2018年、若き日の宮沢賢治をモデルとした全く新しい小説が世に送り出された。
20代の血気盛んな「賢治さん」が大冒険を繰り広げる『謎ニモマケズ』シリーズ。

冒頭から飛行船が登場し、外国の武装集団の影がちらつき、美しい外国人ヒロインと、遠野物語の緑濃き静謐な世界が国際的陰謀に巻き込まれていく。
知識と行動力でヒロインを救い、謎を解くべく疾走する賢治。

一見荒唐無稽に思える設定と展開に目を見張る冒険小説を生み出したのは、現代犯罪小説から絢爛たる時代小説まで幅広く手掛ける鳴神響一先生。
『脳科学捜査官 真田夏希』シリーズや『多田文治郎推理帖』シリーズなど、多くの人気作を手がける作家が満を持して挑むシリーズだ。
東北の歴史にも造詣が深く『天の女王』では伊達家家臣・支倉常長が率いた慶長遣欧使節団中、スペインに残留した侍たちが大活躍を見せる。

心から宮沢賢治とその世界を愛する鳴神先生に『東北』との関わりについて、お話を伺う事が出来た。

 

少年時代の旅で感じた文化の違いと真の「暗闇」

 

── 関東以北のいわゆる東北と呼ばれる地域に、初めて意識が向いたのはいつごろでしょうか

鳴神氏「父が会津盆地の出身なので、物心ついた時から意識は向いていました。祖父は私が五歳の時に会わずじまいで亡くなってしまったのですが、その頃から東北地方というのは意識していました。特に会津から北の方とか」

── 会津と言ったら福島の中でも大分北の方ですね

鳴神氏「ええ。北西の一番雪深い地域ですね。ところで米沢の方は、飯豊山は米沢の山だと思っているでしょう?」

── はい

鳴神氏「でも会津の人間は会津の山だと思っているんですよ。今も残っているかは分からないのですが、会津には昔、若者がある年齢になると飯豊山に登山する習慣があったのです」

── 聞いた事はあります。通過儀礼的な行事ですね

鳴神氏「そうそう。回数は多くないのですが、小学生くらいから父の実家に行き、家族で東北地方に旅行したこともありますが、自分自身が強く意識し始めたのは、高校2年生の時、2回目の友だちとの旅行です。その旅先に東北を選んだのですが、その時の印象が色んな意味でものすごく強烈でした。

まずは青森県の深浦です。東能代から五所川原の先まで通っている五能線という鉄道路線の真ん中あたりの駅です。そこに初日泊まりました。

急行「津軽」という夜行急行で北へ向かいましたが、お金のない高校生ですから寝台ではなく座席車に乗り、一泊して朝東能代に着きました。それで五能線で深浦まで行き、自分が計画した旅行としては初めて東北地方に泊まったのです。

友だち達3人とちょうど夏休みの時期です。深浦では盆踊りがあって、その踊りの風情が私の生まれ育った東京や神奈川とは大いに違いました。旅情をすごく感じました」

── 具体的にはどういう違いをお感じになったのですか?

鳴神氏「何もかもですね。例えば自分が子供のころ、首都圏で盆踊りと言えば普通にレコードを流して『東京音頭』なんて雰囲気です。でも、深浦では櫓の上でお婆さんがマイクを手にして歌っているんです。その歌がまた古い歌詞らしく、一言一句わからなかったのも印象的です」

── 確かに東北でも奥座敷の方なので、他の県の方々には、普通に聞いていてもほとんど言葉がわからないと思います

鳴神氏「まして盆踊りの古い歌なのでますますわからない。一つのショックでしたし、踊り方など、その時の盆踊りの雰囲気が全体的にとても古風だったのです。これは育ってきたエリアとは、まったく違う文化を持った土地だという感覚を受けました。これが自ら出かけた東北の旅の第一印象です。

次の日には田代元湯という今はなき秘湯に行きましたものすごく山奥で、裏八甲田と呼ばれる八甲田山の北側山麓に広がる草原地帯の森の奥にあって、しかもバスを降りてから相当歩かなければいけない所でした。宿泊したのは電気が通じていないランプの宿で、露天風呂が素晴らしかった。絵に描いたような秘湯で、時間が止まっているような宿です。そこで僕は、第2のショックを受けました

── 八甲田で、第2のショックですか

鳴神氏「その日は多分新月で、晴れていたのに月がなかったんですよ。露天風呂へ行こうと外へ出て、手を伸ばすと手の先が見えないんです。そんなことは今まで経験した事がなく、本当にびっくりする経験でした。文字通り、まさに真の闇を初めて知ったのです。

その後も旅は続いていったのですが、その二つの経験が東北の地に対して大いに興味を持ったというか、何度も行きたいという気持ちを持ったきっかけです。両方ともたまたま青森県内の話ですけど」

── 行くのだったら奥座敷の方、というように決めておられたのですか?

鳴神氏「そうです。でも一緒に行った友人のうち2人は、そのランプの夜をけっこう怖がっていましたね。皆、神奈川の湘南で育った人間だから」

── 日常と違い過ぎて、なおさら恐く感じたでしょうね

鳴神氏「僕はそういうのが大好きなので怖くなかったです。それまでも家族旅行とかにはよく連れてってもらっていたし、友達との旅行もその前に八丈島に行っていて2度目でした。でも、ものすごい大自然の中といった所で泊まる経験はなかったのです。そこにあの山深さを初めて経験したんですね。そのあとは八幡平に行って秋田県内に泊まって、盛岡にも立ち寄ったんですけど、青森の二つの体験というのはとりわけ深い印象を持っています」

── 盛岡まで来ると県庁所在地ですし、都会に繋がっている街という感覚になりますか

鳴神氏「そうですね。まだ東北新幹線開通前でしたが、盛岡まで来るともう圧倒的に『街』という感じがしました。旅のしめくくりで、わんこそば食べて特急で帰って来ました。後に自分一人で何度も東北地方を旅していますが、目が開いたのはその時の高校2年生の旅でしょうかね」

── 東北でも関東寄りの地での闇と、奥座敷の闇では全く違うと思いますから、少年の頃にその差を感じる事が出来て良かったですね

鳴神氏「八甲田の奥のエリアは近隣何キロ以上の範囲で人家がないのです。だからあんな闇が存在するんでしょうね。ちなみに田代元湯は歴史上有名なところです。新田二郎先生の「八甲田山死の彷徨」や映画の「八甲田山」で描かれる青森歩兵第5聯隊が目指した温泉です。でも、彼らは行き着けなかった。県道から温泉に入っていく分岐点には、行軍した兵士の銅像が建っています。

田代元湯は十数年前まで営業していたのですが、後継者がいないために廃業しました。愛されていた宿なので、その後も地元の有志の皆さまによってお風呂は管理されていました。僕は十年くらい前に再び訪れています。その後、橋が落ちたり崖が崩落したりして、現在は行けなくなっています。だから再訪しておいて本当によかったです」

── 本当によかったです

鳴神氏「はい。いま、仮にたどり着いたにしても、もうお風呂に浸かれる状態ではありませんね」

── まさに一期一会ですね

鳴神氏「文字通りそうです」

 

旅と温泉

 

東北全県のみならず東日本全ての県に泊まられたという、鳴神響一先生。

東北は実は近いと言う。

神奈川県の海の近くのご自宅から高速道路を使わず、都道府県道や空いている国道を選んで走り、早朝に自宅を出ても半日あれば山形県に入り、宿にチェックインできたという。

そのルートは一旦関東の山の中に入り、埼玉、群馬や栃木を経て会津経由で東北に入るというもの。

── 本州の中心部を真っすぐですね

鳴神氏「そう。必ずそのルートで東北へ入っていました。朝の六時ころに家を出ると、山形市には夕方6時に着きます。だから大体12時間くらいですね。米沢周辺は、いつも5時前を目安に宿に入っていました。ランクル40という84年型の古い四輪駆動車に2002年まで乗っていたので高速は怖くて、下道を走るのがクセになりました。

白布温泉やさらに上の新高湯温泉にも行ったし、姥湯温泉にはしょっちゅう行っていました。米沢や南会津や西会津の温泉、その辺りにぽつぽつとちょうどいい秘湯があるんです」

── 季節は秋の紅葉の季節でしょうか。冬場になるとそうした秘湯は閉鎖されてしまうところが多いですから

鳴神氏「ところが新高湯は1年を通じてやってるので、凍り付いた大峠を越えて、真冬にもよく行っていました。お風呂の中から雪を見るのが好きでした」

── そのくらいまめに行かれると、行く先々で行きつけのスポットとか、この温泉だったらこのお風呂に入るとか、ここに行ったら大体これを食べるとか、大よその傾向はできてくるものですか?

鳴神氏「そうですね、私は一軒宿が好きなんで、今言ったように姥湯(米沢)、大平温泉(米沢)とか新高湯、滑川温泉、そのあたりによく行きました。福島県では一軒宿ではありませんが、木賊(とくさ)温泉。あと湯ノ花温泉とか西山温泉、早戸温泉、玉梨温泉など……みんな雰囲気のある秘湯ですよ」

── 本当ですね。子連れというかファミリー層はあまり行かないかもしれませんね

鳴神氏「あまり見ませんでした。温泉好きの一部の人たちとお年寄りというところですかね。宮城県だと「ランプの宿」として知られていた栗駒山中の湯ノ倉温泉も大好きだったのですが、寂しい事に岩手宮城内陸地震の被害を受けて廃業してしまいました。あと蔵王山中の峩々(がが)温泉もよく行きました。

もっと北の方にも行っていますよ。岩手県だと、八幡平の籐七温泉が好きですね。一番よく訪れたのが同じ八幡平の松川温泉。冬もやっているからお正月休みを過ごすことが多かったです。他にもたくさんの岩手の温泉に行っています。

秋田県だったら、湯沢市の奥にある泥湯温泉も、同じく何回も出かけましたね。八幡平の後生掛温泉や、乳頭温泉、閉館しましたが大舘の日景温泉にもいきました。

青森県なら例えば青荷温泉や黄金崎不老不死温泉、下風呂温泉など。あと、閉館してしまいましたが、十和田湖の西側にある温川(ぬるかわ)温泉もよく行っていました。ここは吉川英治が逗留した宿として有名だったんですよ。こうしてみるとやはり東北全県ですね。温泉好きなもので」

── 冒険で新たなところに行ってみようというよりも、ご贔屓というか、ここに行くと安心するというところが出来てくるものですか?

鳴神氏「ええ。やっぱり好きな温泉というのは決まってきます。でもそれも旅の足を徐々に広げていった結果なんですけれどもね」

── 吉川英治先生や、結構いろんな作家さん達が東北に来られているんですね

鳴神氏「そうです。僕は泊まっていないけど、秋田県の秋の宮温泉なんかは武者小路実篤が逗留していました。東北には文豪に親しまれた宿はけっこうあります」

── 何もないからむしろ落ち着くのかもしれません

鳴神氏「そうかもしれません。ただ良い温泉が最近次々と閉館していくと聞き、とても残念です」

── 温泉は維持も大変ですし

鳴神氏「大変だと思います。東北各県に好きな温泉があるわけですが、小説を書き始めてからは時間がとれず、ほとんどの宿に長いこと行っていないですね。作家デビューしてから行ったのは松川温泉くらいかな」

── 温泉に行きたいなと思っても、やはりまとまったお休みを取るのが難しそうですね

鳴神氏「そうです。いつも追いかけられている気持ちですから(笑)」

 

各地の美味とご贔屓のお酒

── 各県のご贔屓の宿の、食べもの情報もお聞かせいただきたいのですが

鳴神氏「一例を挙げれば、新高湯は美味しいです。結構何回も行っていますので、芋煮を始め米沢牛のステーキや、色んなお料理をいただきました。宿で美味しいものを食べるので、外のお店をそんなに知らないんですよ」

── 外食のお店があまりないような温泉もまた多くていらっしゃる

鳴神氏「そうそう。秋田の泥湯温泉ではしょっつるやきりたんぽなんかを美味しく頂いたし、そうだ、湯沢にはお店の名前は忘れちゃったけど、よく行った料理屋さんがあるんですよ。バスの待ち時間とか電車の関係で、そこでも秋田のお料理をたくさんいただいています。「貝焼き」が訛って「かやき」になったという、野菜や魚を煮たお料理とか美味しかった」

── 神奈川ご出身の先生には塩辛くなかったですか?

鳴神氏「それほど感じません。会津の料理なんかは甘いですが、うちの父もそうなのですが濃い味でないと受け付けないんですよ。だから減塩すると甘くなっちゃうんですね。私もどちらかというと濃い味好みで、東北地方の料理は好きです。一口に東北地方というのは乱暴ですが、好きなお料理はたくさんあります。鯉のお料理も随分いただきました。鯉のあらいとか鯉こくとか、うま煮とか。秋田の森吉に杣(そま)温泉というあまり知られていない温泉があるんですが、ここでいただいた鯉料理が美味しかったです。あとは初夏の山菜料理とか、秋のキノコ料理もずいぶん食べました。とにかく東北地方の食べ物は合いますね。あれ、お料理紹介みたいになってるな(笑)」

── いえいえ、そこは大事です。食べものとお酒は東北のキモですから。お酒に関してはどうですか?

鳴神氏「好きなお酒は山形の置賜産です。関東ではあまり売られておらず手に入りにくいのですが、樽の匂いを残してある樽平酒造の『住吉』というお酒が一番好みに合います。山田錦の『樽平』がメインかもしれませんが、ササニシキを使った住吉はすっきりとしていて旨味が豊富で、よく飲んでいました。現地に行くとたくさん買って来ましたし、神奈川県でも藤沢のデパートで売られていたんですよ。そこが無くなって今は通販になってしまいました。他にも東北地方はたくさん美味しいお酒がたくさんありますが、僕的にはもう全国のお酒の中で一番と思っています」

 

作家の視線・作家にだんだん「なって」いく

 

長年小学校での事務職に着いてこられた鳴神先生が「私が愛したサムライの娘」でデビューを果たしたのは2014年。50歳を過ぎてからの熟年デビューである。

それまで長年蓄積された多方面に対する知識が、今の作家活動に大いに役立っていると語る。

 

── 作家になられてから行く東北は、それまでと違う感じを受けますか ?

鳴神氏「若い頃とは違いますが、デビューした、しないの差ではないような気がします。私自身の考えでは、作家とはだんだん『なって』ゆくんですよね。世間ではデビューして本が出て、初めて作家と認知されます。でも、私は徐々になってゆく気がするのです。僕の場合には、デビューした後もまだ作家にはなりきってはいなかったです。書き続けて、何作も作品を出し続けているうちに、僕は徐々に作家になってきているような気がします」

── 文章を職業として書いてゆくと、物事を観る視点も代わってくるのでしょうか

鳴神氏「作家を志してからは、東北に限らず、訪れた土地での風景などをものすごく観察するようになりました。例えば今僕たちの前に海があるわけですけど(インタビュー場所は横浜の海に面したカフェ)これをどういう風に描写するかとか、波の感じとか映っている建物の感じとか、目に映るすべての対象を書くための視点で見ますね。東北地方を訪れたとすると、その土地で生きている人たちがどんな風に暮らしているのかを、描写に活かせるかという目で見るようにはなります。それも徐々にですが」

── 鳴神先生にとっては描写というのは映像的に頭の中に浮かんでくる感じですか、それともある程度まとまった文章としてのものですか?

鳴神氏「完全に映像ですね。風景描写に関してはいつもそうですし、人々の姿に関してもやはり映像です。心のビデオカメラを撮って、書く時に再生する、といった感じです」

── その視点は、カメラがある風景を映してすっとアップになったり引いたりする感覚でしょうか

鳴神氏「僕は写真を趣味でやっているのですが、カメラのレンズは焦点距離ごとに、画角という物理的に一定の範囲しか撮れないんですよ。

例えば300ミリで映したら被写体は大きく写る。だけど、画角は8.2度だから、ここからだとビルの狭い範囲だけしか写せない。35ミリだったら63度なので、橋や川までの広い範囲が写せますが、被写体は小さくしか写らない。人間はじっとみつめるときには300ミリの感覚で見ている。ボーッと見ている時には35ミリの画角を無意識に使っている。人間の脳は、両者を瞬時に切り替えられるし、合成さえできるんです。

要するに、あの車、と思うとそこに望遠のように接近して見ますし、風景全体というと広角で見ているんですね。さらに同時に、両方の画角で見られる。

人間の脳は実に都合よくできているのですね。人間の目というレンズは光学的な制限を持たないのです。ちゃんとこう見て、さらに、こうも見られる(掌を回して前面と背面を示す)。すごいですよ。自由自在のズームレンズを人間の脳は持っています」

── 同時にいろんな視点で見られるわけですね

鳴神氏「そうです。そして意識が向いたところを拡大できるというすごい機能を持っているのです。何だか違う話をしているな(笑)……作家としての僕は、今言ったようなことを意識して、目に映るものを見てゆく必要があるように思っています」

脳の情報認知の仕方、領域、感覚。そんな鳴神先生の知識が充分に活かされている作品に、好評発売中の警察小説「脳科学捜査官・真田夏希シリーズ」がある。

 

心が揺り動かされてこそ書きたい

 

── 文章を専業で書くようになってからは、以前お感じになった闇に対する恐怖とかそういったものを感覚として受け取るよりも、心のカメラの方が先に向く感じになられたのですか?

鳴神氏「いや、真の闇への恐怖は、16歳の心の瑞々しさが生み出したものでしょうね。初々しい心が感情を激しく動かしていても、やはりこの年になると、残念ながら、心はそこまで動かなくなってきます。でも、今でもそういう感情がものすごく大きく動くこともあります。そんな機会は大事にしたいと思っています。感情が動くと、仕事にはすごくプラスになりますから」

── 感情の振り幅があったほうが、生きていくうえでも豊かな感じがします

鳴神氏「そうです。様々な小説の作り方があると思うのですけど、僕の場合には、頭というか論理先行で書くとあまりいい結果が出ないです。もちろんプロットの構築は論理の積み重ねですし、考証も理屈だらけです。でも、論理的な思考に偏り過ぎると、いい物語は書けないという感覚を持っています。やっぱり感情がビビッドに動かないと、よい形では書けないなという感じです。あくまで僕の場合ですが」

── その辺が創作の魅力なのでしょうか

鳴神氏「そう、魅力ですね。面白いです」

── これは書かなければというように衝き動かされるものが、書き続ける原動力になっておられるのかなあと思いました。感覚そのものですね。

鳴神氏「そうです。だから一番理想的なのは、書くテーマそのものに大きく心が揺り動かされて書き始める事です。心の中で『これは書かなければ』という感情に衝き動かされて書き続けることが、大事だと考えています。ものごとをいつもビビットな目で見て、瑞々しい心をペンに活かしてゆく。そんな気持ちを失わなければ、良いものが書けるのではないかなと思っております」

作家としての見方の成熟、感受性の重要さを語ってくれた鳴神先生は驚くほど広範囲に旅をし、温泉とその土地の食と酒を愛する旅人でもあった。

視覚的な文章を特徴とする描写力は、自在に切り替わる視点と瑞々しさに裏打ちされたもの。

次回は作家の目から観た地域によっての季節の差、そして原風景としての人びとの暮らし、満を持して世に問うた「謎ニモマケズ」シリーズについてをじっくり語っていただきます。

お楽しみに。

※注・このインタビューは『謎ニモマケズ』シリーズ1巻が発売された後に行いました。現在シリーズ2巻「飛行船月光号殺人事件」が刊行されています

インタビュー後編はこちらへ

 

鳴神響一

神奈川県生まれ。2014年「私が愛したサムライの娘」でデビュー。同作で第6回角川春樹小説賞、第3回野村胡堂文学賞をダブル受賞。
17世紀のスペインと日本を舞台とした歴史活劇「天の女王」やコミカライズもされている「鬼船の城塞」、他「影の火盗犯科帳」「多田文治郎推理帖」、 横浜を舞台にした神奈川県警の若き女性捜査官の活躍するミステリー「脳科学捜査官 真田夏希」
青年期の宮沢賢治が大活躍を見せるサスペンス活劇「謎ニモマケズ」等シリーズもの多数。
熱烈なフラメンコファンでもあり、スペイン文化やクラシック音楽などにも造詣が深い。

オフィシャルサイト『銀河鉄道ネット』

http://www.gingatetsudo.net/