小学校への通学路は他人の家の裏や細道、畑の中を歩いていく道だった。低学年の子たち数人が遊びながらあるいていくと、目に入るのが畑の端に植えられたイチゴの真赤に熟れた実だ。

 おぼこらたちは少し考え、喉の渇きと真っ赤なイチゴの誘惑に我慢できず、もいで食べてしまう。頭の黒い鼠が何匹も畑を荒らすのだから、当然見つかって怒鳴られるし小学校に文句が来た。

 でも子供たちも知った

『人の家の畑のものは、とるな』サクランボやカキの木によじ登って勝手にもいで行ったり、今では考えられないような悪童揃いだったのである。

 我が家の母方のいとこ達の中では兄と私が最年少。一番年が近い従兄でも10歳離れていた。
 これくらい歳の差があると一緒に遊ぶどころではなく、キャンキャンじゃれつくワンコかお人形のような扱いだ。
 反対に絶対的年下の兄と私から見ると、年上のいとこ達は圧倒的に大人で、こちらが知らないことをよく知っていて、遊びでも読書でもテレビやマンガの知識でも、比べるべくもなかった。
 大勢のいとこ達の中で一番親しかったのは、祖母と暮らす母の長兄夫婦の子供。市内で豆腐屋を営む一家の、姉妹だ。
 二人共頭がよくスラリとあかぬけており、共に教師を目指していた。
 しっかり者で物静かな姉は小さい頃からずっとピアノを習っており、音楽の先生になるべく東京の音大の教育学部を目指していた。
 活発で負けん気が強く、男の子にも果敢に立ち向かっていく妹の方は体操、特に新体操が得意で県大会でも常に上位に入っており、将来は体育の先生を目指していた。
 二人の従姉妹達は兄と私が泊まりに行くたびに、色んな雑誌や本を見せてくれた。
 

 ノンノやアンアン、当時の都会の少女たちやお店、お洒落なカフェやデザートの写真は私たちの東京への憧れをかきたてた。
 身近に山ほどなっているイチゴやブドウ、サクランボも家では洗って冷やして、そのまま食べるだけだが、都会では見た目も美しい、どこからフォークを入れたらいいかほ分からないタルトやケーキ、パイになって、美しく盛り付けられている。
 東京というのは何でも綺麗にしてしまう、魔法のような都市なのだと、小学生の時分は思った。
 テレビの刑事ドラマで映る荒んだ町も東京で、そのどちらも内包する大都市なのだと知ったのは、進学のため上京してからだ。

 従姉妹の家にはお洒落なお菓子作りの本があり、遊びに行ったときにはたまに一緒に作って遊んだ。
 母が作るものとは明らかに違う、ババロアやムースやチーズケーキ。
 イチゴだって切って飾って、裏ごしして混ぜ込み、ピンク色のクリームにしたり、工夫がされていた。
 なにより、姉妹二人でわいわい騒ぎながら作る、楽しげな雰囲気が好きだった。

 母は忙しい家事と家業の間に、パパッと手早く作ってくれたが、町内の会合やお祭りなどの行事があるとよく寒天をたくさん作って涼しいところに置いていた。
 ゼリーと違い30度で固まり始める寒天は、冷蔵庫が要らないのと、ぷりぷりとした固めの触感で切り分けるのに便利だったので、母はよく作っていた。
 あまじょっぱく少し醤油を入れたくるみ寒天、夏ミカンのほぐした身を一面に入れた、爽やかな甘夏寒天、たっぷり卵を入れて白身と黄身の二層に重ねた卵寒天。
 どれも砂糖がたっぷり入り、驚くほど甘かったが、しょっぱいものはしょっぱく、甘い物はしっかり甘く、それが当地の味だったのかもしれない。

 でも減塩減糖、なるべくしましょう。

 今回はイチゴと牛乳を使ったミルクイチゴ寒天です。
 母は棒状に乾燥させた某寒天を水でもどして、ちぎって使っていましたが、今は便利な『粉寒天スティック』があるのでそれを使いました。

 実家のある山形県長井市には『かないがみイチゴ』という早生の品種があり、市内で作られています。

 

【レシピ】 イチゴとミルクの寒天


 【材料】
 イチゴ 1パック
 スティック粉寒天 1本
 牛乳 500cc
 砂糖 1カップ


(1)イチゴは洗って水けをふき、縦半分に切っておく。

(2)鍋に牛乳と粉寒天を入れ、よく混ぜておく。砂糖も入れて溶かす。

(3)鍋を弱火にかけて熱し、2分間沸騰させる。

(4)鍋ごと大きなボウルにはった水につけ、粗熱をとる

(5)ガラス器かバットに入れ、手早くイチゴを飾る。室温でどんどん固まって来るので手早く。

(6)ラップをふわりとかけて冷やし、切り分ける。甘党さんにははちみつやコンデンスミルクをかけると喜ばれる。

牛乳の半分を生クリームにすれば『パンナコッタ」、ヨーグルトにすればよりさっぱりと爽やかな風味になります。