お彼岸が過ぎて、肌寒い日が続くようになってきましたね。

スーパーでは、ついこの間まで冷やし中華が置かれていたコーナーがすっかりおでん一色になっていました。おでんといえば、

 

 

 

おでん界殿堂入りの具であるこんにゃくですが、私は「こんにゃく」というと、おでんよりも「玉こん」…そう、

 

 

「玉こん」こと「玉こんにゃく」とは、玉状に成形されたこんにゃくを串に3~4個ずつ刺して、出汁醤油ベースの汁に入れ大鍋で煮込んだこんにゃく料理です。カラシを塗って食べてもおいしい(らしいです。私はそのまま派)。

子供の頃は、冬になるとよくスーパーの店頭で売られていました。冬の間、特に地吹雪がひどい日は買い物に行くのも一苦労でしたが、玉こんの大鍋を見るとほっとして心身共にあったかくなったものです。

冬のスーパー以外でも、山形県内では各種観光施設やドライブイン、道の駅、イベント会場などで年中ごく普通に売られています。秋は 芋煮会 にて名脇役となることも。

私にとってはお味噌汁やご飯、お漬物の次くらいに当たり前の存在でした。

 

なので、茨城に移り住んで初めての冬、スーパーへ行った時は心底驚きました。

 

 

玉こん、店頭に大鍋で売られていないどころかこんにゃく売場にさえ存在していませんでした。あるのは四角いのやしらたきばっか。ついでに、芋煮汁に必須のちぎりこんにゃくまでなかった…。

この時、初めて理解しました。玉こんは日本全国47都道府県どこにでもあるものではなく、ほぼ山形限定であることを。芋煮汁と双璧を成す山形人のソウルフードであることを。

…軽く、いやそこそこ…いやいや、結構なカルチャーショックでした。

 

それ以来、帰省した際に玉こんを食べる時には、それまでの何倍も噛みしめつつ感謝していただくようになりました。

 

 

 

さてさて。ざっくり調べてみたのですが、こんにゃくの生産量と消費量の全国ランキングはこんな感じでした。

 

 

いま私が住んでいる茨城県は生産量第3位、消費量は30位~40位のようです。このデータだけ見ると茨城人はこんにゃくとのご縁がいまいち薄いかな?という気がしますが、どっこい。どっしりと濃ゆいご縁がありました。

現在、市販のこんにゃくは製粉されたこんにゃく芋から作られています。原料のこんにゃく芋は寒さに弱く傷みやすいため、昔はこんにゃく芋を収穫後すぐにこんにゃくに加工しなければなりませんでした。

加えてこんにゃく芋は収穫に3年もかかり重さもかなりのものとなるため、栽培・貯蔵・運搬などあらゆる面で効率の良くない作物だったようです。

が、江戸時代中期の1750年代。奥久慈地方の諸沢村(現・茨城県常陸大宮市諸沢)の農民・中島藤右衛門がこんにゃく芋の製粉方法を発見し、こんにゃく芋の軽量化および長期保存に成功しました。これにより貯蔵や運搬が便利になって販路も拡大され、水戸藩の財政も潤いました。

中島藤右衛門はその功績を称えられて名字帯刀と麻裃(あさかみしも)着用を許され、そして現在に至るまで「蒟蒻神社」に祀られています。

 

というわけで、今も奥久慈地方、中でも大子町(だいごまち)では

 

 

これらのこんにゃく料理をおいしくいただけます。

ちなみに、凍みこんにゃくとはこんにゃくを凍らせたり乾燥させたりして作る乾物ですが。今では日本全国でも、常陸太田市1軒と大子町2軒の、計3軒の農家さんでしか作られていないそうです。

そしてこの凍みこんにゃく、山形県は米沢の郷土料理・冷や汁(ひやしる)に欠かせない食材。冷や汁は汁物というより具だくさんのお浸しで、元々は米沢藩の陣中料理だったそうです。もやしやキャベツ、小松菜、菊の花など四季折々の様々な野菜の他、干し椎茸や干し貝柱、そして凍みこんにゃくから作られます。

 

山形と茨城、凍みこんにゃくと冷や汁を通じて長く深く、

 

 

というわけで、今年の秋は山形と茨城のそれぞれのこんにゃくに思いを馳せながらいただこうと思います。