11月に入りましたねえ。11月といえば、茨城の子供には割と嬉しい月じゃないかな?と思います。今年は勤労感謝の日が金曜日なので3連休ですし、秋祭りや文化祭、収穫祭などの各種イベントも多いですし。

さらに茨城県では、今月13日は県民の日。公立校はお休みです。

…いーいなーあ、山形県にはそんなものなかったよ…夏休みは短いのに冬休みは大して長くない上、創立記念日すら学芸会だったよ…。

 

さてさて、それはおいときまして。

11月と子供というと、すぐに思い浮かぶのはやはり七五三でしょうか。親御さんに付き添われておめかしして千歳飴を持ったお子さんを見ると、微笑ましくてついこちらまで頬が緩んでしまいます。

そして同時に、辛く悲しく恐ろしい記憶が脳内リプレイされてしまいます…。

 

始まりは、娘が1歳か2歳の時のことでした。

11月のある日の夕方、姉から何やら急ぎの電話がかかってきたのですが。

 

 

「茨城の観光地でも出てるのかな?でもその割にはずいぶん慌ててるなあ」と思いながらテレビをつけると、茨城のとあるご家庭の七五三が紹介されていました。

確かにさんまずがった(ものすごかった)です。

 

 

会場は結婚式場、招待状にご祝儀、主役の子供とその両親は高砂席に着席、引き出物withお赤飯&紅白餅と、もはやプチ披露宴でした。

 

この超ゴージャスな七五三、茨城県全体ではなく県南地域や鹿行地域など一部地域での風習とのこと。

じゃあわが家は大丈夫かな、レンタル衣装で神社にお参りして写真撮って千歳飴買ってあげれば充分だよね。結婚式だって簡素化の時代だもの、大丈夫大丈夫。うんうん。

そう思いつつも、念のため夫に「七五三、どんな感じだった?」と訊いてみました。

 

 

…訊かなきゃよかった。そういや夫のご先祖、その辺りから引っ越してきたって話を前になんかうっすら聞いたような…。

とりあえずまだしばらく先のことだったので、その時の私は考えるのをやめました。

 

そして数年後、七五三の年となったのですが。

夫と夫の親族と話し合った結果、「もう七五三を豪華にする時代じゃないから」「簡素にいきましょう」ということに。

正直、とても助かりました。私が育った地域の風習か実家の風習かはハッキリとわかりませんが、私は七五三の経験がなかったからです。

6歳の正月礼(新年会みたいな親戚の集まり)の時、なぜか振袖を着せられて上座オブ上座に座らされました。今思うと、あれが七五三的なお祝いだったと思います。

あほな話ですが、茨城に来るまで千歳飴はミ○キーだと信じておりました。

「一般的な七五三の経験も知識もロクにないのに、いきなりプチ披露宴な七五三なんてどうしよう。ただでさえイベントの幹事とかそういうのものすごく苦手なのに、どうすればいいんだろう」と悩んでいたので、この方針決定は本当に助かりました。

 

が。

甘かったです。焼き芋にこしあん乗せて黒蜜と練乳をたっぷりかけたくらいに激甘でした。

招待客は約10名と少なめ、作文の朗読もなし、衣装も1着のみで済んだのですが、

 

 

………大変でした。

右も左もわからない、夫に教えてもらったり手伝ってもらおうにも仕事が多忙で帰宅後は即バタンキュー、夫のミスで親族に謝罪、写真館のミスで納品日になってもアルバムが未完成、その他あれこれいろいろ諸々。七五三当日もトラブル連発でした。

七五三がおひらきになった後、夫から謝られました。帰宅した父と母から顛末を聞いた姉も、翌日電話で謝ってくれました。

 

 

娘が終始ニコニコ顔で「たのしかったー!ごちそうもすっごくおいしかったし、ドレスもきられてうれしかったよー(*´▽`*)」と喜んでくれたのが何よりの、そして唯一の救いで幸いでした…。

 

あれから数年経った現在、やっと思い出しても苦笑いできるようになりました。

次は十三詣りかなあ…やるかどうかはまだわかりませんが、やるとしたらごくごくごくごく小規模でとにかく平和に平穏に穏便にしたいと思います。