自分にとってすっかりおなじみ、これは全国標準に決まっていると思い込んでいたものが、山形県民にはある。
その一つが数字記号の①、②だ。
テレビ番組で知られるようになったが、山形県民はこれを「いちまる」「にまる」と読む。そして以下「さんまる」「よんまる」と続く。⑦は「しちまる」ではなく「ななまる」。
どれだけ数字が大きくなっても「まる」が後に付くことに変わりはない。
だがこれは、全国標準ではなかった。
山形県以外では、この記号は「まるいち」「まるに」と読むのである!
県外に出た若者たちは大ショック。
私も文京区本郷にあった県の女子寮で 、テンパって少しでも都会人に擬態しようと頑張る仲間と共に
「知ってだが? 『いちまる』『にまる』って言わねなだど」
「知ってだ。『まるいち』『まるに』って言うなだべ」
「……」
「……」
大層ショックを受ける、山形県各地から上京した18歳女子たち。
世は女子大生ブームだった。
だが雑誌にあった服を着て精一杯の標準語アクセントで喋っても、ひょんなことから「?」と感づかれ、見破られてしまう。

(1)、(2)も同じ。「いちかっこ」「にかっこ」とは読まない。「かっこいち」「かっこに」と読むのだ。
でも18年間『これが標準なのだ』と信じて疑わず、共通語だと信じ切っていた自分達の『絶対常識』を揺さぶる、全国区という高い壁。
言葉を耳にした瞬間に相手の顔に浮かぶ些細な表情の変化は、必死に背伸びしている少女たちにとっては脅威だった。
でも、そんな日々を送りながらも大学の四年間や短大の二年間を終える頃には『都会に染まって』いくのである。

山形県に限らず、東北には意外と油で揚げた食材が多い。油揚げは水気を絞った豆腐を丸めて上げたもので、細長いバターロールのような楕円形をしているし、焼き麩を揚げた「油麩」もある。煮ものに入れると抜群にコクが出る。
中でもユニークなのは、お菓子のような精進料理「つけ揚げ」
お盆や不祝儀、法事の膳や弁当に欠かせない揚げ物だ。
一般に普及している食材だと思っていたが、山形県の中でも西置賜郡・長井市周辺にしかないと知ったのは最近だ。
なんと。
かの「いちまる」と同じではないか。全国区の食材だと信じていたよ。

「凍みこんにゃく」(母は『凍みらかしこんにゃく』と言った)を薄く切り、お稲荷さん用の油揚げを煮るような、甘辛い煮汁で煮つけ、充分に味を含ませる。
そして、ふくらし粉の入った小麦粉に、この煮汁を混ぜてぽってりと溶いた衣をたっぷりと付け、こんがりと揚げる。
それだけ。形は揚げっぱなしの四角。四つか二つに切ってお精進の一品として供される。
子供の頃は喪服の父や祖父が持ち帰ち帰る精進折詰の中に入っている、このつけ揚げが不思議でならなかった。
淡い甘さのドーナツのようで、でもふにゃっとした柔かい歯ごたえで、噛むと不思議な弾力ある食感のスポンジ状の中身から、甘辛い汁がじゅわっと出てくる。
だけど昭和40年、50年代当時はお菓子ではなく、あくまでも精進料理だったのだ。

母の実家は長井市の「ままの上」という町で古くから豆腐屋を営んでいた。
大きな浴槽のような揚げ鍋で、朝早くから油揚げ、厚揚げ、がんもどきを作り、豆腐やこんにゃくを固めて売っていた。
通り沿いの母の実家に近づくと、ぷんと大豆油の匂いが漂ってきたものだ。
「つけ揚げ」は毎日揃える品目ではないが、お得意さんから注文が入ると大量に作り、おじちゃんが軽トラに積んで仕出し屋に配達した。
狭い街だから「〇〇さんちはそろそろ法事だから注文来る頃だべ」「××さんちは婆ちゃんが亡くなったらしいから電話くっかもな」等とご近所情報はすぐ伝わってくる。大人たちはそんな言葉を交わしては、黙々と作業していた。
今は母の実家も廃業し、つけ揚げを作るのは、市内では大手の「平野屋」さん、ほぼ一件になってしまったらしい。
そして注文生産ではなく常に道の駅やスーパーに並んでいるそうだ。
「つけ揚げはよ、今はお茶請けで三時のお茶に食べだり、お客様さあげっそね」
久々に電話をすると、母はあっけらかんと言う。
斎藤豆腐屋の末っ子の、穏やかなお茶の菓子として、つけ揚げはこたつに上がっている。