「図書館へ行こう♪」連載中の、かどやじゅんこです。
初回の「八戸市立南郷図書館」は楽しんでいただけましたか。
おそらく、この連載に目を留めていただけた方は、私と同じように“図書館“という空間を熱烈に、いや、密かに愛する人たちだと想像しています。

「いやいや、たまたま、のぞいてみただけ」という方だったら、あなたは図書館に、どんなイメージを抱いているのでしょうか。
少し堅苦しくて、ちょっとカビ臭い本の匂い。おしゃべり厳禁の若干窮屈な場所…。まさに、私が記憶する図書館の原点は、そんな場所でした。
けれど、それを思い起こす時、心がじーんと温かくなる場所でもあるのです。
そんな図書館や本にまつわる思いを、時々書いていこうと思っています。
そして、本編でご紹介する大好きな図書館へぜひ、足を運んでいただきたいのです。どうぞ、肩の力を抜いて、私のツアーにご参加ください。

私の図書館への思いは、学校の図書室にさかのぼる。
通っていた小学校は、子どもの数が多かった時代らしく、あちこち増築された一部コンクリート造りの3階建て校舎をのぞけば、床がぎしぎしする古い木造の校舎だった。そんな学校に通う子どもたちには、決して避けては通れない、年中行事のような作業があった。

 

 

 

 

ひとつは、学期が終わる終業式に行われる、校舎の大掃除!全校生徒が総出で、広い木の階段の手すりや床など、木の板一枚一枚を丁寧に洗剤で磨いていく。冬は寒いけれど、これを終えなければ、どうしたって冬休みは始まらないのだ。

 

もうひとつは、薪ストーブの準備。そう、当時は今のような石油ストーブでもパネルヒーターでもなくて、大きな薪ストーブが教室の真ん中で幅を利かせていた。秋が深まるある日、登校してきた子どもたちの前に、何の前触れもなく出現する薪ストーブによって、私たちは否が応もなく、冬の訪れを意識させられていく。今なら「薪ストーブって贅沢!」なんて話になるのかもしれないが、当時はちょっと憂鬱で、ちょっと嬉しい、何とも複雑な心境だった。

 

憂鬱の原因は、全校生徒総動員で実施される、薪運び!

ある日、何台ものトラックや重機で突然校庭に運び込まれる大量の太い丸太。

業者のおじさん達がチェーンソーを操って器用にカットしていく時の、きゅーんきゅいーんという音が校庭にこだまする。映画だったらさしずめ、冬の章の予告編が流れたようなものだ、なーんて、カッコよく書いておこうか。

 

そして、いよいよその日がやってくる。

1年から6年までの子どもたちは、まるでアリの行列のように一列に並びながら、差し出した小さな腕に薪を3、4本ほどのせられて、校庭から校舎まで歩く。薪は廊下の隅にびっしり積まれ、ストーブ当番が毎日ここから教室に運ぶというわけだ。着ていたセーターには木の皮がひっつくし、時々アシナガグモが薪の陰から出てくるしで、その日は一日中憂鬱な気持ちを引きずったものだ。

 

 

雪が降り出し、本格的な冬になれば、それはそれで薪ストーブは楽しい。

ストーブにのせていた大きなアルミのたらいには水が張られ、温められるとともに湯気がしゅんしゅんと音を立てて蒸発し始める。給食時間になると何人かが牛乳瓶を入れて温めたりするのだが、中には熱さで瓶の底が割れ、引き上げた途端に中身がカラッポということもあって、そんな時はみんなもう、こらえきれずに大きな声で笑った。一瞬で牛乳を失った子には申し訳なかったが、本人もつられて笑い出したりして、何だかほんわかした空気が流れていたものだ。

 

薪ストーブはとっても暖かくて、特に給食の後の授業では眠気を誘ったし、時には机を後ろへ移動させ、ストーブを囲んで車座になると、先生が読んでくれる童話や児童文学をとろんとした目をして聞いた。

その頃から本が、本を眺めることが好きだったから、私の本好きはもしかしたら、薪ストーブのおかげなのかもしれないとも思う。

あの頃の子ども達のホッペは皆一様に真っ赤で、それがまるで幸福の印のように、幸せな時間がゆっくりゆっくり過ぎていった。

 

 

私たちの小学校には、最初、図書室というものがなかった。

けれど、小学校3年か4年の時に、空き教室を利用して“図書室”ができた。それが人生で最初の図書室との出会いだった。

それが放課後だったのか、昼休みだったのか記憶が定かではないのだが、少し緊張しながら引き戸を開けると、そこには見慣れない先生がいて、できるだけ足音を立てないように書架に近づき、重みのある本を手に取る。

それは、いつも決まっていて、福音館創作童話シリーズの「いやいやえん」だった。細かところは覚えていないのだが、何でも「いやだ」と駄々をこねるしげる少年と「いやいやえん」の、どこかシュールな話と挿絵は、子ども心に少し怖くもあったのだが、何だかとても惹かれていて、気がつけば手に取っていた。

 

いくつか小さな木の机を合わせたテーブルに座り、少しだけ読み進める。図書室はシーンと静まり返っていて、遠慮がちにページをめくる音が聞こえているだけだ。けれど、やっぱり冬だけは違った。真ん中にでーんと置かれた薪ストーブの、しゅんしゅんと沸くたらいのお湯の音や、ストーブの中ではぜる薪の音が、図書室を親しみやすい空間に変えてしまうからだ。

時々、先生がストーブの扉を開けて、器用に薪をくべる。ストーブの中は、真っ赤な炎が勢いよく燃え盛っていて、先生がその扉をきーと音をたてて閉めるまで、その一連の動作をずっと目で追っていたものだ。

 

 

どこかで「いやいやえん」を目にする時に、きまって思い出すのは、寒い冬と暖かな薪ストーブ。今のように何でも手に入る時代ではなかったけれど、とても満ち足りていて、幸せな時間が流れていたように思うのはなぜだろう。

 

さあ、今年も長く寒い、そして温かな冬がやってくる。