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宇津峠 幻の初代車道【本編第5回】

このレポートは、「日本の廃道」2010年2月号および4月号に掲載した「特濃!廃道あるき vol.26」をリライトしたものです。
当記事は廃線探索をテーマにしており、不用意に真似をした場合、あなたの生命に危険が及ぶ可能性があります。当記事を参考にあなたが廃道へ赴き、いかなる損害を受けた場合も、作者(マイみちスト)およびみちこ編集室・道の駅連絡会は責を負いません。

所在地 山形県飯豊町〜小国町
探索日 平成21(2009)年5月10日

17:52
謎の廃道を発見し……

清明集落跡で「謎の廃道」を発見してしまった私は、その追跡をほとんど成り行きというか、オブローダーの条件反射のような形ではじめてしまった。自転車は集落跡に何気なく乗り捨てたので、いずれはかならず戻ってこなければならない。もう1時間もすれば夜となってしまう夕方の時刻に、行く先不明の廃道へ入り込んでしまったという現実。しかも、今はもう入り込んだ直後ではなくなっていて、8分ほど歩き進めていた。スタスタとせっかちに、焦りを歩みに現わしながら。

道はまだ終わらない。だが、崩れて不鮮明になっていた。自転車同伴は考えられない古ぼけた廃道だと感じた。集落跡までの区間より遙かに自然に還っていて、明治時代からずっと棄てられたままの廃道だと言われても素直に信じられる状況だった。

さらに5分を歩き進めた。ときおり道は、雨裂のような小さな谷に遮られたり、路肩を欠けたりした。それらは皆、下流で沢や谷といった地形になる始まりのようだった。地形の印象からして、この道は恐らく、宇津峠や清明口の切り通しがある町境の主稜線からあまり下らない山腹を、東へ向けてトラバースし続けているのだろう。コンパスを見ると、概ね東から南東方向へ進んでいた。

なお、上記のような記述から察せられるかと思うが、この2009年の探索当時は(現在では考えられないことだが)専用のGPS機器を携帯していなかった。一応、タフネスを売りにするガラケーにGPSが内蔵されていたが、表示出来る地図は小縮尺で等高線もなく、山中ではまったくと言っていいほど役に立たない代物だった。辛うじて2.5万分の1地形図のコピーだけは持っていたが、現在地をリアルタイムで正確に知る術が無かったのである。

これまでの展開から推測できる「現在地」は、大雑把だが、この辺りだ。集落跡から多分500mくらい離れたと思うが、ほとんど高度を下げる感じがなかった。ずっとトラバースし続けている。このままだと切り返して元の場所に戻る様子は全くなく、どんどん離れていく一方だ…。

そしてもう少しマクロな視点から現在地を観察すると、私が入り込んでいることが確実視される宇津峠南東の宇津川源流山域には密な等高線で描かれた急斜面が広がっていて、しかも地形図に描かれるような道は全くないのである。そこに私だけがいる状況というのは、とても心細かった。

あ、熊糞。

それもまだだいぶ新しい。

ふ~ん、ふふふ~~ん。

まあ、当然あるだろうよ……。

山腹の地形は概ね穏やかだが、小刻みな出入りが多い。だからトラバースには存外に距離を要する。道は地形に逆らわず従順に、そして淡々と、等高線をなぞっていくようだ。写真のような小さな流れを跨ぐときも、橋を架けていた様子はない。谷が道と同じ高さになるまで等高線通りに迂回していたようだ。

三島道に限らず、明治の車道に過剰な期待をしてはならないことは重々承知している。万世大路のようなイメージで、他の多くの明治車道を見ると落胆するだろう。基本、明治の工事はローコスト、ローテクニック、結果、淡々として冗長な迂遠の山道となるのである。

ここで私は、オリジナルソングの独唱を行っていた。普段からそんなことをする趣味が有るわけでは無いが、このときは自信作だったのかわざわざ動画で撮ってあるので間違いない。もちろん、恥ずかしいので動画は公開しないが、歌詞だけは残しておこう。当然、作詞の技術も何もあったものではないから、こちらも恥ずかしくないわけではないが。苦笑。

この熱唱がどこかに届いたのか知らないが、先の展開は、ますます危機的なものとなっていった。

 

うっ!

18:03
砂地の大きな崩壊地

不味いぞ。こいつは。

三島閣下は私の唄がお気に召さなかったらしい。唐突に、キツイ場面がお出しされた。これまでもいくつか越えていた、下流では谷になっているだろう雨裂、それを一回り大きくした絶賛崩壊中の土の谷だ。道を埋めているのは岩場ではなく土の斜面なので、どうにかなると楽観したかったが、この規模と傾斜は面倒だ。

まずは高巻きによる迂回を考えたが、規模が大きく手に負えそうにない。

高巻きができないなら、土の斜面の正面突破、トラバース継続か。この先の路盤は完全に消失して斜面と一体化している。この写真の斜面は全て越えねばならない。目測で50mは続く。

集落跡からここまでだって、近年人が出入りしている気配(刈り払いやゴミなど)は全くなかったが、この崩壊を無理矢理に突破した先となると、いよいよ何十年、いや、百年間人跡を途絶えさせた廃道が、三島時代のままの廃道が、残っている可能性があるのではないか。そう思えるくらいの崩壊だった。

あーあ…

どうしようか。

もちろん時間の問題を忘れているわけではなかった。

現在時刻は18時05分。日没後の薄明かりまで考慮しても、完全な闇に森が落ちるまであと50分くらいか。たった50分。もはや車に戻るのもギリギリだろうな……。

ははは……、やばいな、実際。 

なぜ引き返さなかったのか。

魔が差したとは、たぶんこういうことを言う。

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