういう時間的金銭的無駄をしている余裕はない。結局意を決して続行することに決め、翌日のテント泊予定の北侍浜を経て、久慈、小袖海岸、陸中野田、そして陸中野田玉川まで、片目だけぼーっと雲がかかったような状態で歩くことになった。

種市海浜公園キャンプ場
久慈市・侍石

はじめのころは片目だけしかよく見えないため距離感が計りにくく結構ストレスがあって厳しかったが、人間というものはたいしたもので、半日も歩くとだんだん片目歩行に身体の方が慣れてきて、なんとかその後の行程をクリアすることができたのだった。その努力の甲斐あってか(?) 北侍浜の野営では翌日早朝に素晴らしい日の出を片目で拝むことができて、やっぱり続行してよかったと無理矢理思うのだった(笑)。ただ片目がよく見えない分、写真と動画を撮りまくりながら歩いたのでバッテリーの消費がすさまじく、更に久慈で泊まった宿にスマホ充電用のケーブルを忘れてくるという笑い話にもならない決定的おまけまでついて、途中走るように陸中野田の町のコンビニに飛び込んで充電用ケーブルを買う羽目になった。
いずれにしてもこのエリアは今までかつて無かった泣き笑い珍道中になったが、それだけに想い出深いものになったことは言うまでもない。

3 久慈の寿司屋で出会った大槌の元漁師さん

三陸鉄道・久慈駅

片目ハイクで苦労しながらたどり着いた久慈では、翌日がこの回の最終日ということでゆっくりしたくて久慈第一ホテルに泊まった。ふと見るとホテルのすぐ隣に「秋田比内や」の看板が。「岩手県なのに何で秋田?」と思いながら「比内地鶏ラーメン」の表示に誘われて思わず入った。それまで乾き物をかじる程度でろくなものを食べずに急いで来たので、この比内地鶏ラーメンは機会があったらぜひ後でまた食べに来たいと思うほど実に美味く夢中で食べた。もちろん汗を絞りきってカサカサになった身体に冷たいビールがしみ渡ったのはいうまでもない。

余談だが、柔道で有名な「三船十段」はこの久慈出身だったことを初めて知った。
その夜は、久々に美味しいものを食べたいとホテルのフロントで教えてもらった寿司屋でカウンターに座り、板さんと話をしながらの夕食になった。

三船十段之像
久慈駅近くの「愛寿司」

しばらくすると、隣にいかにも漁師らしいどす黒く日焼けした精悍な顔つきの二人の年輩の男性が入ってきた。彼らは板さんと顔見知りのようでいろいろと話をしながら食べていた。しばらくして大震災の話題が出てきたので、思い切って話しかけてみると、震災以降リタイアしているが前は大槌で漁師だったとのこと。大槌には知り合いの漁師夫婦もいるのでいろいろと話になったが、そのなかで、大震災で大津波に襲われたとき「女房の手を引いて裏の山に逃げようとしたのに、凄い引き波に女房だけが持って行かれて俺だけが助かってしまった。あのときの女房と繋いでいた手が離れてしまった瞬間の感触が8年経った今でも忘れられない」と語ったその表情が今でも忘れられない。

「あまちゃん」で有名な小袖海岸
あまちゃんロケ地記念碑

この回は、更にこの久慈からNHK朝のドラマで大ブレイクした「あまちゃん」で有名な小袖海岸、塩の街で有名な陸中野田を経て野田玉川まで歩いた。

三陸鉄道・陸中野田駅