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越後・長岡藩筆頭家老・河井継之助を朗々たる筆致で描き切った「龍が哭く」は、2015年から2017年にかけて新潟日報、河北新報他10紙で掲載され、後に単行本として出版された。また、激動の会津から斗南藩、そして西南戦争の時代を題材にした「獅子の棲む国」他、人の価値観が激しく変わる時代を多く手掛けるのは、気鋭の歴史作家、秋山香乃先生。
骨太な文章とスケールの大きなストーリーテリングで、歴史の波に翻弄されながら必死であらがう人物達を、一貫して丹念に描き続けている。
同時に2016年に結成された歴史小説に風穴を開けようという志の作家集団『操觚(そうこ)の会』のメンバーとして講演やトークライブにと活発な活動をされている。
温厚で人を包み込むような優しい語り口ながら、常に厳しく真摯な目線を忘れず、柳生新陰流居合道四段の腕前の持ち主でもある。 九州生まれである先生の東北での取材、執筆秘話から『東北』という地とそこに住む人への思いについて、お話を聞かせて頂いた。

 

///インタビュー後編///

 

九州人の秋山先生が取材で感じたのは、東北の大地の豊かさと自然の厳しさ。そこに生活の工夫しながら住む人々だった。それでは『外からの目』がとらえた東北人の強さとは。それは個と集団の『秘めるエネルギー』の強さだろうと秋山先生は言う。

 

Q: 先生の小説に登場する人物は「強さ」が軸になった描き方をされていると思います。特に東北の豊かな反面厳しい自然、その中で生きる強さというものをお感じになったのですか?

秋山氏「これは文献にも、江戸で雇うのなら東北の人が当たりで、西は外れという言葉がはっきりと残っているんですよ。西の人はちょっと辛い事があるとすぐ逃げ出すが東の人は我慢強くてちゃんと勤め上げてくれるので東の人がいいという記述があるのです。

特に私の故郷九州は更に自由人的気風があります。利点とそうでない点両方になりうるのですが、我慢せず自由な発想で行動していくという性質でしょうか。私も同郷の人間としてそういう気質は嫌いじゃないんですよ。むしろ大好き。

でもそれに比べ東北の人たちは本当に我慢強くて、豊かに持っている情熱を普段一切表に出さず閉じ込めていても、それが表に出て来た時が、とても華やかで強い。文字通り華があるのです。

九州の中でも私の家がある地域の話ですが、みなしょっちゅう発散するのでエネルギーが貯まらず大きな花火が打ち上げられない。常にバンバン打ち上げていますから。

でも東北の人たちは貯めるだけ貯めてここぞという時に大きくバーンといく。あの華やかさというのはやはり東にしかないかなと思うのです」

Q: 東北出身者からすると発散するすべが乏しいのかもしれません。発散するしつけや気風どころか、雰囲気的に『それは表に出すものではない』という空気を感じることがありました。

秋山氏「分かります。多分発散する文化を作ってしまうと命に関わったと思うんですよ。豊かだけど厳しい自然環境は、けっこう死と隣り合わせじゃないですか。真冬に喧嘩して家を飛び出そうものなら凍死してしまうでしょう。死が待っているからむやみに発散しては駄目だったんですね。

九州は玄界灘に飛び込んだりすれば別ですが、喧嘩して飛び出しても、滅多に命の危険はないと思います。西は、外に飛び出せる状況はいつでもありますから、発散してもやっていけるんですよね。でも東北の人はむやみに外の世界に飛び出したら大変なことになる状況にあった」

Q: 山や急流に囲まれていますから、外の世界にバーッと飛び出そうとしてもルートが限られていた、という点もあるかもしれません。今はさすがに交通網が整えられてきましたが、それでも西の地域のように、こっちのルートがダメならこちら、ここを通ればあちらにも行ける、という状況ではありませんし、特に昔の庶民には逃げ場がなかったでしょう。

 

東北の気質に見る集団の中での個人と『教育』

 

秋山氏「歴史というのは『灯り』の変化でどんどん変わっていきます。それくらいちょっとしたことで、歴史を作る『人間』が変っていくわけですから、長い冬の間家の中でずっと過ごさなければならないと言うと、その共同体の中で少しでも違う発言をすること自体が命取りになる。出て行けと言われるとおしまいですから。

九州はその点、もういつでも出られるので、出て行けと言われたらハイさようならと言った感じになるわけですから、やはりそういうところの違いはありますね。それは外に出ておのれを試すチャンスが増えるという、いい点でもあるんですよ。でも東北の方が持つのは『秘める強さ』みたいなものですね。九州の人間が弱いわけではありませんが、気の持ちようが違うと言いますか」

Q: 我慢する、秘めるという点からすると、軍人は東北出身者が多かったですね。

秋山「多いですね」

Q: 一つには教育が関係しているとも思います。かつては貧しいけれど優秀な男子は、軍に入って高等教育を受けるのが大きな道の一つだったというか。

秋山氏「頭のいい方が多いですよね。体験から学ぶというよりも、じっくり座学を極めるというか。こちらはすぐ再生するので当たって砕けろで、何回でも砕けるのですが、そちらは砕けたら人生終わりなので砕けられない。そういう意味でやっぱり頭がいい、よくならざるを得ない環境だったと思うのです」

Q: 優秀な人は親どころか、一族郎党、地域や藩の期待を一身に担ってという立場になりますからね。

秋山氏「おのれ『個人』ではなく『皆のために』という考えが優先するんですね。やはり人のために生きるんですよね」

Q: でもそうした東北人の気質は、日本近代化の流れの中では、ウィークポイントとして出たりもしたのではないかと思っています。

秋山氏「生き方によって、同じものでも表に出た時点で評価が分かれるというのはありますね。九州の人たちの個人主義というのも、良い方に出れば凄い起爆剤になるのですが、悪い方に出るとバラバラ、みたいに。

同じ事柄が欠点になったり長所になったりするので、それをどう生かしていくかという事ですね。特性は特性としてあるわけですからそれをできるだけ良い方向にもっていかせるというのが重要になって来ると思います」

西日本と東日本、九州と東北。それぞれの地域性と資質について、作家の鋭い観察眼で語ってくれた秋山先生。いよいよ言葉の問題に入る。『階級・時代による方言』についてお話をお聞きすることにした。言葉は地域の特質ではあるが、他者とコミュニケーションをとる大事な手段。そして時代やその他の要因によって大きく変化していくものだ。

先生の言葉も熱を帯びる。

 

Q: 秋山先生の数多い作品の中では方言も使われていますね。

秋山氏「ところが、私は東北の方言は書いていないんですよ。『獅子の棲む国』等では薩摩の人はなんちゃって薩摩弁を喋っていますし、長州の人はなんちゃって長州弁を喋っているのですが、会津の人だけ共通語なのです」

Q: 『龍が哭く 河井継之助』の長岡藩士・河井継之助の口調はうまく新潟っぽさを出されているなと思ったのですが。

秋山氏「連載中に色々な厳しいご意見を頂きまして、だんだん共通語寄りにシフトしていったのです」

Q: そんな事があったのですか。でも方言はすぐ近く、隣接した地域でも違いますし、世代や職業など属性によっても全く違ってきますし、読者全てが納得する形で書かれるのは非常に困難だと思います。

秋山氏「そうなんです。これは強く言いたいのですが、武士言葉と平民言葉では違いますし、商人言葉でも同様です。だから『これは違う』と安直に言ってほしくないのですね。こちらも自分で作って書いているわけではなく、調べて書いています。違うとおっしゃるのは、現在ご自分たちがしゃべっている言葉と違うというわけですよね。これは東北に限った事ではなく、九州の話を書いた時も同様の反論を頂きました。

例えば私の出身地・小倉でも今と昔では方言も違いますから、そのように書くと『先生の出身地なのに小倉弁が違っている』と言われました。それは違います。昔の話ですから昔の方言を調べて書いていますから。

同様に小説に書いた薩摩弁も、そんなのではないと言われましたが、大半の皆さんが想像しているのは武士の中でも上の人たちの言葉なんですね。ところが下の方の人たちはまた違う言葉を喋っています。私が書いたのはそうした身分的に下の人たちでしたから、違って当然です。変えているのですから。

西郷さんや大久保は上に居ますので、後に初代警視総監になる準士族出身の川路利良などと違うのですが、馴染みがないものですから『その言葉は違う』と読んだ方から怒られるし、最近は割り切っています。こてこての本物の方言を書いてしまうと分かる人にしか読めなくなってしまうので」

Q: 確かにそうです。その地域の、しかもその時代の言葉がわかる人しか読めなくなってしまいます。

秋山氏「だからあえて、雰囲気だけという『なんちゃって』にしているのです。そうすると読者からお叱りを受けるのですが、本物を書いたらその土地の人しか読めませんし、こんな言葉は使わないと言われても現代の話ではないので、こちらは文献で調べて書いているのですね。江戸時代初期はともかく、幕末、明治、大正に書かれたその土地の方が書いた文章を調べ、そこで使われているその土地独特の言葉というのを拾い出し、単語帳のようなものを作り書くのです。そうやって今の言葉ではなく、昔の言葉を調べて書きます。でもそれをすると絶対に『違う』と言われてしまいます」

Q: それは、方言といっても今使われている言葉とは違いますから当然のことで、そこを違うと言われても困りますよね。

秋山氏「なので方言に関しては自分の中で納得できる形と、読者が納得するものとでは大いに隔たりがあります」

Q: よく物語の主人公になる武士階級は移動が多いですから、方言的な要素は私たちが想像するより薄いのではないかと思います。現に私の郷里の上杉家も綱憲公は吉良家からの養子ですし、鷹山公は日向国高鍋藩という現在の宮崎の人。藩主などは江戸屋敷と領地と交互に住んでいますし。

秋山氏「そうそう。御殿様なんて江戸で生まれた人が圧倒的に多いですし、江戸の言葉でしゃべっています。家臣も当時の共通語でしゃべっています。難しいんですよね、方言をどのように絡めていくのかというのは。だから最近はあまりこだわらない方が良いのかなと思っています。私に限らず作家にとって非常に難しい問題なんですよ、方言は」

Q: しかし読者の皆さんはそれだけよく読み込まれているという事ですよね。

秋山氏「時に厳しいご意見もいただきますが、読んでくださっていますね。本当にありがたい事です。気質にしても、教育にしても言葉にしても、これはあくまでも九州生まれで九州育ち、今も静岡県と福岡県を行ったり来たりして生活している私の感じたことで、これをお読みの東北の方々の中には違う、わかっていないとおっしゃられる方も多いかもしれません。でも私が何度も旅をし、舞台として作品を書いて感じたことです。これを読んで皆様の心の中に何か残るものがあったら幸いです。そうして感じたことはこれからの作品の中にも大いに生かしたいと思っています。よろしくお願い致します」

インタビューの中で秋山先生が指摘された意志の強さと、個人よりも人のためを優先する気質、当たって砕ける事に対する慎重さ。

これは作家の目、外部からの目というだけでなく、実際に生活する人達も思い当たるものがあるのではないだろうか。

東北の人たちは自分達が外からどう評価されているかを非常に気にするところがある。そして身内が『失敗すること』に対して厳しい。それがこれから伸び得る『芽』をある意味阻害してしまう事にはなっていないだろうか。

自分にも他社にも厳しい意志の強さ。そしてめったなことで感情を発露しない、一歩引いてしまう態度。

一つの事が長所にも短所にもなりうる。

東北人が自分の気質を自覚し、生かして学んでいくための、多くの示唆に富んだお話を頂いた貴重なインタビュー。秋山香乃先生、ありがとうございました。

 

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秋山香乃先生は「河井継之助 龍が哭く」(PHP研究所)にて 第六回野村胡堂文学賞を受賞されました。おめでとうございます。

 

 

秋山香乃

福岡県生まれ。2002年『歳三往きてまた』にてデビュー。以来『総司 炎の如く』『新撰組藤堂平助』等新撰組関連をはじめ『密偵』『獅子の棲む国』『氷塊 大久保利通』『吉田松陰 大和燦々』等の幕末から明治にかけての諸作品、庄内本間家の宗久を描いた『天狗照る』(PHP)等骨太の歴史小説、また江戸市中を情感豊かに描いた時代小説『漢方医 有安』シリーズなど著書多数。

オフィシャルサイト
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