東北太平洋沿岸に走る全長1,025kmの長距離自然歩道、みちのく潮風トレイル。町を歩いて峠を越え、谷を下って海に出る。バックパックひとつとたくさんの人に支えられて歩いた去年の秋の二ヶ月を、残した写真と、一緒に歩いた地図をお供に連れて、一歩一歩思い出しながら書いていく。

 歩きだしてから数十分、そろそろ朝ご飯休憩に入ってもいい頃だ。一日中歩くといっても、日が昇っている間中休まず歩き続けているわけではなくて、大体2~3時間に一回のペースで10分、昼休憩で1時間くらい休むよう計算して一日の予定を立てる。小休憩で長く休んでしまうと折角温まった体が冷えてしまうので、今は一息つくくらいに留めておこう。出発前、家でデータブックを見て立てた予定では、ルート上にあるハマの駅、あるでぃ~ばで休憩できたらと思っていたのだけれど、時刻はまだ8時20分。開店前だったようで、残念、向かいの自販機でコーヒーを買って重い荷物を下ろし、買っておいたコンビニのホットドックをもそもそ食べた。コカ・コーラの赤い自販機だったことを覚えている。

 朝食を終えて歩きだし10時ごろには早くも次の補給地点、歩道橋下のローソンが見えてきた。予定通り順調に進んでいることにほっと一息、ふと足元に目をやると、なんと、四つ葉のクローバーが生えていた。旅の始まりを応援するかのようなささやかな登場が嬉しくて、屈んで近づいてみる。するとここにも、あそこにも、なんなら五つ葉まで生えているではないか。歩道橋の昇り口で人がよく通るから、葉の成長点に傷がつきやすいのだろうか。故郷から連れ去ってしまうのは申し訳ない気がして、お守りにそっと写真だけ取って、階段を上った。

四つ葉のクローバー

野原

 住宅街から緩やかにつながる坂道を上ると、ひっそりとした空気に包まれた小さな神社に出るのだけど、ここだけ風が止まっているような、周りと隔絶されたような独特の空気感に気圧されてしまう。木の枝に括られたトレイルルートを示す青いテープだけが唯一残る人の気配で、 失礼します、歩かせていただきますとお参りをして、そそくさと神社を後にした。
 神社を抜けると広い道に出る。マップを見てみると、近くにある野原という喫茶店が”トレイルエンジェル”という説明と一緒に載っていた。トレイルエンジェルとはアメリカのトレイルで見られる文化で、ハイカーに食料をくれたり、一晩の宿として家に泊めてくれたり、トレイルの整備をしてくれたりする人たちのこと。日本ではまだあまり馴染みのない名前だし、折角だから行ってみたい。その時歩いていた迂回ルートからは少し戻る形になるものの、ちょっと歩けばすぐ着けそうだ。来た方向に歩いて数分、大きな野原の看板が見えてきた。

 表通りに面しているのは薪ストーブのお店で、喫茶店はその奥のようだ。入口のあたりまで行くも、入ったことのない店、ひとり、本当にカフェなのかしら?などぐるぐると頭に熱がこもって、なかなか勇気が出ない。数分うろうろした後、ままよ、旅の恥はかき捨てじゃ!と扉をくぐった。
 お店は右手側に受付、左手奥にショップという構造で、奥では早くも薪ストーブが燃えていた。こういう雰囲気のお店に入るときよく感じることだけれど、まだ少し馴染み切れていない、温かみのある小ぢんまりとした空気に品定めされている気分になる。内心きゅっと縮こまって、でも態度にはそれがばれないように辺りを見回すふりをしていると、トレイル歩かれているんですか?とお店の人が声をかけてくれた。はい、歩けるところまで歩いてみる予定なんですと答えると、少しホッとする。この場所に所属する人と会話することによって、全く知らない場所に、自分用のスペースがちょっとだけ開けた気がするのだ。
 お話をしながら2階にあげてもらい、重い荷物を下ろしてやっと一息つく。メニューが来るまでまた店内を見回すと、暖色の照明と、ところどころに置かれた小さな雑貨がかわいい。しばらくして店員さんがメニューを持って上がってきてくれて、注文したあとはおしゃべりをしながら過ごした。店員さん曰く、少し前にも日本一周をしている二人組が来たんですよ、とのこと。なんでも“普段会えない人にメッセージを伝える仲介人”としてクラウドファンディングで資金を集め、それで旅をしているらしい。なるほど、おもしろいことを考える人もいるものだなあ。その2人の話の中で、少し印象に残っているものがある。歩き旅をしていると想像していた以上にヒッチハイクに誘われることがあるのだけど、彼らは初め歩き旅にこだわって、それを全部断っていたそうだ。けれど何度も断っていくうちに、もしあの時車に乗っていたらそこから広がる縁もあったのではないかと思い立ち、そこからは誘われたときは極力乗るようにしたという。男性二人だからできたことかもしれないし、今回の私の旅は自分の足で、歩く速度で見えるものを大切にしたいという気持ちがあったから、この時この話を聞いてその気持ちが変わった、ということはない。けれど、そういう偶発的な出会いを大事にするという姿勢は、私自身、これからの人生で常に持っておきたいと思ったのだ。
 その後もいろいろおしゃべりして、野原には結局一時間くらいいたと思う。出身のこと、今までのこと、旅のこと…最後は薪ストーブの前で温めてもらって、がんばってね、と送り出してもらった。去り際、手のひらに感じた薪ストーブの温かさは、もう気まずくなくなっていた。

 とちの巨木

 田んぼの広がる村を歩いていると、1kmほどルートから離れたところにとちの巨木があるとマップに書いてあったので行ってみた。旅の後半になると往復2kmの寄り道は少しおっくうに思ってしまうのだが、旅二日目のまだ初々しい気持ちで満ち満ちていた私は、ちゃんとその大木を見に行ったのだ。とちの木なるものを見たのはそのときがはじめて…いや、違うな?今これを書いていてそうじゃないことを思い出した。当時も確か覚えていたはずだ。それは私がくりこまにいて、トレイルに向けたトレーニングも兼ねて13kmの自然歩道を歩いたときのことで、岩大のインターン生の人にとちの木とほおの木の違いを教えてもらったのだった。葉っぱの付け根がくっついているのがとちの木で、離れているのがほおの木。この時も目を凝らしてみたのだけど、葉っぱが遠くて、近眼の私にはよくわからなかった。丸い実がたくさん落ちていて、とちの実はまるいんだなと思った。

 

くりこまにいた時はまだ青かった田んぼ。時の流れを感じる。