甲冑師・橘斌(たちばなさとし)さん

 

勇壮な戦国絵巻が目の前で繰り広げられる「相馬野馬追」。福島県を代表する伝統行事として千年以上の歴史を誇り、国の重要無形文化財にも指定されているので、ご覧になった方も多いのでは。今や世界にも進出している相馬・双葉地方の一大行事です。人馬一体となって駆け抜ける勇姿には、思わず感嘆の声が出るほどの感動が!その迫力に多くの人々が魅了されますが、私は、その神事の際に、騎馬武者たちが身に付けている「甲冑(かっちゅう)」についつい目を奪われてしまいます。戦いに臨む騎馬武者を支えているのが、強くて美しい甲冑なのです。

 

相馬野馬追の陰の立役者「甲冑師」

 

全国に伝統工芸品はたくさんありますが、福島県にも歴史や風土が育んだ伝統工芸品が多数受け継がれていて、ものづくりの奥深さを知ることができます。その中でも全国的に珍しいのが、「相馬の物具(もののぐ)文化」。

物具とは、甲冑(かっちゅう)のことを指し、武具や武器、鎧、兜(かぶと)のことを言います。毎年7月下旬に相馬・双葉地方で3日間にわたり開催される「相馬野馬追」に欠かせないのが“甲冑”。飾り物ではなく、身を守り、時には戦いで壊れたり、汚れることもある、“生きる物具”なのです。

現在は、古美術品や歴史的資料として扱われているので、なかなか本物を目にする機会がないのですが、福島県相馬市の「たちばな甲冑工房」では、実際に戦い抜いてきた甲冑を見学し、触れることができます。

 

侍から甲冑師へ。3代目として伝統を受け継ぐ

 

騎馬武者の命ともいえる甲冑作りができるのは、甲冑師です。「たちばな甲冑工房」は、相馬野馬追の出陣の舞台となる相馬中村の中村城址近くにあります。全国でも数少ない、関東東北で指折りの甲冑師、橘斌(たちばなさとし)さんが工房の3代目として甲冑の制作・修繕を行っています。

まず、工房の扉を開けたとたん、ところ狭しと甲冑が並んでいる様子に驚きます。しかも、戦国時代などで実際に使われていた本物!!先祖は侍だったという橘家で代々伝わったものや収集したものが並んでいるそうですが、江戸時代中期から幕末にかけての鎧、古くは室町時代の鎧もあります。戦国時代ファンや私のようなものづくりファンにはたまりません。思わず、戦国時代へタイムスリップしそう♪

 

今もなお、先人の思いや影を追いかけて

 

全国屈指の甲冑師、橘斌さんは、鍛冶から仕上げまでの全工程を一人で担います。鍛冶、組み紐、彫金、漆塗り、染色など

……(残り文字数1,400文字以上・写真点数3点)

 

1万点にも及ぶ膨大な部品全てが手作りのため、完成までの製作期間は3~5年ほどかかるといいます。一つのものを完成させるまでには、歴史を紐解きながら、時代背景等も検証していくため、手間も時間もかかるそうです。

「手間がかかるから思い入れも強い。手をかけるほど良くなるし、出来上がった作品はわが子のようにかわいいです」と目を細める橘さん。作業場には、たくさんの歴史書や軍記、美術書などが並んでいるのも納得です。

作業中の橘斌(たちばなさとし)さん

 

橘さんの甲冑師としての人生にはさまざまな転機がありました。2代目だったお父様が突然他界したのは、22歳のとき。父の残した甲冑を見て、独学で少しずつ技術を見に付け、腕を磨いてきたといいます。その後、新作の依頼を受けるようになり、1986年には、大作「赤糸威大鎧」も復元しました。平安末期の鎧とされていますが、福島県棚倉町の都々古別(つつこわけ)神社に残片がわずかに残っていましたが、松平定信が編纂した図録や全国の部品を参考に、4年がかりで復元しました。現在は、会津若松市の福島県立博物館に収蔵されているそうです。

 

「甲冑には一つひとつちがった歴史的背景があるので、それを学んで感じていけるのが楽しい。昔の侍はこんなところを工夫していたんだという具合にね」と笑う橘さん。「時代を超えて伝わってくるものがあるんですよ。わからなかったことがわかるようになったり、まだまだ新しい発見があるから楽しいです」。先人たちに思いを馳せながら、楽しく作業している姿は、まるで、古に旅しているようでうらやましくなってきます。

 

兜(かぶと)は、細い三角の鉄の板をつなぎ合わせて、鋲でとめて作られます

 

現在の作業時間は、朝早くから夕方まで。仕事が終わったあとは、地元の馴染みのお店で大好きなお酒を楽しむのが日課だとか。昔は昼夜を分かたず甲冑に向かっていたそうですが、「年齢のせいか目が見えにくくなってきているから、夕方には終わるようにしています」。お話の途中、時折手を休め、キセルで煙を吐く姿からは、昔ながらの職人の風格が伝わってきます。

たちばな甲冑工房に展示されている甲冑は自由に見学できます

 

いざ出陣!相馬ならではの文化と甲冑の修理

 

「たちばな甲冑工房」には、全国から甲冑の制作や修理依頼があるほかに、相馬ならではの「相馬野馬追」に使用する甲冑の修理もあります。橘さん自身も54年間、相馬野馬追に甲冑を身に付けて出陣していました。甲冑を装備し、馬に乗り、行列を繰り広げたあとは数百騎の騎馬武者が旗を取り合う戦国絵巻には、甲冑が必要不可欠。実際に装備され、激しく動くため、より丈夫に作る必要があるそうです。

 

「新しく作るのとは違って、残っている部分に合わせて修理していくので難しさもあります。あまり新しすぎるとせっかくの価値がなくなってしまうからね」と、修理には細心の注意をはらい、丁寧に心を込めて。決して妥協することなく、時間をかけて手作業で仕上げています。橘さんは、相馬野馬追だけでなく、日本の貴重な文化遺産を支えてくれているのです。

作業中の厳しい眼差しとは違い、お話されているときは飄々と親しみやすい橘さん。お会いできたことで、甲冑の世界の楽しさと奥深さを知ることができ、ますます興味が湧いてきました。今度、相馬野馬追を見るときは、また違った感動や楽しみを満喫することができそうです♪

室町時代の鎧は必見!

 

室町時代の鎧も!工房で歴史を体験しよう

 

たちばな甲冑工房では、展示されている甲冑などを見学して触れることができます。営業時間は、9:00~16:30。お電話でご予約の上、お出かけくださいね!

たちばな甲冑工房

福島県相馬市中村字北町22
TEL0244-37-2212