どこでもドアツードア

 

東北人は、ドアツードアである。
東北人とは言い過ぎかもしれないが、少なくとも岩手生まれ東北育ちの私の場合は、行ってきますで玄関のドアを開け、次のドアまでの移動は車だ。
オートマチック車に替えてからは、左半身すら使わなくなった。
運転中の左半身に仕事を与えるつもりで、菓子パンやサンドイッチ・おにぎりといった食品を持たせたりするのも、自動車ならではのことだ。食品の中にソフトクリームが含まれることは言うまでもない。
歩きだ自転車だと拘(こだわ)ったとしても、冬は雪が降り積もるため、固く結んだ決心もひとたび自動車の快適さを味わってしまうと、春の雪解けと共に桜のように散ってしまう。
そんな私の体は50歳を目前に色んな所にガタが来ている。ガタ到来である。Over40、ガタ到来!オールモストフィフティだ。目前の遠いようで近いモヤの向こうに、諸先輩方の手招きが薄ぼんやり見える歳になったのだ。

ドアツードアに異論を自分で挟むとすれば、公共交通機関が充実している杜の都・仙台は、地下鉄を絡めた歩きと自転車が移動手段として有効な街だ。歩くと体が温まるため、ちょっとした軽装でどこまでも歩いて行ったし、どこまでも自転車で行った。
仙台市内の会社に勤務している時は、自転車で岩沼市の得意先回りをしたこともある。変速機無しのママチャリで背中から湯気を上げ颯爽と現れる私に客は「おめぇ馬鹿でねぇの」と言ったものだ。一度や二度ではない。
私はこれを賛辞として受け止めているのだが、言っても仙台市内~岩沼市まで直線距離で(徒歩距離で)で20kmちょっと。高校時代自転車で片道16kmちょっとを通学していた私にとってちょっと20kmは目くそ鼻くそを笑うなのである。ちょっとぉヤダ~。

そんな鼻くそな方の私が営業中、自動ドアに笑顔を挟まれたエピソードはまた別の機会にしよう。「笑顔で挟まれた」ではない。「笑顔を挟まれた」だ。

岩手に戻って10数年が経つ。

岩沼チャリ野郎のスラリとしたボディも、「いや~普通サイズのジーンズが合わなくてさ~」が鼻につく自慢だった筋肉質脚も、あらゆるプレッシャーに耐えてきた奥歯も、遠近感が狂う上どこに座っても近いからと言われた首から上の部位も、ドアツードアの運動不足がガタを蓄積して、いよいよ表面化してくる歳になってきた、というワケだ。
どんなに食事に気を配ってカルシウムを摂取してもビタミンを積極的に摂っても、亜鉛を摂ったとしても(ココ注目)、運動が伴わなければ効果を存分に発揮できないのである。
栄養指導をしてくれる栄養士さんを絶賛募集中なのである。

 

そんなある日、長い階段をおりていてカラダの異変に気付いた。

あれ?なんか揺れてない?

 

私は私です決して

 

芋○係長並みに踊れる軽やかな、しかし不摂生の蓄積で90kg以上(脂肪込み。実測値93kg)となったボディが、軽快にステアーをゴーダウンしている時ブレインにワーニングしていることに気付いた。

大胸筋が揺れている。シャツに擦れている。

英訳すると、

I noticed my breasts were shaking up and down when I went down stairs. Also noticed that my nipples were rubbing against the shirt I wore, and I felt weird ecstasy somehow, which I I had never felt before.

機械翻訳すると、「英訳」に余計な解説をそっと加えたのがバレる。

私は、私が階段の下に行ったとき、胸が上下に震えていたと気がつきました。
私が着た、そして、私がどうにか、怪しいエクスタシーであると感じたシャツに私の乳首がすれていたために、気がつかれもします、そしてそれは、私は私です決してフェルトがいられません。

こんな感覚は若いときに感じた事がない。

畳みかけるように思い出す、健康診断書に踊る「やや肥満」の文字。
Bryan Adamsの「18 ’til I die」を文字通り死ぬまで唄い続けていたいのに、Breasts shaking ’til I dieな自分に気付き、しばらく階段を上り下りしてその揺れる感覚を味わうように、決してフェルトがいられなかったのだ。

健康診断以来、
「良く噛んでる~?いつもより5回多く噛んでね~」
と健康指導員さんからの熱心な電話に生返事をする日々が続き、新調したスーツとワイシャツはかつて無い胸回りと胴回りに引きずられ袖の長さと首回りがアベコベで、空気の抜けたベイマックスのような佇まいとなってしまった。
もちろん、急に太ったわけではない。健康体を過信して30代後半から40代の体のケアを怠ったせいだ。
基礎代謝が落ちるという言葉に全く実感が湧かなかった。
実感が湧かなかったせいでもあるし、何から手を付けたら良いのかも見えていなかったのかもしれない。
そんな時は、何から手を付けても良い状態なのだ。

 

KSTSが落ちウィッシュ。

 

基礎代謝が落ちるのは、若い頃に比べ筋肉量が落ちるからに他ならない。
それが老いなのだ。
特に意識しなくても筋肉量やいわゆる体力はだいたい26歳~30歳くらいまでは鍛えるほどに上がっていき(ピーク)それからゆるやかに、忍び足で下がっていくというのが通説だ。「基礎代謝 落ちる理由」で検索すると判を押したように筋肉とエネルギーのことについて書いてある大量のサイトを目の当たりに出来るだろう。

筋肉はエネルギーを消費する。
筋肉量が減れば消費するエネルギーも本来は少なくて済むのだ。
私のように高校時代を片道16kmちょっと自転車部(別名:体育会系帰宅部)のように過ごしてきた人にとっては、在りし日の栄光が忘れられず若い頃同様の寝食を繰り返す傾向が強いのではと感じる。
運動をしなくなった体に、やる気だチャージだとエネルギーを注ぎ、加齢とともに少なくなった筋肉が少しずつ脂肪に置き換わっても体格が大きく変わらなかったのを「まだ若い」と勘違いし続けた結果、踊る「やや肥満」の文字を目にするハメになるのである。
自分のカラダがハッスル…いや発する微弱な警告は、やはり自分自身のカラダで感じ取るものである。
痩せろと願うより叶う行動に出よ、である。

 

か~ま~き~り~。

 

私が通っていた高校は当時、朝のホームルームの前に1時間(0時間目)、6時間目の後に7時間目と8時間目があるような進学校だったため、16kmちょっととは言え通学に時間の余裕はなかった。
疾風のように自転車を漕ぐ私と同級生の3人組は、先頭が風受けとチームの牽引を担い、後続2台はスリップストリームで顔を上げずに直前の自転車の後輪だけを見て走るという、ツールドフランスさながらの走りを3年間続けた。
遠近感が狂うと言われた首より上の部位は、先頭車両では風受けとして申し分ない機能を果たし、後続車両の体力温存を助け、空気が作る抵抗は私の脚力を大いに鍛えてくれた。
信号機の無い昔の農道だったからできたような乗り方だが、今考えると相当に危ないので決してマネをしないように願う。

3台のうちの2台は「カマキリ」という変速機無し・チョッパーハンドルのイカス乗り物だった。
「変速機無し」というのはある種のステータスで、当時「変速機があると負け」のような風潮が男子中・高校生の自転車通学者の間にあった。チョッパーハンドルがカマキリの勇姿に見える、と言いたいところだが、よくよく思い出してみるとカマが後ろ向き(運転者に向かって伸びている)(そりゃハンドルだから)ため、降参しているカマキリのように見えなくもない。
あの時代はいったいどこを目指していたのだろうか。
キレイな思い出は無闇に思い出そうとするものではない。

ところで、大学時代はモテたい一心でアメフト部に入部し、全然関係の無いビーチバレーの最中に前歯(差し歯)が折れ、接着剤で付けてたのを忘れてクッキーと一緒に食べてしまったエピソードは、歯の健康の回にお話ししよう。
ビーチバレー大会で優勝したのと自分の歯を飲んでしまった経験は、後にも先にもこの一度しかない。
この頃の私の首の太さは顔の輪郭の外側と同じだけあった。こめかみから肩までは2本の平行直線のみで表現できたのである。想像図が上手く描けたら編集部宛に送って欲しい。ささやかながらお礼に謝辞を述べたい。
いずれにしても、遠近狂う首の上の大きさと釣り合った太い首や、20kmちょっとを軽々疾走できる太い脚、アメフトで鍛えた両腕の美しい筋肉は忍び寄ってきた脂肪にいつの間にか置き換わりあるいは痩せ落ち、基礎代謝が落ち、結果何かが揺れているのに気付いてしまったというしだいである。

 

くつ、かえる。

 

革靴が本気でカッコイイと思えるようになったのは、社会人になってからだ。
秋田の同僚がある冬の夜、アイスバーン化した轍(わだち)を革靴で、ポケットに両手を突っこんだまま踊るように歩いて見せたのである。しかも彼の履いていた革靴は、裏面(表底)も鞣(なめ)した革製のもので、雪道はおろか路面が濡れているだけでも滑りそうな靴にもかかわらず、だ。
もちろん私は岩手県民として雪道を難なく歩くことには自信がある。
しかしアイスバーン化した轍は、轍と轍の間、つまり車両のタイヤとタイヤの間の部分くらいしか平らな箇所は無く、平らな箇所を歩くということは、特に狭い道路の場合は、車道に出て歩くことを意味する。
轍のタイヤの跡の凹み部分にも、その両側の盛り上がっている部分にも平らなところは無く、これらが全て圧雪で濡れ氷化しているのである。横滑りに特に注意が必要なのだ。
雪道で歩いていて滑るまたは転ぶことは、車道に自分のカラダがはみ出す危険をはらんでいるため、よほどのことが無い限り歩道を選んで歩くようにするべきなのだ。君子危うきに近寄らずだ。
ところが同僚はそんな私の心配をよそに軽やかに轍の上を革靴で歩いたのである。両手をポケットに格納した後ろ姿は、さながら「私、失敗しないので」と言ってのける姿そのものである。
カッコイイ。。。
飾る事なく一見難しいことをさらっとやってのける彼のようになりたい。
雪道を革靴で飄飄と歩く秋田県民のように私はありたいと思った。
以来私は冬だろうがヤリだろうがストだろうが革靴を履いてきた。彼を目指していたからだ。

しかし、その20年来の拘(こだわ)りがたった一言で覆ることになるのである。靴だけに。

つづく。