「こたつ」の中には思いがけないものが潜んでいた。

「こたつ」についての一番古い思い出は、つま先の火傷だ。
幼少の頃、家は炭を入れる掘りごたつで、火を起こした練炭を入れ、網を張って、中に入れた足が炭に触れないようにガードされていたように思う。
だけど幼児の小さな足はガードの網の目をくぐり、靴下のつま先を焦がし、あちちっと泣いた。
やがてこたつは電気になり、足は安全になったし、火事の心配も減り、スイッチを入れればすぐ暖まり温度調節もできるようになった。
おかげでこたつで寝てしまい叱られることもあった。

幼稚園から小学校に通うようになると、二つ年上の兄と2人で登下校だ。
真冬の帰り道、冬の強烈な地吹雪に後ろから煽られ転びそうになりながら、一年生の私は三年生の兄の背に隠れ、その黒いランドセルにしがみつくように歩く。
「ただいま」と帰った家の中は、母屋も棟続きの工場もストーブがガンガンに焚かれて別世界のように暖かかった。

我が家は昭和20年代からずっと長井で織物屋をやっていた。細長い工場と母屋が棟続きで、横長に広い家。昔建てた家だから玄関や廊下の隅や、離れの奥などは暖も届かない。
雪で窓が閉ざされた白っぽい薄闇の中の家の景色は寒々としており、反対に常に人のいる場所はとても暖かく、一気に血が身体を巡って行くように感じられた。

兄と私は雪で凍て付いた毛糸の帽子と手袋、マフラーをとり、長靴の中でも濡れて冷たくなってしまった靴下を脱いで、ストーブのある茶の間に行くと我先にとこたつに突進する。
「こたづの中さ甘酒入ってっからな。足入れっ時、ちゃんと中見て、ひっくり返さねようにさんなねぞ」
母の慌てた声が飛ぶ。
不用意に炬燵の中で蹴られ、ひっくり返されては大惨事になるからだ。私と兄は飛び込みたいのを我慢して、そっと炬燵の上掛けをめくり、中を確かめてから足を入れるようにした。
中では大きな両手鍋が毛布に包まれ母の腰ひもで縛られて、保温してあった。

母が台所からやってきて
「どら、出来てっかな」
と言いながら毛布をほどき鍋を台所に持って行く。
蓋を開ける母の手元を覗きこむと、鍋の中にはふっくらと炊けたご飯粒が、白いトロンとした汁に半分溶けなかば粒立って、みっしりと入っている。
母が朝に仕込んだ甘酒だ。
兄と私が小学校から帰った時にできているよう、朝炊いた残りのご飯に米麹とお湯を入れて、炬燵の中で保温して置いてくれたのだ。
味見をさせてもらうと、甘味は淡い。市販のココアやジュースに比べれば、子供にはもの足りない。
「もっと甘い方がいいー」
と我儘を言う私のマグカップには砂糖を入れておき、母は小鍋にとって熱くした甘酒をそそぐ。
薬味に散らした下ろし生姜がぱあっと香り立つ。生姜は辛いしおかずのイメージが強いので、私は甘味に入れるのは好きではなかったが、母は身体がより暖まるからと必ず入れる。
でも今ならありがたい事だったのだと分かる。生姜は体を内側からと温めてくれるのだ。
こたつで発酵させる甘酒は頻繁に作られ、雪塗れで下校する私達兄妹、雪下ろしや仕事を終えた父と祖父を暖めてくれた。

 

【レシピ・甘酒】

【材料】

・米1合
・米麹200グラム
・ぬるま湯700cc~800cc


(1)お米を普通に食べるより多めの水で、柔らかく炊きます。その間に米麹を手でほぐしておきます。(塊か板状になっているので)

(2)ご飯が炊けたら大鍋に移し、平らに広げて縦に切るようにほぐし、湯気が出なくなるくらいまで冷まします。(熱いと麹菌が死滅してしまい、発酵しません。醸してくれません)
冷ます途中でも時々切りまぜて、表面冷めても中が熱いという事の無いように。

(3)粗熱が取れたら麹をまんべんなくパラパラと入れ、その都度よく混ぜて、むらの無いようにします。

(4)50度より少し冷めたくらいのお湯一リットルの紙パックの8分目くらいを入れ、麹入りのご飯をよく溶きのばします。(60度が30分以上続くと熱で菌が死ぬため冷まして)

(5)炊飯ジャーに入れ「保温」スイッチを入れ、5~6時間保温。時々開けて熱の当たり具合にむらがないようにかきまぜます。出来上がったら冷まして発酵を止めましょう。
味見してまろやかな甘みが出ていたらOK。

そのまま保温しないで必ず別容器に移して冷ますこと。
そのまま発酵を続けると糖分が乳酸菌発酵し始めて酸っぱくなってしまうため。
熱々にして飲んでもいいし、冷やして飲んでも美味しいです。しょうが汁は好みで入れて。

こたつで作る場合は、蒸し器で饅頭を蒸す時のように、鍋ふたの内側に大きいふきんもしくはガーゼを噛ませ(ふたに付いた湯気が水滴になってしたたり落ちないように) 、更にブランケットや毛布、タオルケットに包んで、ひっくり返さないようにこたつに入れて保温&発酵。約6~7時間で出来ます。