12月から山形県置賜地方の『げん担ぎ』郷土料理を紹介しているが、今回は少々レアな料理のご紹介。
県外の方にはほとんど知られていないかもしれない。
「むくり鮒(むくりぶな)」という魚料理である。
山形県の内陸部は海から遠く、低温輸送が発達していなかった頃は、乾物や塩漬けの魚がよく食卓に上った。
身欠きニシン、棒鱈、するめ。からかい。
時間をかけて戻し、米のとぎ汁で茹でこぼし、アクや臭みを除きつつ、水を替えて柔らかく煮込む。
ニシンの煮つけや棒鱈の煮物、するめの沢山入った『近江漬け(おみづけ)』などは、海沿いの庄内地方という入り口から、京の都との交易でもたらされた食材と食べ方が、最上川に沿って伝わった形だろう。
だが今回紹介する『むくり鮒』は山形県置賜地区独自の食べ物らしい。
米沢の北に位置する川西町の玉庭という地区で、12月から2月までという期間限定での生産・販売されているものだ。

『むくり鮒』のルーツは戦国から江戸時代までさかのぼるという。
米沢藩の士族が多く住んでいた玉庭地区では、鯉と同様、冬の蛋白源として、田んぼや小川で豊富にとれた寒鮒が食べられていたらしい。
実家が米沢の侍町にあった父いわく、子供の頃、囲炉裏の上には天井から大きな木の棚『火棚』が吊り下げられ、そこで釣って来た魚を乾物にしたり、燻製にしたという。
この『むくり鮒』も、そうした伝統から生まれたものかもしれない。

「むくす」とは置賜地方の方言で「ひっくり返す」を意味する。文字通り、ふなの開きである。
長井市でも、手にした鍋や茶わんをひっくり返してぶちまけてしまう事を、よく「かんむぐす」と言った。
体長10センチほどの、1年物の鮒をさばいてはらわたをとり、血抜きをし、じっくりと乾燥焼きをする。
そして油で二度揚げし、砂糖醤油の甘辛いたれを絡めて、また乾かして仕上げる。
見た目は開きの(むくりの)目の玉もそのままな小魚そのもの。それがくるりと丸まって、お行儀よくパック詰めされて売られている。
開く≒運が開けるということで、お正月料理として買われることが多い。
大みそかに帰省した時も神棚に上がっていて、元旦のお節料理として出てきた。
パリパリというよりもっと軽い、ソリソリ、ショリショリという食感で、えらも骨も丸ごと美味しく食べられる。
川魚特有の匂いは全くなく、止まらなくなる美味しさだ。

作っているのは玉庭地区のお母さまたちだという。
置賜地方の道の駅や地区観光センターなどで入手できる。
育ち盛りの子供や、マタニティのご婦人、入れ歯のお年寄りにも優しい軽い食感なので、開運おやつに、酒の肴に、白い炊きたてご飯のお供に、見かけたらぜひご賞味いただきたい。
豪雪地帯で知られる玉庭地区で、真冬の冷たい水に手をかじかませ、小さな鮒を丁寧にさばく女性達の手仕事の賜物である。

「釣りは鮒に始まり鮒に終わる」と言われるが、手織り紬の織元だった父は、自営業のため、時間が出来るとよく飯豊連峰の麓の川の上流に釣りに行っては、小鮒を魚篭が溢れるほどに持ち帰った。
始めは母も渋々さばいて、つくだ煮や甘露煮にしていたが、手間暇かかり過ぎる上に家族から不評だったので、やがてやめてしまった。
すると父は、大量の小鮒を水槽にそのまま入れて飼いはじめた。
しかし狭い水槽にみっしりと小鮒がひしめく環境で、いくら世話をしても毎日何匹も空に帰っていく。
生き残った生存本能盛んな強い鮒は、他の個体の餌も奪って食べ、丸々と育つ。
春が来ると、父はその大きく育った鮒を最上川に流しに行った。
だが雪が溶けると地面に大量の鮒が散らばっており、野良猫が集まっては窓の下で取り合いを繰り広げた。
父が始末に困って、浮いて動かなくなった個体をすくっては窓から雪の上に放っていたのである。
母や祖母に散々叱られた父は、次からは釣果を持ち帰らず、釣りあげたらまた放すようになったらしい。

50年近く前の話である。
今も山形の地を流れる野川、最上川、松川などの姿は変らない。
そこを泳ぐ魚たちは変っていったろうか。